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笑顔を迎えにいくひと 第1話

おもしろい!と思ってもらえることに
喜びを感じるようになれました。
わくわくするミライを迎えにいくことで
遠回りすら楽しめるようになれました。


そんなわたしの体験が
決して同情を買うためではなく
みなさんのこころを少しでも軽くするきっかけになれば、と、自叙伝を綴ることにしました。
この物語を読んだあなたも、
あなたの大切なあのひとも、
笑顔に、ピースフルな人生を送れますよう
過去のわたしを振り返ってみます。
しばしお付き合いくださいね。



突然ですが、
わたしは「不安障害」という診断名をうけています。
診断をうけて、安心に包まれた日のことは忘れません。

それまでのわたしは、
何をするにも心身に支障をきたす
メンタル弱弱な自分に自信を持てず
中途半端に投げ出してしまうことが多くなるのを
また自分のせいにして追い込んで、という
負のループをぐるぐるぐるぐる、
回り続けていました。


思い起こせば保育園のころ
とにかくまわりのひとの目が怖く、
怖がりで、泣き虫で、
おともだちよりも動物たちと遊んでいるほうが穏やかでいられる、変わった子でした。
動物たちはわたしを咎めることなく
ただ生きて、ただわたしを受け入れ
裏表のない安心感からか
こころを通わせることが出来ました。


よく言えば感受性豊か、
裏を返せばネガティブなわたしは
それから進学していく小学校も、中学校も、
苦手でした。
苦手というより、
学校で過ごす時間が嫌でした。
友人がいなかったわけではないけれど
こころを許せる場所が少なかったのは事実です。


高校生になったころには、
保健室がすっかりわたしの居場所になっていました。
それは居場所がなかったというよりは
体調がすぐれないことが増えたから。
ちゃんと授業を受けたいのに、
おなかが痛くなって、受けられない。
そんなことを続けているうちに出席日数が足りなくなり、休日に補講へと向かう。
不良でもないのに、です。

今でいう、IBS、過敏性腸症候群というそれでした。


好奇心旺盛で興味のある分野もあり
高校卒業後は進学の道を思い描いていましたが、
やっとの思いで卒業し
なんとか短大に進むことができたのも束の間。


どうにも、学校に行けないのです。
自分は悪く言われているのでは?
何をしても笑われているのでは?
そんな想いが募り、気付けば鬱のような症状になっていき、短大も中退することに。


ちゃんとできない、
こころが弱い、
学校にも通えない、
なんて自分はダメなんだろうと、
こころを追い込み
引きこもりも経験します。


こころが平穏なときにはアルバイトをして
かろうじて社会とつながりを保っていたころ、
環境を変えることでちがう景色が見えてくるのでは、と選んだ先は東京。
きょうだいを頼りに、上京することとなったのはわたしが23歳のことでした。


BGM
もくまおう/Cocco
 


つづく

あなたの人生、物語にします。 ときに憑依して執筆しております。 あなたからのサポートが励みになります。 感謝!