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決められなくても決めて進めばいい。

仕事を進めるときに、
「どう決めるのがいいか判断できないから、まずいろいろ調査して考えよう」
というのがすごくもやっとする。

やらないといけないことがあるけど、それをやるという決断ができない、というようなとき。
「ほかにいい方法があるかもしれないし」
「これだと問題だと言われたり、不満がでるかもしれないし」
と、調査して1番いい方法を見つけたい、みたいな。

一見普通のまっとうな理由だし、まじめに検討してる風だし、そんな風に言われると反対しづらいのだけど、仕事で何かしないといけないときってたいていはそこそこ議論されてたり調べられてたりして、そんな中で今いい案がないなら、それ以上調べたってたいした案は出てこないと思う。

どうしたらいいかわからないから調査しよう、としていたら、どうすればいいのかわからない、というような結果が集まると思う。

あれこれいろんな情報を集めようとしたら、いろんな意見が出てばらけるし、真逆の意見なども出てきたりする。
いろんな意見を深掘りしたら、ねっこは同じってこともなくはないけども、立場や状況がばらばらな人だと求めるものもばらばらだから、まとまることはなかなかない。

いろんな立場の人から意見を聞くのは大事ではあるけど、いろんな人に何が1番いいかなど聞いたって、立場が違うから答えはばらけるに決まってる。
いろんな人の誰もが100%満足するような答えなんて、あるわけないじゃん?

結局、いろんな意見を聞いて、それぞれに角が立ちすぎない無難な案をつくるか、それができないならもともとの案に妥協案つけたりするようなことになったりする。
で、それについて、問題ないかどうかをさらに確認しにいったりする。

だったら、最初から、いったんこれがよさそうって案とか、これで進めたいって案を出して、そこからの調査や確認や調整でよくない?って思う。

いったん仮決めした案についての、賛否確認とか問題あぶり出しだとかの方が、すごくはやく進むと思うんだけど。
まんがいちほかによい案がある場合も、そこで出てくると思うんだけど。

まず決めて、それをどう進められるか?って考える方が、どうにかしたいけどどうしたらいいかな?からはじめるより、すごくはやく進むと思うんだけど。

そう言いつつ、多分進め方の問題でもやっとするというよりも、その進め方の中に、自分の責任で決めたくない感、決めるのを先延ばしにしたい感が見えるから、もやっとしているのだろうとは思う。
(しかも、こうしたいと言って進めたがるのをそういう感じでのらりくらり止められるから余計にもやっとたまるのだと思う。)

どうしたいか、それをどう進めるか、そこからはじめたら、進め方はあまり関係なく、やることが明確になりやすく、進めやすいのだと思っている。
はっきり主張がある案の方が、ディスカッションもしやすいよね?
別に案を出したところで決まりでなくて、そこからが議論のスタートなのだから、まず決めてそこから進めたらいいのになぁ、と常々思うところ。

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