僕は女の子になれなかった。

アイドルを始めた時はあくまで「女装」だった私が、ある日を境に「女の子になりたい」と思い始めた。

でも、女装をすると決めた時から。

いや、もっと前から。

私は女の子になりたかったのかもしれない。




私は高校生まではその辺によく居る内気でボンクラな男子だった。
スポーツテストでは学年で2番目に成績が悪く、体育のバスケットの時間ではいちいちプレイが中断されるので自分だけ4歩まで歩いていいという特別ルールを設けられるぐらいのボンクラで、当然クラスの中心には居なかったし、自分から誰かに話しかける事なんてあまり無かったから女の子からふいに話しかけられた時なんてずっと心臓の音が聞こえそうなぐらいドキドキしてて平静を保つのに必死だった。
でも何故かクラスでヒエラルキーの高いケンカが強い不良の男子や文化祭でGLAYやラルクのコピーバンドをしてモテてるような男子や体育の時間にヒーローになってるサッカーの上手い男子がたまに遊んでくれたり、委員長みたいな女の子がぼーっとしてる私の手を引いて世話をしてくれる事がたまにあった。
恐らくそれは私が修学旅行や文化祭で友人と漫才をしてウケた事によって周りの目が変わった影響が強かったと思うが、ただそんな経験をしたらヒエラルキーのトップに居ても不思議では無いのにそんな事には全くならないぐらい本当に私は内気でボンクラだった。


中学も卒業を控えたある日、クラスでは影の薄いはずの私が、当時よくあった卒業文集のクラス内ランキングみたいなコーナーで(今思えば残酷なランキングである)、優しい男子ランキング3位、かわいい男子ランキング2位になっていた。
当時の私はそのランキングの結果にとても衝撃を受けた。
「え、僕が、優しい…?かわいい…?」
今思えば普段何も喋らず女の子にとって害のある事を言わないから「優しい」、背が低くてオドオドしてるから「かわいい」ってだけだったと思う。
でも当時女の子とほとんど何の繋がりも持てなかった自分にとって男らしくないランク付けに悲しみは持ちつつも、「優しさ」と「かわいさ」があれば女の子に好意を持ってもらえるんだと勘違いした事が今の私のアイデンティティを形成したのは間違いないと思う。


結局そのランキングの結果を意識しながらも生かす手段も分からないまま、私はごく一般的なお笑いと音楽を愛する男子中高生として、クラブ活動に勤しんだり(水泳部に入ったが3年生になっても1番遅かった)、たまに通学路にある焼き肉屋さんでアルバイトをしたり、そしてそれなりに恋をしたり(ご察しの通り全くモテなかった)と、割と純朴な普通の学生生活を送っていたと思う(結構な良い年齢まで私は男女がキスをすると子供ができるとマジで思っていた)。


私は大学生になってインターネットというものに出会った。
そして色んな世界を知った。
実家を出てひとり暮らしを始めてアルバイトに明け暮れながらも、全てのコミュニケーションの中心はmixi(今のTwitterとnoteを混ぜたようなSNS)だったし、毎日陰鬱な日記を更新しながらもそれに共鳴してくれたネットの友達を経由してライブハウスにも通うようになり、色んな出会いによって感受性も育ち、女の子の友達も増えて(この時ぐらいから急に男性が苦手になっていく)、本屋で何となく目にしたクイックジャパン(表紙が当時気になっていた関東ローカルのテレビ番組「虎ノ門」が特集されていた)という雑誌に出会ってから音楽・お笑い・ラジオ・漫画・小説・コラム・アイドル・映画・演劇etc...いわゆるサブカルに陶酔しながらも私は、当時baseよしもとやインディーズのお笑いオーディションを受けながら、mixiのバンドメンバー募集コミュニティを使ってバンド活動も始めていた(と言っても大学を卒業するまでは銀杏BOYZ・マキシマム ザ ホルモン・THE BACK HORNなどのコピーバンドばっかりでオリジナル曲のバンドを結成するまでにかなり時間がかかった)。


