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シリアから漫画展

 ChalChalが企画する「アラブの国からMANGA展」が11月9日~11月15日まで神保町のブックハウスカフェで開催される。シリア、イラク、リビアなど現在も紛争が続く地域から漫画家たちが「世界の子どもたちへのメッセージ」をテーマに作品を寄せた。今日はシリアのアーティスト3名を紹介する。

ハニ・アッバス〜シリア生まれのパレスチナ人

ハニ・アッバス


 ハニ・アッバスは、パレスチナ難民として1977 年にシリアのダマスカス近郊のヤルムーク難民キャンプで生まれた。1948年のイスラエルの建国で国を追われたパレスチナ人は、難民として近隣のアラブ諸国へ逃れた。シリアにも60万人程が暮らしていた。ヤムルーク難民キャンプはダマスカスにあり約16万人が暮らすシリア最大の難民キャンプだった。アサド政権は対イスラエル強硬路線を貫き、パレスチナ難民を保護して来た。難民たちはアサド政権こそがイスラエルと戦いパレスチナを解放してくれることを期待して来た。2011年に民主化運動が始まっても多くのパレスチナ人は政権に逆らえず中立的な立場で戦況を見守っていた。2012年に反体制派がキャンプに入り込むと政府軍との間で激しい戦闘が繰り広げられた。14万人ほどのパレスチナ人が避難したが、取り残された市民たちは、包囲され、雑草を食べて上をしのぐような状態に陥った。2015年にはイスラム国兵も戦闘に加わり、2018年5月にシリア政府軍が反体制派を排除するまで激しい戦闘が繰り広げられた。

ヤムルーク難民キャンプが空爆され避難するパレスチナ人UNRWA

 ハニさんは、風刺画家というのがふさわしいかもしれない。漫画と言えば日本が聖地になっているのだが、意外と風刺画は、日本はパッとしない。シリアと違って何でも自由に書けるにもかかわらずだ。その点ではシリアの方が優れた風刺画家が多そうだ。ハニさんはフェイスブックに、シリア革命を象徴する花が不滅であることを示す漫画を投稿した。シリアの秘密警察はすぐに彼を脅したために、シリアから逃れ、スイスに亡命した。彼は現在スイスに定住しており、漫画で戦争の残虐行為を非難し続けている。
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当局の言論統制を皮肉った作品

2014 年 5 月、彼はジュネーブでコフィ アナンからエディトリアル カートゥーン インターナショナル賞 (国際印刷出版賞) を受賞した。

独裁者を引き倒そうとしているが、自分の頭の中にいる独裁者の銅像はなかなか倒れない。

 独裁者の銅像を倒そうとして、実は独裁者は自分の頭の中にいてなかなか倒すことができないという作品。
一見すれば、イラク戦争でアメリカ軍がサダムの銅像を引き倒した光景が思い出される。自由を声高に叫びたいが、アメリカ人のように勝手に自由を叫べない事情がある。パレスチナ人にとっては、サダムがパトロンであった。たとえ自由を求めるイラク人の言論が統制されようが、パレスチナは常にサダム側にいた。その結果、2003年にサダム政権が崩壊すると、イラク人の怒りはパレスチナに向けられ迫害が始まった。シリアでも同じことが言えて、パレスチナ人の人権を誰が守ってくれるのか?という深刻な問題に直面せざるを得ない事態に陥った。パレスチナ問題においては、国連等国際社会はあてにならない。ハニさんの風刺画は、シリアの内戦を財材にしながらもパレスチナ人の悲劇が透けて見える。

アッザ・アブーレビイエ~シリアの女性刑務所を描いた版画家


ベイルートで制作を続ける版画家アッザさん


 1980年にハマーで生まれた。1982年に、ムスリム同胞団の反乱がおき、2万人から3万人が虐殺されたといわれている場所だ。彼女はスペインの画家 ゴヤの影響をうけ2002 年にダマスカス大学の美術学部 (エッチング部門) を卒業し版画家として活躍した。

ハマーの水車(ウキペディアより)

2011年、シリアでも民主化を求めるデモが起き、やがて内戦へと変って行った。アッザさんは、当初から逮捕の危険を冒して、 抗議運動に賛同して壁画を描いた。武力衝突に発展すると、彼女は戦闘によって家を追われた人々に食料と医薬品を届けるのを手伝った。2015 年 9 月、アッザ さんは活動家の友人から電話を受け、カフェで会うように頼まれた。それはわなだった。彼女が到着したとき、警察が待ってた。逮捕され、刑務所に入れられた。多くの女性が小さな部屋を共有し、そのほとんどが読み書きができず、無作為に逮捕された人達だった。「刑務所での経験はとてもつらいものでした」と彼女は言う。「私は多くの女性がいる小さな部屋に滞在し、多くの困難な感情に直面しなければなりませんでした. それは私に何か力強いものを残した経験でもありました。このすべてを記録しなければならないのは、私が経験し目撃したすべてを新しい世代に伝える責任があるからです。歴史は勝った人によって書かれるという声明があります。この発言を改めたい。誰もが自分のしたことを記録し、真実を語れば、この声明に反対することができます。」
https://www.harpersbazaararabia.com/culture/art/art-news/azza-abo-rebieh-evocative-etchings

刑務所には鏡がなかったので、囚人たちは、彼女に肖像画を描くように頼んできたそうだ。「それで私は彼女らを描き、小さなスケッチを作りました。私が解放された後も、それらは常に私の心に残っています。」
彼女が刑務所で描いた作品は、NYタイムズで詳しく紹介されている

これは、シリアで人気のある温かいハーブドリンクであるマテをすすりながら、タバコを吸っている 65 歳の女性ヒアムです。それは魂を打ち砕く場所での孤独の瞬間です。ベッドは刑務所のベッドです。ヒアムは 2 年半の刑務所で過ごしましたが、それはおそらく、彼女がバッシャール・アル・アサド大統領の政府に反抗した地域から来たという単純な理由によるものです。

刑務所の様子

一年後彼女は釈放された。現在はベイルートに逃れ創作活動を続けている。ChalChalのメンバーで、笛を担当する宮崎信子がレバノンに住んでいた時、アッザさんは向かいに住んでいて、バルコニーで笛を吹いていたのをスケッチしてくれたという。「見せたいものがあるの、コーヒー飲みに来ない?」と誘ってくれたのが出会いのきっかけで今回の展覧会にも参加してくれることになった。

今回は子どもたちへ向けたメッセージ

ムハンマド・ハムゼ~日本の影響を受けたシリア人

  最後に紹介するムハンマッドさんは、まさに日本の漫画文化の影響をもろに受けている。
 1980年シリア・ダマスカス生まれ。アニメーター・漫画家として、アラブ首長国連邦はじめサウジアラビア、USA、アイスランドなど各国で仕事を経験し、現在はストックホルム在住。2000年から2010年頃までに数回日本を訪問。新海誠監督のアニメーション映画「星を追う子ども」の背景デザインを担当し、敬愛してきたおおすみ正秋監督や故モンキー・パンチ先生との面会も果たす。

日本の各地を周って、どこに行っても誰と会ってもなんだか懐かしく思えて、これまで実際に暮らしてきた場所よりもむしろ親しみを覚えてしまったとのこと。後にそれは、少年時代ずっと日本のアニメや漫画を観て育ってきたので、いわばバーチャルでは日本で生活していたんだと気が付いたそうだ。遠くシリアに暮らしていながらも、日本の自然や文化を共有し人々とつながっていたんだと。

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