服部真希

くぴぽ

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最近の記事

青いひかり

choriさんが死んだ。 死んじゃったのか。 悲しいよりも。寂しいよりも。 一升瓶から最期の一滴の酒が砂に落ちていったさまが視界に広がっていった。 この人が自分を評価してくれなければ生きていけてなかっただろうなという時期が数年あった。 大阪から遠い京都の二条nanoまでわざわざ行って弾き語りをしていたのは、この人の言葉が欲しかったから。 それ故ほとんどのライブにお客さんを1人も呼べなかったことで恥をかかせてるのではという申し訳ない気持ちといつか恩返ししたい思いがあ

    • 東京

      2ヶ月ほど前に東京へ引っ越した。 長距離運転とライブの繰り返しに疲れた。 環境を変えたくなった。 東京での仕事を増やしたい。 一度で良いから住んでみたかった。 こんな風に色んな人へ言い訳をした気がする。 お気に入りのラジオパーソナリティーが「昔、環七通りを夜中ずっと歩いてたんですよ。」とエピソードを話し始めた時。 好きな小説の中の「甲州街道を渡ったところにその店はあった。」という一節を読んだ時。 マツコデラックスがテレビで東京の色んな土地に住む人たちの特徴を面

      • まきくん

        二重人格とかそういったややこしいことではないと思う。 それは約15年前のとある友達との電話を切った時から始まった。 その子の名前は「まきちゃん」だった。 その日から少しずつ「まきちゃん」と「まきくん」は会話をしていく。 ひとりぼっちの夜にいつもそばにいてくれたのは「まきちゃん」だった。 「まきくん」と「まきちゃん」がよく入れ替わるようになったのはたぶん約7年前ぐらい。 わたしは「まきくん」に語りかける。 「まきくん」は返事はしないけど、当たり前のように傷付いてく

        • 炒飯

          頭がぼーっとすることが増えていた。 5分でできる作業に4日ぐらいかかってしまった時にこのままだと取り返しの付かないことになりそうだなと思い、休むことを自分で決めた。 周りの人は仕事量が増えたからと言うが恐らく違うと思う。 だからと言ってその理由を明確に答えることはできない。 身体にまで不調をきたすことは今まであまり無かったように思う。 今でも体調不良で合っているのかよくわからない。 休むほどでもない鈍い違和感がゆっくり身体の中を様々な場所から通り過ぎていく。 恐

          december ice

          今日確かに12月のスイッチが入った。 音楽なんて聴くんじゃなかった。 「迎えに来て。」と願ういつかの私の手を繋いだ瞬間、 それは灰になって黒いTシャツがまた汚れた。 ガソリンが無くなってその場で捨ててしまいたいほど重たいバイクを押して歩く。 何でこんな日に限って、と胃を犯したくなる。 死にかけても送ってくれた手紙。 未読無視する人間にだけはならないでおこう。 ひろちゃんにやっとLINEギフトを贈れた。 毎年お誕生日に贈っていたのに今年は沢山の人に祝われてる光

          シャンソン

          ステージにある椅子に座って譜面台を調節する。 こんなに冷たくて黒いのに、譜面台って何でこんなにびよんびよんしてて頼りないんだろう。 そんな場所にうさぎのノートを更にびよんびよんな針金で挟んで、背中の黒いネジを巻く。 深呼吸をする。 ライブハウスに流れるBGMはいつだって聞いたことが無い。 暗闇からの視線にはもう慣れたけど、チューニングする時ってどんな顔してればいいんだろう。 もうお願いだから今は私を見ないでほしい。 さっきライブをしてた優しそうな人とその彼女っぽ

          シャンソン

          OSAKA

          大阪のことが嫌いになったのは数年前だった。 この10年、つらいことの方が圧倒的に多かった。 何かトラブルが起こる度に事実と異なるバッシングを受けて 異なるどころか全く身に覚えの無い本当に根も葉も無い嘘を広められ さらには面と向かって「死ね」と言われたときは頭の中が真っ黒になった。 そのほとんどが当時の大阪の(一部の)お客さんだった。 地元愛なんてものは元々持ってなかったので昔から大阪は好きでも嫌いでも無かった。 そんな折、たまたま東京のお客さんたちが我々を面白が

          アイラブユーって言いたいな

          あれから結構な日が経ってしまったがやっと完成した。 積み上げてきたデータを全て消去してみたら数時間ほどでだった。 こんなつもりじゃなかったのに。 でもこれが今の私なんだろう。 一応念のため共有してみる。 ダメならまた作り直せばいいので大丈夫だ。 「すみません。」 「よろしくお願いします。」 「ありがとうございます。」 「助かります。」 そんな電話を今年は幾つもした。 心を込めて。 麻痺しないように気を付けたい。 病院に行った。 また美容院に行けなか