その辺りから私はスカートを穿(は)き始めた。
きっかけは覚えていないけど、心斎橋のエスニック系の小さなお店にドキドキしながら入った事を今でも覚えているし、そのカーキ色のスカートを穿いてあくまで「僕はお洒落としてスカートを穿いてるんだよ」という雰囲気を出しながら心臓をバクバクさせながら大学に電車で通っていた事も、私とすれ違った女の子4人に「今の人は有りか無しか」みたいなコソコソ話をされた事も鮮明に覚えてる。
サブカルに感化された私は例に漏れず自分はあいつらとは違う特別な人間になりたいと思っていた(あいつらって誰だよ)。
でもだからスカートを穿いてたかと言われると妙な違和感がある。
ケンドーコバヤシもバッファロー吾郎も峯田和伸も大槻ケンヂもスカートなんて穿いてはいない。
私は純粋にスカートを穿きたかったから穿いていた。
スカートを穿けば鬱屈した日々が何か変わるんじゃないかと信じていた。
その勇気をくれたのはサブカルがくれた過剰な自意識だったのかもしれない。
もちろんそんな事では鬱屈した日々は何も変わらなかったけど。


時はかなり流れて色んな活動が上手くいかないまま、ノリで女友達と「なんか面白そうだしアイドルでもやっちゃう?」となった時、平静を装いながらもアイドルになったら合法的にお化粧ができるし合法的にスカートが穿けるという事実に実は私はとても胸を躍らせていた。
当然お化粧に関しては何の知識も無かったので当時のメンバーの子にやってもらいながらメイク道具を買うところから始める。
お化粧をする事で可愛い顔になるというこの体験は私にとってとても新鮮だった。
そしてライブハウスで女装をしてアイドルっぽい事してたら面白いって思ってもらえるんじゃないかな〜ぐらいの軽い気持ちで始めたこの活動は皮肉にも今まで血の滲む思いで取り組んでいたどの活動より褒めてもらう事になった。
活動を続けていくうちにアイドルの世界が少しずつ分かってきて真剣になればなるほど、女装しているだけの自分という存在はアイドルを応援するお客さんにとっては全く求められていない存在だと気付くようになる。
そこから私は女の子になりたいという気持ちを少しずつ持つようになった。
「ライブハウスでお笑いっぽい音楽活動でもしてみるか」というぐらいの軽い気持ちで始めたこのアイドルという世界は「私が可愛い女の子になればグループの人気も少しは出るんじゃないだろうか。そうすれば私もメンバーの子たちもこんな惨めな思いをしなくて済むんじゃないだろうか。」と思い悩むほど、生半可な気持ちでやれる簡単な世界では無かった。


元来のんびりとした性格だった事も相まって女の子にお世話をしてもらう事が多かった私は有り難い事にメンバーを始めとした周りのアイドルの子達が色んなお化粧や美容の知識や女の子としての作法を教えてくれた。
しかしまるでそれが違う国の言語であるような錯覚を覚えるほど全く頭に入って来ない。
「男なら男らしく生きていかなければ人権は無い。」とオーバーかもしれないが産まれた時からそのような同調圧力の中で生きてきた年数(今思えば男性が苦手になっていったのもそれが大人になると強く感じる事が増えたからかもしれない)がこの子たちの年齢よりも遥かに長い自分にとって、急に女の子の文化や作法を覚えて実践というのはとても難しく、何度も何度も同じ事を言っても全くこなせない私を見ては、周りの女の子たちも時に苛立ち、そして怒る事すら止めて、だんだん諦めるようになってきた。


