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人のためというのは人のため?

自分の気持ちを優先して動こう、という話のときに、自分は人の気持ちを汲みたい、人のことを優先して動きたいんだ、と話していた人がいた。

そのときの話に限らず、結構よく聞く話。
キャリア系の話とか、やりたいことについての話とかでも、「人のために動くのが好き」「人のサポートが得意」などと言う人はよくいるし、就活やインターンのPRなどでもよくある。

そう言ってる人はきっと多分実際に、自分のことよりまわりの人を優先したり、相手やまわりの空気を読んで動いていたりするのだろう、とは思う。

でも、そう思って動いていることと、ほんとに人の気持ちを汲んでいたり、人のために動いているかって別じゃない?って思うし。
人を優先したいというのも含めて、自分のためじゃない?って思ったりする。

そもそも、人の気持ちを汲むっていうのがほんとに汲めてるのかどうかって、あやしくない?
人のために、っていうことが、ほんとに人のためなのか、わからなくない?

自分の判断で、あの人はこう思っているだろうと思っても、それが正しいのかわからないし。
自分が思うその人のためのことは、その人が望むかどうかもわからない。
表面的に思ってること言ってることと、ほんとの本音の部分が同じかどうか、本人だってわかってないことはよくあるじゃん?

それに、一方的な「相手のため」「相手優先」は、同様の願いと競合してしまうなぁと思う。
お互い、「相手のために動きたい」「相手のことを優先したい」って思ってたら、お互いの願いも自分の望みも叶えられなくない?
自分のことを考えてほしい、という相手の願いとも矛盾しない?

以前、「人のためにばっかり動いてしまう」「自分のために動けたらいいのに」と言ってた人がいた。
だったら自分のやりたいことしたらいいじゃん?と思ったけど、頑なに自分の思う「人のため」を貫いていて、もうそれはそういうポリシーで動きたい自分のためなんじゃない?と思った。

「あなたのために」「あなたの思うように」という人に、その人のやりたいことをやってほしいと言ってみたことがあるけど、自分より相手を尊重したいのだと言って断られた。
それは、私の、その人が自分のやりたいことをやってほしいという気持ちとか、私のことをこうなるのがいいとか勝手に決めないでほしい気持ちとかが無視されてるよね?
私のための雰囲気でいるけど私のためじゃないと思った。

人のために、その人がほんとに必要だろうということを、その人が表面では望んでないかもしれないけどやるべきことあるべき姿にさせる、という人がいた。
それはどうやってその人のためだとわかるのだろう?と不思議に思って聞いていた。
まぁ仕事なら結果出せばそれでいいのかも。

人のために、人のことを考えて、と言っていて、感謝してくれない!という人とかもよく見る。
それは、人のためでなくて、人から感謝されたい自分のためじゃない?

(あくまでも私からそう見えたってだけの話。)

一部の例だし極端な例かもしれないけど、ちょっと似たような人っているんじゃないかなぁと思う。

別にそういう風に、自分のために「人のために」動いている人ばかりではないと思う。
ほんとに、人のために人を優先して動く人もいると思う。

でも、大部分はそうじゃないんじゃない?
結局自分のエゴで自分のためなんじゃない?

勝手な偏見ですみませんとは思うけど、自分で「人のために」「人の気持ちを優先」とか言ってるような人は、なんだかんだ言っても、そうしたいと思う自分のために見えてしまう。
「人のために動く自分になりたい」自分の、やりたいことを満たしているんじゃない?って思う。

そうしたくてしてるなら、それでいいんだけど、自分のためにそうしてるならちょっと違うなっていうなら、違う選択肢を選べたらいいよねって思う。
だから、結局自分が今これをやってるのはなんでかな?ってしっかり観ていけるのは大事だよね。

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