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今さらなクロアチア旅行記【フィナーレ:ボスニア・ヘルツェゴビナと旅の終わり】

10月11日: ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルへ日帰りツアー

昨晩急遽申し込んだ日帰りツアーでボスニア・ヘルツェゴビナはモスタルへ。ドブロブニクからの日帰りエクスカーションとしては定番らしい。片道3時間程度、陸路でお手軽に国境を越えられる。
朝7時15分にピックアップに来た車は8人乗りくらいのデカめの乗用車。同乗者は①どこの国の人か分からんが老夫婦 ②イギリスのフレンドリーな老夫婦 ③スペインの中年夫婦 ④スペインのいかにも人の良さそうなアラサー男子 であった。
最初は①の夫婦が隣に座っていたものの前方座席に移動したいとだだをこねた為②の夫婦が隣に。これが幸運であった。
英国紳士・淑女は例えると京都の方々のような、ちょっとつんけんしたイメージを持っていたが偏見とはいかにばかげたものだろう。隣の席になった瞬間から、ちょっと小洒落たキュートなそのイギリスオバチャンが満遍の笑みで「ハロー」。そこからもうしゃべるしゃべる。行きも帰りもイギリスオバチャン(時々イギリスオジチャンが入ってくる)と色々おしゃべりをした。
本当に色々とおしゃべりをした。今まで行った国のこと、寿司の具材、和牛ってどういう意味?(直訳するとただの日本のビーフってこと、教えてあげると、なんとなくお互い爆笑した)、、などなど。
ちなみに、鯉のことは英国でも「koi」と呼ぶらしい。イギリスのパスポートのページに鯉の絵がありこの話になった。koiという響きにお互いなぜかまた笑う。
滝のある公園を経てお昼前にモスタルに到着。そこから現地のガイドさんに30分超案内をして頂いた。
ここモスタルも1990年代の紛争の舞台となった地。街には破壊されたままの建物や銃弾の跡が生々しく残る。
とある道路を隔ててこっち側がクロアチア側(カトリック)、こっち側がセルビア側(クリスチャン)だったのだと教えてくれた。島国であるが故なのか特に強い民族意識もない(と私は思う)日本人からすれば、とある道路を境に民族同士が対立するなんて想像もつかないことだが、実際にそうであったのだ。ほんの20数年前までは。
ガイドのお兄さんの目はどこかを見据えていて、悲しいことを色々と乗り越えて今ここにいるというような、そんな目をして語っていた。
「僕が4年ほどガイドをしていて感じたこと、それは、ツアーで訪れる人たちが知りたいのはその地のライフ(多分色んな意味が込められている)だろうということなんだ。この建物がいつ建って、どういう意味で、、なんて、5分10分もすれば忘れちゃうでしょう?」
なるほどそりゃそうだ。だから、このお兄さんもこの地のライフを語ってくれた。
「チトーの社会主義はソ連のそれとは似て非なるものだった。僕たちは僕たちのスタイルでエンジョイしていたんだ。でも彼は1980年に今までにないミスを犯した。死んでしまった。」
「あの戦争で勝ったのは誰か?誰も勝者になっちゃいない。誰も勝ってなんかいないんだ。」
「今のこの国の月間平均所得は200ユーロ。最低じゃなく、平均だ。考えられる?昔はもっと高かった。学校にだって無償で行けた。今はお金を払わなきゃいけない。失業率は約45%。ユーゴスラビア時代と今のこの状況、どちらが良いかと聞かれれば間違いなく前者だ。」
日本も戦争を経験した国だが、残念ながらだんだんと過去のものになっている感がある。彼らにとってはまだまだフレッシュな記憶。いかなる戦争の記憶も風化させてはならないと考えさせられた。
ドブロブニクでも感じたことだが、わずか20数年の間に、こんなにも綺麗な街並みを復興させた人々には本当に頭が上がらない。人間は愚かでもあるが、底知れぬ力強さも持っているのだと感じさせられた。
ガイドさんにお礼を言ったあとはフリータイムで美しい街を散策。お目当ての一つであったボスニア料理「チェヴァピ」を食べにレストランに入る。
どうでもいいけど担当してくれたウェイターがさほどイケメンではないけど個人的に甘いマスクだった、、幸せな気持ちになった。
チェヴァピは例えるとターキッシュつくねって感じ。香薫くらいのサイズ感の味付けミンチが10本くらいピタパンに挟まれていて、生のタマネギが添えてある。
生のタマネギか、、と躊躇したがこれが合う。味付けが濃い目のターキッシュつくねと一緒に食べるといい感じにしつこさを中和してくれるのだ。
パクパクいけてしまう。うまい。肉がいかんせんうまい。
それにしてもチェヴァピと生ビールでお会計40クーナ(700円程度)なり。ドブロブニクと比べると涙が出るほど物価が安い。
お兄さん甘いマスクだったし(大半はこれ)、チェヴァピ美味しかったし、ここにしてよかった。
お腹も満たされたところで更にうろうろ。ネットには「ヨーロッパだけどヨーロッパじゃないみたい」な街並み、とあったが本当にそうだった。
オリエンタルターキッシュといったとこだろうか。露店の雰囲気はどこか東南アジアっぽさすら感じるが、置かれている雑貨はトルコっぽい。トルコ行ったことないけど。
お土産もドブロブニクより安い。可愛いバングルを安価で購入。街はカラフルでお天気も相変わらず抜群で本当に美しかった。
帰りもイギリスオバチャンとくっちゃべってツアー終了。熱いハグを交わしてお別れした。(ちなみにイギリスオジチャンはもうリタイアしてしばらく経つけど警察官をしていたらしい)
思いつきで行ったツアーだったが色々と考えさせられ、素敵な出会いもあり、景観も最高で本当に行ってよかった。もう丸一日ドブロブニクにいたら飽きてたな、、。
今日の色んな気持ちをこれからも忘れずにいたいと、本当に思った。