ある日、OLをしている同世代の女友達とご飯に行った時の事だった。
普段から女の子として何もできない私を知ってる人たちには信じられない事かもしれないが、彼女たちは私の事を女性としての意識が高過ぎると褒めちぎるのである。
もちろん多少はお世辞もあるとはいえ、明らかに普段の周囲からの評価とこの一般女性たちの私への評価が全然違う。
そこで私はやっと気付いた。
日常的にアイドルと共にしていると彼女達が一般人と比べて可愛過ぎるという事を忘れてしまう事に。
「かわいい」の東大クラスである彼女たちに、足し算・引き算を覚えたばかりの私が微分・積分を教えられたところで到底理解できる訳が無かったのである。
私はただアイドルたちに教わった女の子としての基本中のイロハを会話の種として女友達に話していたが、それは一般女性にとってのイロハでは全く無かった(優劣という意味では無く、種類が全く違った)。
きっと周りのアイドル達は自分達が可愛くなる為の興味のアンテナが人並み外れた感度を持っていて、自分たちでも気付かないほどの努力と研究を重ねてそこに存在している事に私はずっと気が付かなかった。


そして私は何となく蓋をしていた信じたくない事実にも気付く。
私は化粧や美容に全く興味が無かった。
私は可愛くなりたいしかわいいと言われるのは大好きだけど、お化粧を研究する努力が全くできなかった。
美容への興味もさほど無かった。
はっきりと言えば化粧も美容も日々のケアもめちゃくちゃめんどくさい作業だった。


自分もこんなかっこいい人たちになりたいとお笑いやラジオに投稿するネタは頼まれなくても小学生の時から何百本と書いてきた。
恋をしたり悲しいことがある度にギターも大して弾けないのに存在しない曲の歌詞を何百曲も書いてきた。
周りの受験モードに流されながらも当時成績が悪かった私は周りの全てを見返したいと大学受験の時は毎日14時間は机に向かっていた。
私はずっと今も「スカートを穿いてみたい」と誰にも言えずに秘めていたあの幼少期(私は母親に幼少期の誕生日プレゼントにおままごとのセットをねだっていたらしい)の欲求をただ持っているだけで努力もできないただ夢を見ているだけの男に過ぎなかった。


もちろん本当に全くこれっぽっちの努力をしなかった訳では無い。
色んな女の子の言う事を聞いては分からないなりに素直に従っていた。
しかしこれが良くなかったのかもしれない。
後にお化粧や美容やダイエットには色んな流派や正義がある事を知る。
つまり女の子それぞれで言う事が全く違うのだ。
色んな女の子の言う事を何も考えずになぞるように従っていた私はその度に「前に言ったアドバイスを全く聞いてくれない」などと怒られる。
そりゃそうだ。
誰かのアドバイスに従ったら誰かのアドバイスを無下にしてるという事にその時は気付いていなかった。
私はかわいいと言われたらそれで良くて、自分の中のかわいさの正義やオリジナリティなどはどうでも良かった。
ずっとあの卒業文集のアンケートで得た「かわいい」と人に良く思ってもらえるらしいという不確かな根拠で動いていたからかもしれない。 
私がたまに言ってもらえた「かわいい」はブルドッグを指して言うような種類の可愛さであって、数々のアイドルが天性の顔面や血の滲む努力や研究の末に得た「かわいい」とは全く異なっていた事にやっと気付いた。


私は本当に女の子になれているのだろうか。
少しは近付けているのだろうか。
「いっそ殺してくれ」と思うぐらいの痛みを身体中に浴びせられた全身脱毛をしただけで「まきちゃんすごい!まきちゃん頑張ってて意識が高いね!」なんて言われたりもしたけど、頑張ったのは悶絶する私に気を遣いながらも4時間かけて何千本もレーザーを打ってくれたお姉さんである。
自分の努力不足に気付いていないのか棚に上げてたのか、それでも自分なりに色んな挫折や葛藤と対峙しながらも私はオカマキャラという鎧に身を包み活動を続けていった。
時に自分を「ブサイク」というキャラに仕立て上げ、激しいパフォーマンスで笑いを取る事で異質ながらもこの世界に居ても許される免罪符を得たと同時に可愛くなる努力を放棄できる免罪符も得た気になっていたのかもしれない。
何故そこまでしてアイドルで居続ける事に固執していたのかは未だに分からない。