          アイラブユーって言いたいな

          aftersun

          東京1日目:国分寺 今までで1番上手く歌えたと思う でもメンバーがこんな風に歌ったら「もっと雑味を消してシンプルに歌って」と注文するかもしれない 「自分に酔って歌い上げるようなああいう歌い方はしないでほしい」とよく伝えている 「歌うのは好き?楽しい?」そういえばそんな確認はしたことが無かった 彼女たちがどんな顔をして歌っているのか私は知らない 歌詞を解釈したり思いを重ねたり浮かべたりするのだろうか それとも記号の羅列を読み上げるように歌っているのだろうか 書い

          1秒

          この日ずっと心臓に纏わり付いていた。 バンド時代からお世話になってる黒瀬さんと撮影で入ってる留置さんにライブを見られることを少なからず意識していた。 この日カマさなきゃいけない人はもっと沢山いる。 だけどまぁそんな頓珍漢なことを考えてしまう日もある。 お客さんに性別も年齢も国籍も関係無いけど今回初めて男性より女性のお客さんが多かった。 それがどうしたと言われたら本当にどうでもいいことだしやることは変わらないけれど、周りのアイドルと比べて今くぴぽは変な場所に居るのかも

          誰かの為にしか頑張れない君へ

          2023.05.20.(日) 今年は行きたいなと思うライブはできるだけ観に行こうと思っている(徳永由希ちゃんのライブだけ行けなかったの悔しかったな) そんなところにスタッフ探してるとのことだったので「ちょうど行こうと思ってたからスタッフやるよ」と言ったら 泣きそうなほど嬉しいと返ってきて「そんなオーバーな」と思っていたらちょうど私の夢を見たところだったらしい 現在くぴぽのマネージャー的なお仕事を少しずつお願いしている茉里ちゃんの過去を私は何となく知ってるけど、できるだ

          誰かの為にしか頑張れない君へ

          UFOと友人

          新しい私に会えるかもしれない。 そう思った私は連絡を取った。 この数年会えてなかった彼女たちはあの頃のまま私を私で居させてくれた。 想像以上に心が満たされたそこに新しい私の姿は無く、居たのはかつての私だった。 手放しに心から私を認めてくれる彼女たちの言葉に浸ると何もかもが溶けていくようだった。 彼女たちは私がとあるイベンターから言われた心無い言葉なんて知らないし、幾つかの根拠の無い噂を色んな人たちから立てられてることも知らないし、私がグループで人気の無いメンバーだと

          UFOと友人

          水槽

          ある光の帯が現れた日があった 遠征先のホテルでめずらしく部屋を真っ暗にして寝て 起きたら窓からひと筋の光が入っていた 今何時なのかもわからないまま私は水族館で泳ぐ魚のような幻想的な気持ちでそれらの闇とその光に包まれて それがとても幸福なことのようにゆっくり感じてそのまままた眠ってしまった 私はそれから今日まで眠っていたんだろうか アルバムを作ったことも ツアーをしたことも ワンマンライブをしたことも あんなに あんなにも 色んな感情がこの水槽の中を行った

          服部フェス-2023-

          服部フェス-2023-まであと1日というところまで来ました。 昨年の服部フェスは1回目ということもあり全てにおいて手探りでしたが、今年はクラウドファンディングというものに挑戦しました。 色んな葛藤がありましたが、下記にそのクラウドファンディングのサイト用に載せた文章に少し加筆・修正を加えたものを記します。 —----------------------------------------------------------------------------------

          服部フェス-2023-

          いつか忘れてしまうのが悲しいな。

          https://qppo.localinfo.jp/posts/35798674 「わたしってくぴぽに必要ですか?」 彼女は事あるごとに何回も私に聞いてきた。 私は彼女がこのグループに必要な理由を1つずつ丁寧に説明する。 彼女は「ふーん。」と言いながら嬉しそうな顔をする時もあれば、さも私が上手く言いくるめたかのように納得いかない顔をする時もあった。 「私って○○ちゃんみたいな個性も無いし、チェキだって少ないし、大阪来たら交通費も宿泊代もかかって赤字じゃないですか?普通にく

          いつか忘れてしまうのが悲しいな。

          僕は女の子になれなかった。

          アイドルを始めた時はあくまで「女装」だった私が、ある日を境に「女の子になりたい」と思い始めた。 でも、女装をすると決めた時から。 いや、もっと前から。 私は女の子になりたかったのかもしれない。 私は高校生まではその辺によく居る内気でボンクラな男子だった。 スポーツテストでは学年で2番目に成績が悪く、体育のバスケットの時間ではいちいちプレイが中断されるので自分だけ4歩まで歩いていいという特別ルールを設けられるぐらいのボンクラで、当然クラスの中心には居なかったし、自分から

          僕は女の子になれなかった。