10月12日: クロアチア旅行最終日

朝は9時にチェックアウト。行きそびれた総督邸に行って、お土産を買い足して、ラストミールを食べる目的で少し早めに設定。
荷物を預かってもらい、すでに慣れっこの階段を降りていく。やっぱり何度見ても少し高台にあるこのアパート付近からの景色は最高で、同時に今日が最後なのだという寂しさに駆られる。
総督邸を見学。ラグーサ共和国時代の通貨や薬を入れる瓶などの展示物が興味深い。ゴシック様式とルネサンス様式、のちにバロック様式も交わったという建物はやはり一見の価値あり。朝一ということもありゾロゾロしたツアー客もまだ少なく、ゆったり楽しめた。
青空市場に出くわす。この辺は何度も通っているけれど、そういえば朝のこの時間帯には通ったことがなかった。朝こんなに賑わってたのね、、、
オレンジピールを試食する。、、、うまい。肉厚で香り高く、本当に美味しい。ドライイチジクとアーモンドも一緒に袋詰めされたものを購入。後に空港で見かけたオレンジピールとは色が全然違った。
最後のご飯に行こうと考えていたのは、昨日のイギリス夫妻が教えてくれた地中海料理の店。イカのグリルとイワシの何かがとても美味しかったらしい。
そのレストランに辿り着くと、気持ちの良い接客で気持ちの良いテラスに案内されたが、時間が時間なだけに朝食メニューしかない。スクランブルエッグなんてどこでも食べれるしなぁ、、、、、
てなわけで丁重に理由を説明して店を出た。やっぱりシーフードが食べたいのだ。
とはいえ予想外のロスタイムで時間がなくなってきている。一旦旧市街に戻りうろうろするも、やはりブレックファーストメニューのみの店が多い。
そんな中ふとグランドメニューも扱ってそうな店を発見した。メニューも悪くなさそうだし、ここでいっか、、、
てな気持ちで店の人(後にこの人は店の人ではなかったことが判明)に声をかける。開いてる?と聞いたらなんか開いてないっぽかったけど席に案内してくれた。
ショートヘアーのオバチャン(この人もおそらく店の人ではない)が登場し、どこの国から来たのか聞かれる。日本と答えると、待ってましたとばかりに歓迎ムード。どうやら日本と関わりのある仕事をしているらしい。しかもアメリカ人だった(クロアチアに移住してきたらしい)。どうりで英語ペラペラなわけだ(ペラペラというか母国語)。
ちょっと急いでて時間ないんだよね、、というと、さっとオーダーを聞いて通してくれた。
最初に声をかけた店の人っぽい人(初老の女性)もどうやら日本に行ったことがあるらしい。「コンニチワ、アイシテマス、アカサカ、ギンザ!」とテンション高めに日本語の単語を羅列する。
その女性によると「日本に行った時はホテルオークラに一ヶ月泊まったの。とても気持ちのいいサービスだったわ!そこで最初の旦那と結婚式を挙げたの。それにしても銀座は人がいっぱいよね」
、、、、ツッコミどころが多い。まずホテルオークラに1ヶ月泊まるってこの人何者なんだ?そして離婚歴あり?
ひとしきりおしゃべりした後についに真相が判明する。先のショートヘアオバチャンがこう言った。
「この人誰か知ってる?クロアチアの女優さんよ。クロアチアのメリル・ストリープよ!」
、、、、まじか!!クロアチアのメリル・ストリープまじか!!
このあとモンテネグロに行ってショーをするらしい。そして今の旦那は3人目でイタリア人らしい。
かっけー。かっこよすぎる。モテる秘訣教えてください、、、後で分かったが御歳64歳。綺麗な人だなぁ。
歳いくつ?と聞かれて答えたら一言、

"Mm...baby"

64歳の女優さんからしたらわたしなんてまだまだベイビーらしい。
名前を教えてくれた。後でググッてみたら本当に女優さんだった。そして若き日の写真が確かにどことなく若き日のメリル・ストリープに似ていなくもない。
どうやらこの女優さんとショートヘアオバチャンは店の常連なのか、はたまたオーナーの知り合いなのか、そんなとこらしい。
本当の店の人も親切で、お礼を言って女優さんとハグ・キスを交わし、また会おうね、と言ってお別れ。全くこの旅は最後の最後まで濃い旅だぜ。
ただしおかげで時間がギリギリに。アパートの人がスーツケースを預かってくれているから時間通り取りに行かなきゃ、、、
射すような日差しの中今までにないスピードで坂を登り、階段を登る。おかげで汗だくになった。
着いてみると滞在中お世話になった女性はいなかった。別のオバチャンにスーツケースをもらった。最後にお礼言いたかったなあ。残念。
まあまあガタガタした坂をスーツケースを引いて降りる。取手が壊れたけどこいつももう寿命だろう。結構酷使したからなぁ。ありがとう。
愛しさと切なさと心強さでいっぱいの気持ちでシャトルバスに乗り込んだ。ありがとうクロアチア。ありがとう、旅で出会ったすべての人たち。

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