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外から問題を見ていること自体が問題。

自分のまわりの、自分が問題と思っていることについて、自分は関係ないかのように蚊帳の外から見ている状態になっている時点で、その、自分が問題の外にいるかのように思っているそのこと自体も含めて問題だ、と思う。

というのは、わかっているんだけど。

実際に、問題を外から見て批判者になってしまっているなぁと反省して関わり方変えてみたこともあるのだけど。

でもまだやってしまっているなぁと。

*

「対話」について話していたときに、
「ただの会話とか業務報告でしかないものを”対話”というように、ちゃんと話したと思っているのがいや」
「うわっつらで同意とか共感とかされるのがいや」
「意見求めておいて、そうじゃないとかいうのがいや」
とか、さんざん愚痴っていて。

「そんなの、あるあるだよ」って言われたり、似たようなことあったって話を聞いたりして、共感得られたことに安心していたのだけど、

「そうやって、上司がいやだって聞いている自分も同じなんじゃないの?」

と、冷静なつっこみを受けた。

言葉も出なかったのは、多少自覚もあるからで。

めっちゃ一生懸命話そうとしているのに、適当な(と自分が感じる)反応が返ってきたり、ちゃんと聞いてないじゃんって感じたり(「多分今○○気になってて聞いてないですよね?」とか言ったこともある)、わかるわかるとか言われても全然かみあっている感じがなくてそうじゃないっていうのも聞いてもらえてない感じとかして、なんかもういいや!どうせちゃんと聞いてないし!みたいに、あきらめている。
「わかるって言ってわかってないくせに」「また続き話そうかって言って覚えていないくせに」とか思いながら話しているし聞いているし、どうせちゃんと聞いてくれないなら、本気で相談したいことは別の人に相談しようとか思っているし。

そんな風に思っているのは、話し方にも出るだろうし、というか直接言ったりもしているし、それで当たり障りのない感じで話してたらよけいうわっつらな対応にもなるかもな。
(でもって、ちょこちょこちらちらと伝えている不満は、私にとっては不満なんだけど、きっと相手にとってはただのいやみみたいになってるだろうな。)

別に上司に悪気がないのも、そもそも1日かそこらの研修で理想の1on1や面談などできるようになっているはずがないのも、その中で教わったテクニックを使おうとしているだけなんだろうとかそういうのも、わかるし。
私がキャリアコンサルとかSIYとか組織開発講座とかODNJとかですごくしっかり「聞く」ことをしてもらっているのに慣れてしまったから極端に理想が高いのもわかるし。

単にもうちょこちょことした不満とかが積み重なって、ちゃんと話すのめんどくさい!ってなっている自覚もあるんだけどさ。
でももう今そこに労力使いたくないんだよー!!

(ってとこが原因でもあるわけなんだけど。)

*

って頭ではわかるけど認めたくはないわけですよ。
だって自分がそこ避けてるからじゃんってことにしたら、がんばらないといけないし。
今そこがんばりたくないんだってば。

(ってので、一般化して相手のよくないところをわかりやすく説明したところ、ざくっと斬られるという。)

*

自分に関係することなのに、自分は関係ないように話しているときは、そういう自分が避けたいところがあるときなんだろうなぁ。

自分に問題あるとか認めたくないから、余計に批判的になったりもするんだろう。

そう思っても向き合いたくないときは結局そうしてしまうんだろうけど。
向き合いたくなく、避けていられるうちは、その程度の問題なんだろうなとも思う。


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