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ご自宅で最期を迎えると云う事

ワタシが訪問看護の仕事を始め、はや3ヵ月が過ぎました。

その中で、数人の利用者さまをお看取りさせて頂きました。


私は勤務の都合でエンゼルケアには入れなかったのだけれど、

利用者さまお一人お一人がご自宅で迎えた最後は

病院でのお看取りとは明らかに違い

ゆっくりと、そして温かい時間がそこにはありました。


病院では

医師が心停止、死亡宣告を行うと

看護師だけで あっという間にエンゼルケアを行い

患者さんを葬儀屋さんに引き継ぎ、あっという間にベットを空ける。

退院時のお見送りも、地下にある霊安室から限られた人数のスタッフが顔を出し挨拶を済ませるとあっけなく葬儀屋さんの車は去っていき

その間、ご家族とゆっくりお話する時間もない。

更に、その間も胸にあるPHSにせわしく着信が来る。。。


病院でのお看取りは常に不完全燃焼で

自分の気持ちと、看護と

ご家族の気持ち

そのどれもきちんと振り返る時間もなく

また次の患者さんのケアに入る。


あっけないその時間を不消化に終えて

自身の看護を見失う。

ワタシにとって病院でのお看取りはそうゆうモノだった。


けど、在宅でのお看取りは違った。

家族を自宅で看取るというのは、ご家族にとって負担がある。

そして、常に戸惑い迷い、不安と向き合い、時に喜び悲しみ

覚悟を持って、在宅看護を始めても

諦めてしまうことも多い中

ご自宅で最期を迎える事ができたご利用者さま、ご家族さまは一様に

病院でみて来たご家族と違い

穏やかな表情がある。

もちろん、訪問看護との関係性というものもあるのだと思うけど


最期を見据えた関わりが、ご利用者様とご家族様でできていたから

だと私は思うのです。


自身の最期をどう迎えたいか

そのことを話し合う事を

人生会議と言うようですね。


人の死亡率は100%

いずれは誰もが死を迎える。

その迎え方は様々で、決して同じは無いのだからこそ

理想と現実はもちろんあるのだけれど

自身の思いをまとめておく

そんな時間も大事なのかもしれないな

と、思うのでした。


本日もお読みいただきありがとうございました。


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