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1.東京から地方へのプチ移住

 -1.東京にいなくてもいい理由と考え方(1)


-コップに入れた満タンの水が少なくなったら、また汲みに行けばいい。-

 私は約14年ぐらい、横浜にある大学に勤めながら、東京の恵比寿に住んでいました。東京に住んでいる理由については、話をし始めると少し長くなります・・・

 私が大学の教員になったのは、これまでに専門性を学んできた建築意匠・設計に関する仕事と、大学院の博士課程で研究開発をしてきたRe-glassに関する仕事をするために、大学内のベンチャー・ビジネス・ラボラトリーの講師として採用して頂いたことがきっかけとなりました。

 そのため、大学教員でありながらも起業をして事務所を設立するが推奨されている立場だったので、「建築のアトリエ事務所を設けるならば、東京のなかでも都心部だ。」と思い、恵比寿に住むことにしたのです。恵比寿を選んだ理由には、自分自身の既成概念が建築を勉強してきた学生の頃から構築されてきたことが起因していると思います。なぜなら、憧れていた建築家の事務所は東京に集中していたし、集中していることで建築雑誌等のメディア関係やギャラリーとの連携もしやすく、東京から全国あるいは海外へと情報が発信されやすいと思っていたからです。

 たしかに、今思えばそのような考え方も、私の学生時代が90年代後半から00年代初頭の状況が、まだアナログな情報社会だったことが既成概念を構築する大きな背景になっていたと思います。特に地方の大学で建築を学んでいると、建築関係のメジャーな情報は、建築雑誌等のメディアや講演会を通じてでなければ伝わってきませんでしたが、東京に事務所がある建築家のアトリエ事務所にオープンデスク(インターン)に行けば、学生レベルの間においても様々な情報を得ることができたので、そういった経験もまた「東京でなければならない。」という既成概念をつくっていったベースになっていったのだと思います。

 ただし、学生の時期から矛盾に感じていたのは、経済的に余裕のある建築事務所というのは「ほんの一握り」の数しかなく、多くの事務所は1名〜数名の小さな零細企業のため、東京といった高い家賃と物価のエリアに事務所と自宅を構えることは、非常に経済的な負担が大きいということでした。

 建築の設計をすることが仕事であれば、地方で事務所を構えても住宅設計等の業務を委託される機会はありますし、建築家の事務所が多く集中する東京にいることで競合関係は高くなります。

 では、そのような経済的負担や競合関係が高い状況であっても、東京に事務所を構える理由は何なのでしょうか・・・?

 それは、「東京というブランド性」にあるのではないかと思います。

 他業界においても同様ですが、本社(機能)を東京におく企業は多くあります。その理由は、上記にも挙げたようなブランド性や、他社との情報共有のしやすさをはじめ、グローバル企業として海外への展開がしやすいように・・・などの幾つかの理由があるかと思います。

 でも、リモートワークが出来るようになれば、東京にいる必要もなければ、情報もネットを通じて国内外の方とやり取りすることもできますし、発信発信を積極的にすることもできます。

 そうすると、経済的にも負担が少ない地方を選択しやすくなりますし、空間的に余裕のある自然豊かな環境の中で、家族と一緒に十分な生活をできる余裕ができます。

 あとは、住もうとする「地域」の選択です。「東京がもつブランド性」を捨て、「その地域の魅力を発掘する」ぐらいの気持ちでいると、その人自身が持つ価値観を、その地域に移譲することが出来ると思うのです。

 地方に住んでみて、自分自身が必要とする情報が必要になったら、またいつでも東京に行けばいいと思うのです。なぜなら、自分自身が必要とする情報量をコップ1つ分としたならば、そのコップに入る水の量は、もうすでに満杯になっている、と思ったからです。(もし、まだ足りない、と感じているようであれば、何が足りないのか考えてみるといいと思います。)

 私の場合は、コロナが蔓延している時期はリモートワークが続きそうだったので、「コップに入れた満タンの水が少なくなったら、また汲みに行けばいい。」と考えて、まずはwithコロナ中は地元へと戻ろう、と決断したのでした。Afterコロナになって、大学での仕事の方法が元に戻ったならば、あるいはコロナを契機に働き方が変わったならば、その状況に合わせてまた新しいスタイルを考えればいい、と思うようにしたのです。

(つづく)

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