人から見えてる自分がアップデートできてない。
自分で認識している、人から見える(人に言われてきた)自分と、今人から見えている自分がずれてるなって思うことがある。
こういう風に見えるとか、こういう人だよねって言われて、これまでそんなこと言われたことないのになって思うんだけど。
でも実際今は今言われるとおりなのだろうと思う。
昔と今では状況が違うから変わっている部分もあるし、自分で変えてきたこともあったりするし、それなのに、どう見えているか(というか、自分がどういう人なのか)についてアップデートできていないんだな。大人になるとわざわざ言われることも少ないし。
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たとえば、子供の頃、すごい細かいとか完璧主義とか言われてきていて。
それはときにはほめられていたけども、うんざりしていたりめんどうそうに言われることが多くて、直した方がいいのだと思った。自分の満足いくまで細かくチェックしていたら何も進まないことも多かったし、それでは不都合だった。
というのもあって、細かくならないように、こだわりすぎないように、としているうちに、結構大雑把で適当になったと思う。その方がうまくいくことも多かったし楽だったし、もともと適当なところもあったのかもしれない。
ときどき、どうしてもこだわる部分がほんの少し出てきたりするけど、変なところこだわるね、って感じが多く、細かいとか完璧主義的な評価にはならない。
でも昔からよく言われてたのが「細かい」「完璧主義」とかだったので、そう見られているのだろうという意識がまだ抜けてないと思う。
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たとえば、子供の頃の評価ってずっと「なんでもできる子」「頭いい子」だったのだけど。
そう言われても、成績がいいだけだと思っていたし(それは頭いいとはちょっと違う)、なんか突出してできる子の方がいいと思ってコンプレックスだったので、余計言われるといやで印象に残っている。
大学に行ったら個性的な人がたくさんいたし、社会に出たらいろんな分野でそれぞれ仕事できる人がいるし、学校でのやり方なんて通用しないわけで。特に苦手な分野の仕事についたのもあって、まったくできないことも多かった。
答えがあることが得意だったくせに、仕事みたいな答えがないものについて予定調和で答え的なものに向かわせられるのは苦手で、予定調和的な答えがないことの方が好きなので、余計にできてないことも多いと思う。
だから、「なんでもできる」ではなくて、どちらかというとできないことが多い自覚はあるのに、それでも「何もできない」って言われると、そんなこと言われてきてないのにって思う。
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変わってる自覚があるところでもアップデートできてないのだから、自覚ないところでもっといろいろずれてるのだろうと思う。
このアップデートできなさはなんなのだろう?子供の頃の刷り込みが大きいのかな。
認識ずれてるの合わせていかないとだめだなぁと思う。
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