そして当然のことながらそんな活動を続けていると、時に自分を男性として揶揄される事が増え、それに傷付いている自分に矛盾も感じていた。
周りの女の子達は「まきちゃんは女の子だよ!」「まきちゃんは男でも女でも無くまきちゃんという生き物だよ!」と言ってくれてそんな言葉に涙が出そうなほど救われている反面、女の子にならなくてはいけないと自分を律すれば律するほど自分の中に閉じ込めていた男性の部分が浮き彫りになるような感覚に襲われその都度自己嫌悪に陥っていた。


旧友と会うとあの頃とは変わり果ててしまった私の近況に「でもあなたは昔から中性的だったもんね」と言われ、驚くと同時に強く安堵する。
そんな態度で接していたつもりは無かったが、だからこそ自然と私は女の子の面も持っていたんだと実感できて抱えてた罪悪感や嫌悪感が少し溶けていくのを感じる事もあった。


私は銭湯に行くのが苦手だ。
好きか嫌いかで言うと好きだけど、億劫な事がとても多い。
今では東京遠征する事も多いので銭湯や大浴場に行く機会はよくある。
開放的な広い湯舟は身体も心もリフレッシュになるのでこの仕事をする上でとても大事だから可能な時はできるだけ入るようにしているが、入り口で女性に間違われ訂正するのが毎回とても面倒だ。
女性に間違えられて嬉しいという感情も実はある。
だけどその後に本気で謝られるのが得も言われぬ罪悪感に苛まれる。
そうなるのが毎回とても申し訳ないので、できるだけ男に見えるように化粧を落とし長い髪を束ねてビートたけしのモノマネよろしく首をコキコキ鳴らすふりをしながらガニ股を意識して歩いては出せる限りの低い声で銭湯の受付には話すように心がけている。
着替える時も誰もいないかを確認してコソコソと脱衣所に侵入する。
髪が長いからなのか肌が白いからなのか背が低いからなのか、誰か居たらジロジロ見られるのでできるだけ男っぽい咳払いをしながらヤンキーみたいな顔と歩き方をして着替えを始める。
たまにブラトップを付けてた事を忘れていて、気付いた瞬間に高速で脱いで見られてなかっただろうかと周囲を見渡しながら、また誤魔化すように低音咳払い&ヤンキー所作&ビートコキコキの3点セットをする事で周囲にアピールする時もあった。
もしみんなもこういう状況で困った時が来たら遠慮無くこの3点セットを使う事をオススメしたい(そんな状況は恐らく来ない)。
入るのは好きだけど、私にとってやっぱりちょっとめんどくさいのが銭湯なのだ。


特別な人間になりたいと願ったかつての私がどうして普通の人間になれないのだろうかと思い悩む姿は喜んでいいのか悲しんでいいのか自分でもよく分からない。




そしてそんな折、自分の写真集を撮る事になった。


私はきっかけをずっと探していた。


もう無理して女の子にならなくていいんじゃないだろうか。


可愛くなりたい男として生きていく方が楽なんじゃないだろうか。


グループに男性が居る事で応援したくない人が絶対的に居る以上(そりゃそうだ。自分がオタクでも推したいとはならないと思う。)、私はメンバーの為にせめて精神だけでも女の子で居なくちゃいけないと思っていた。


私がグループに居る事で入り口としては入りやすかったかもしれない。
私がきっかけで色んな人に認知されてグループとして愛されるようになったかもしれない。
それでもくぴぽを1番に好きだという人は私が居る事で確実に少なくなってしまう。
そんなハンデを抱えながらメンバーにアイドル活動をさせて良いのだろうか。


