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30歳すぎて初めて自分と向き合うようになったきっかけ。

子供の頃から結婚願望の強かったわたし。

お嫁さんになること、ママになることが1番の夢でした。

大好きな祖母の影響を強く受けて育ったせいか、年齢の割に古風なところがあり、結婚したら家庭に入りたい、夫の転勤とか柔軟に対応したいし自分がバリバリ働くことは考えられない、と、大学時代の就職活動もまるで昭和の女学生のように結婚までの腰掛け程度に働こうとイメージしていました。

母も祖母も叔母も身内の女性たちが全員専業主婦だったこともあり、家庭を持つ女性が働くことじたい想像できなかったというのが本音です。

結婚するまで紆余曲折ありましたが、無事に結婚が決まり、憧れの寿退職。

このとき仕事を辞めることを1mmも悩みませんでしたが、関東から夫の仕事の都合で関西へ引っ越さねばならず、結婚=退職は自然の流れでした。

もし結婚してからも働き続けることのできる場所に住んでいたとしたらどうしたのかな、、と、
今だったら「そのまま働く」と思うけれど、あの時の私だったらきっとそれでも辞めていたかな。

結婚して、ハネムーンへ出かけて、さぁいよいよ赤ちゃん!と思っていたのに、なかなか授かれずに悩む日々。

寝ても覚めても赤ちゃんのことで頭がいっぱいになってしまって、このままじゃいけないと気分転換にパートを始めました。

ここでもまた、あくまでも妊娠するまでの腰掛け的な。

妊活のため病院に通いながら、結局3年間勤めました。

やっと妊娠したけれど、安定期を迎えても出血したり貧血がひどくなり倒れてしまうこともあったり、欲しくて欲しくてやっと授かった赤ちゃんが何よりも大事!無理して働いて後悔するようなことはしたくない!と、あっさり退職。

とうとう出産を迎え、待望の我が子を抱いた時「ついにママになれた!私の夢がかなった!」と幸せいっぱいな気持ちの端のほうで「あれ、でもこのあと私どうするんだっけ?」と何となくモヤモヤした気持ちが生まれてきました。

我が子はとにかく可愛くて、今まで知らなかった世界をたくさん見せてくれて、子供を通してお友達もたくさんできて、子供の成長に感動して、毎日がとても新鮮で温かくて楽しくて。

でもやっぱり、夢を失ってしまったようななんとも言えないモヤモヤがだんだん大きくなっていることにも気がついていました。

あーわたし、結婚して出産することをゴールにしてしまっていた。
それより先のことを考えたことがなかった。
このまま何となく歳をとっていくなんて…やばい!

と、日に日に確信していきます。

今まで、働き続けることを想像したことがない。
そもそも働くことと真剣に向き合ったことがない。
働きたくないわけじゃないのに。
自分が社会のために何ができるのか考えたことがない。
だからといって家庭のことを完璧にこなせるわけでもない。
「ママ」の仕事はいずれ終わるのに、その後私に何が残るのか。
自分に何か価値があるのだろうか。

と、悩むように。それが30歳くらいの頃です。

それから生まれて初めてまさに「人生の模索」が始まりました。

人生についてなんて考えたことがなかったし、5年後の自分だっていまいちイメージできなかった。

でも自分にとって何が1番大切で守りたいことなのか、そのために絶対必要なもの、足りないもの、手放すものを探るうちに、なりたい自分や理想の暮らし、憧れる老後生活などイメージがどんどん湧いてきました。

先のイメージができるようになったのは、ライフスタイルがある程度固まったからかなと思います。

いつ結婚するのか、出産するのかしないのか、するなら何人子供を持つのか、どこに家を持つのか、そうしたことが不確定なうちは、やっぱりそんな先までイメージできなかった。

それらがある程度決まってくると、生活の変化は減るけれど、ようやくのびのびと人生追求の旅が始められるのかなと、今思います。

そうして遅ればせながら30代前半で「とことん自分と向き合う」体験をしました。

先日36歳になりましたが、今はずいぶん視界がクリアで進みたい道もなんとなく見えてきました。

やってみたい!学びたい!知りたい!でいっぱいな今、「わたしの人生」がコツコツと積み上がっています。



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