見出し画像

ミルク 第2話(全5話)

代筆をお願いするにあたって、人生のテーマ曲はあるか問われた。
迷わず、この歌を思い浮かべた。
好きなひとも多いかと思うが、しばし、この物語の主題歌とさせていただくことをお許しあれ。


あるがままの心で生きられぬ弱さを誰かのせいにして過ごしていたのやもしれないし、
知らぬ間に築いてた自分らしさの檻の中でもがいていたのやもしれない。


幼少期のわたしはわずか7年だが8年だかの人生経験にもかかわらず、悟り切っていた。


諦めていたのだ。


クラスメイトも、身近な大人なはずの先生たちも、話が通じない。おかしい。くだらない。
なぜ、同じ時代を生き、同じものを見て、聞いているはずなのに、同じことを感じていないのか。
おかしい。くだらない。
この感情を繰り返すぐらいなら、と、わたしは文字通り口を閉ざした。話さない子どもになった。


たとえば、
小学1年生のときのこと。
識字能力をしっかりと備えたわたしは優等生然とした雰囲気を醸し出していたのか、
授業中に喚き散らすこともなく宿題だってきちんとやるタイプの人間で
それは先生のためなどではなく、できるからやっていたまでのことだったけれど、
担任の先生はそんなわたしに懇願にも似た様子で、なぜか運動会の開会のことばを打診してきた。
いやいや、適任はもっといるでしょう?とツッコみたくなるオファーではあったが、依頼元の担任だけはこの目に狂いはない、といった形相で、ああ、大人に気に入られることの憂鬱さをハッキリと自覚した出来事だった。


そのうち、夜も眠れなくなっていく。
考えることは山積みで、
でもこころとは裏腹にカラダは疲弊していき、
好きな景色も得意な教科もたしかにあるのに、
矛盾というのは心身のバランスに乖離をもたらす。


この頃だったか、
時々訪ねていた保健室は憩いの空間だった。
若い女の先生だったが、味方であることが伝わる、空気感のひとだった。
ただ、話を聞いてくれた。


ふたりで話すその時間は、あの時代のわたしのこころを支えてくれていたように思う。
話の通じるひとがいることのありがたみを感じていた。
それだけで救われるひとがあることは、その後の進路にも影響を及ぼしたような気もするが、それはまた別のお話。


ほどなくして、現実の同世代とも向き合うために、ガールスカウトに所属した。見た目にもまさかアウトドアは苦手であろうとわかるようなわたしだったが、下級生を束ねたり、他校の生徒たちと交流したり、よもやクラスメイトと関わるよりも気持ちは充実していたように思う。きょうだいの多かったはずのわたしが、家ではないところに居場所を見出すというのも何か運命めいたものを感じる。
おかげで虫の類や多少の傷や社会的倫理観のようなものは備わった、と思う。いい意味でギャップ女子というそれ。いまでも法令遵守とか守るべきものに対する強烈なモラリストの一面を持っているのは、図らずともこの経験の影響、のような気がする。


それでも大人たちは、
子どもという生き物を見くびってか、理想偶像を抱いてか、時折無理難題を突きつけてきた。
例えば、
「努力は報われる」のような表現も然り。
努力したとて、できないものはできないし、
向かないものは向かない。
努力神話が大の苦手だ。

何度練習したところで逆上がりはできなかったし、
何度解説されたところで数学でいうマイナスの解になる理屈はついぞ分からなかった。

国語は5、数学は2、みたいな通知表に、
大人たちはわたしを理解できず、
ふざけているように、サボっているように感じていたのだろう。

こちとら真剣そのものなのに、である。


つづく

あなたの人生、物語にします。 ときに憑依して執筆しております。 あなたからのサポートが励みになります。 感謝!