私は自分の歌詞割りを極端に減らして、自分が歌わない事でも成り立つポップな曲も増やし、できるだけメンバーひとりひとりの個性が際立つようにくぴぽをブランディングし始めた。
まきちゃん率いるくぴぽでは無く、くぴぽの中に1人異物であるまきちゃんが居る形の方が受け入れてもらいやすいと思ったからだ。
そしてそれは恐らく功を奏してグループにお客さんが少しずつ増えていく実感を得ることができた。
私もメンバーではあるけれど結局はこの子たちを支えるスタッフなんだと思う事で自分が傷付く事を減らし自分の存在価値を麻痺させていた。
あれだけこだわっていたくぴぽとしてステージにずっと立ち続けるという思いも、とある時期に起こったメンバーのモチベーションの低下や(売り言葉に買い言葉であったとは思うが)その時期のメンバーからまきちゃんはグループに必要無いと言われた事で自分が脱退するという事を選択肢の最上位に上げていたのも今思えば麻痺していたのかもしれない。


この前メンバーに「あなたはとっても可愛い人で表現者としてすごい才能を持ってる人なんだよ。あなたが作る歌詞を歌えて私たちは恵まれている。」と言われ、お客さんには「もっとまきちゃんの歌詞割りを増やしてよ」と言われた。
1年前までならそんな少数派の意見は聞き流していた。
気持ちは本当に嬉しかったがグループが上に行く為には取り合ってはいけない意見だと思っていた。


ただこの約1年ほどで有り難い事に、言うのも恥ずかしいほどのほんの少しの数だけど「まきちゃん」を応援する人が増えた。
それは自意識と自己嫌悪と諦念で形成された厚い氷のような私の固い意志を少しずつ溶かし、その小さな灯がゆっくり重なっていく事で強度を持ち、とうとう私の心に触れるところまでその光は到達するようになってきていた。
そうすると本当に申し訳ない情けない話だが今まで自分に頂いていた気持ちや応援がスッと時間差で心に落ちてきてアイドルとしての自己肯定感を手に入れる事ができた。
私はその方が効率が良いからと自分がアイドルとして認めてもらう事から目を背けて、ずっとメンバーの魅力がどうやったら色んな人に知ってもらうかばかりを考えていた。
今、私はやっとアイドルとしての自分も色んな人に知ってもらわなきゃいけないと思えることができた。
それは私を好きだと言ってくれるお客さんとずっと肯定し続けてくれたメンバーのおかげだ。


私は女の子になれなかった。
それでも私をかわいいと言ってくれる人が少し居る。
それは男だからとか女だからとかじゃないような気がする。
もう無理して女の子にならなくていいような気がしてきた。
それでもかわいいとは言われたいし思われたい。
でもやっぱりかっこいいも嬉しい。
男に見られようが女に見られようが褒めてもらえてる時は私は何でも嬉しい。
デリカシーのある人たちが男として接すればいいのか女として接すればいいのか私を傷付けるんじゃないだろうかと困ってる姿を見るのは本当に申し訳ない気持ちになる。
あの卒業文集のアンケートの順位が呪いなのか生き方を示してくれた希望の光だったのかは未だによく分からない。
自分が男とか女とかどう見られているかで苦しんでいた私だったが、結局男とか女とかに1番縛られこだわっていたのは私だった。


「まきちゃんはまきちゃんという生き物。」
と誰かが言ってくれた言葉が急にしっくり来るようになった。
とはいえもうちょっとダイエットは頑張りたい。
頑張って顔は痩せたが胃下垂なのか何なのかお腹は全然痩せてくれない。
未だに興味は持てないけどあの頃よりかはお化粧や美容の事もほんの少し分かってきた気がする。
でもやっぱり誰かが言ってくれるアドバイスを何も考えずそのまま従ってやるのが楽だ。
写真映りの表情も何となくマシになってきた気もしないでは無い。
未だに自撮りはめんどくさいけど、買ってくれる人が増えたおかげでランチェキを撮るのが最近楽しくなってきた。
こんな私にもガチ恋と言ってくれる人が居たり、グループの中では1番目に推してくれる人が居たり、2番目でも推しと言ってくれたり、チェキを撮る事は無いけど好意を伝えてくれる人が居たり、グループのファンでは無いけどライブで拳を上げてくれる人が居たりと色んなお客さんが現れるようになってきた。
それでもやっぱり根っこは笑いが欲しいのでこれからもっと楽しくて笑えるライブがしたいな。
本当は私はみんなのオモチャで居たい。
かわいいでも面白いでもかっこいいでもバカでも自分を楽しんでくれたらそれが1番嬉しい。
この前アップしたおむつの自撮りなんかもっと笑ってもらえると思ってた。
おむつもお腹ポコンって出てるのも面白いかなーとか思って。
これはこれで可愛いくね?なんか思っちゃったりして。
でも笑いにくくしてたのは今までの自分が自意識をまき散らしたせいかもしれない。
だってチェキ撮る時は息止めてお腹へっこませてるんだもん。
どっちなんだよ。笑
めんどくさいよね。
そりゃ愛の無い明らかなディスは傷付くけど好意があれば結構何でも嬉しい。
これからもバカだなーって笑ってよ。
この前お客さんに「ライブ中のまきちゃんの顔芸が面白い」って言われちゃってさ、かっこいい顔してるつもりだったのに。
でもそれがめちゃくちゃ嬉しかった。
楽しんでくれたら何でもいいし、好きって思ってもらえるなら何でも良くて。
そうやって笑ってる顔が見れたら何でもいいよ。
それも全部含めてかわいいってなればアイドルとして最高のまきちゃんになれるのかな。
コロナになってバカな事あんまりできなくなっちゃったんだけど吉本新喜劇みたいな、ドリフみたいな、ダチョウ俱楽部みたいな、赤犬みたいな、そんなライブがしたいって気持ちはずっと変わってなくて。
でも最近なんかちょうどいいネタが思い付かなくてさ。笑
あんまり大きい声じゃ言えないけど変なことすると干されるっていうかイベント呼ばれなくなっちゃうのよ。
やっぱり1人で色々考えるの限界なのかもしれないなぁ。
誰か一緒にそういう楽しい事を考えてくれる人、募集中です。


かわいいって何なんだろうな。
まきちゃんって何なんだろうな。


『僕は女の子になれなかった。』というタイトルの写真集を1月のお誕生日に出しました。
このタイトルにするには勇気が要ったけど、これにして良かったなと思ってます。
このタイトルを付けた事で自分が生まれ変われた気がします。


この本がきっかけで少しでも私を好きになってくれる人が増えたらまた私は私を少しずつ許せるんじゃないかな、認めれるんじゃないかなと思います。


まきちゃん、今までごめんね。


まきちゃん、今までありがとう。


これからもよろしくね。




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「かわいい」と表記するか「可愛い」と表記するか、という本当に読む人からしたらどうでもいいめんどくさい悩みで更新に時間がかかってしまいました(結局考えるのを諦めました)。

今くぴぽは少し春休みを頂いてます。
その間にnoteを更新しようと思って下書きをやっと整理できて書き上げる事ができました。
まだ途中の下書きが6つぐらいあります。
もう1つぐらいは春休み中に更新したいな。

前回の服部フェスのnoteがとても好評でびっくりしました。
何故ならめちゃくちゃかっこ悪い情けない内容を書いたと思っていたからです。
サポートもいっぱい頂いて全て赤字の補填に使わせていただきました。
感謝でいっぱいです。
服部フェスについてはまたnoteに書きたいと思ってますが忙しいとかまとまらないとかで書けなかったらごめんなさい。

最近は積ん読してた本をたくさん読んでます。
面白い本も面白くない本も自分の血となり肉となってる感じが心地良いです。
娯楽としての音楽は年単位で全く聴いてなかったんですが思い出したように少しずつ聴いたりしてます。
意外かもしれませんが私は野球が好きで大谷翔平の活躍を毎日楽しみにしてます。
オリックスも阪神も毎試合ちゃんとチェックするぐらいには好きです。
ラジオも相変わらず色んな番組をずっと聴き続けてます。
当たり前だけど休むって大事だね。

読んでくれてありがとう。
またね。
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