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アートと私ー4 植田正治のこと

 「アートと私」というタイトルであれば「植田正治」のことは書いた方がよいなと思うので、書かせていただきます。

 植田正治(1913-2000)は鳥取出身の写真家であり「少女四態(1909)」「パパとママとコドモたち(1949)」「妻のいる砂丘風景(1950)」←タイトル写真 などが代表作です。福山雅治さんの「Hello(1995)」のジャケット写真を撮ったので福山さんのファンの方はご存じかもしれません。

 私にとっては夫の祖父です。広告写真を観たことはありましたが、夫と知り合うまで作品をまじめに見たことはありませんでした。
 夫と知り合ってからは作品もたくさん見たし、その中には幼いころの夫が被写体の作品もあるのですが、私にとってはまず「夫のおじいさま」であり、「写真家」「アーティスト」という感じではありませんでした。

「おじいさま」(夫は「おとうちゃん」と呼んでいましたが)は本当に家族思いで優しい方でした。
 夫が海外出張に行く話をするとそれだけで心配して「誰かに代わってもらえんのか?」と聞いたという話には笑ってしまいましたが、奥様(夫の祖母)が亡くなったときにはしばらくカメラが持てなくなったと聞きました。
 結婚後に初めて鳥取県境港市のご自宅に伺った時も優しく迎え入れていただき、家族一緒に松江で楽しくお食事したことを思い出します。帰り道の大根島で見た牡丹の花をサッとスケッチされたのを見て、あーそうだったこの方はアーティストだったんだと改めて認識しました。
 そして次の日の朝、私が眠い目をこすりながら起きてリビングに行くと、おじいさまは「植田正治」でした。テーブルの上にいくつかの置物を並べておかあさん(夫の母)をアシスタントにして写真を撮っていたのです。そこには何とも言えない独特の空気がありました。非常にゆったりとリラックスした、でもなんだかピリッと緊張するような今まで味わったことのない感覚でした。ゾーンというのでしょうか「アーティストとはこういう空気の中でモノを創るのか」と合点がいったのを覚えています。
 おじいさまは2000年7月4日に亡くなりました。当日、1歳の娘が手足口病で高熱を出しひきつけを起こしていたので、私は最後に立ち会うこともお葬式にも行けませんでしたが、娘のことをとてもかわいがってくださり、わざわざ初宮参りに来てくださった(おかあさんが「薫子(夫の姉)や寛(夫)の初宮参りにも来たことないのに!」と言ってました笑)おじいさまには心から感謝しています。
 
 一鑑賞者として、植田正治作品の好きなところはたくさんありますが、敢えていうと以下3つでしょうか
①被写体に対する平等な愛と距離感
②妄想を触発する余白
③いろとかたちと質感

①被写体に対する平等な愛と距離感(による安心感)
 「パパとママとコドモたち」は自分も含めた家族を被写体にした写真ですが、家族を横一列に均等に配置しています。(撮影時は位置を揃えるのに苦労したそうです。)本当に全員、平等に愛していたんだなあと実感できる写真です。
 一方で撮影者として被写体に対して一定の距離をとっています。家族への愛はめちゃめちゃあるんだけど、その愛は一旦置いといて、今は被写体に対する愛で写真撮ろうか、というような距離感を感じます。この距離感があることで見る人は妄想の余地を得ます。 「この人はどんな気持ちなんだろう?この家族は普段どんな生活してるんだろう? どんな話をするんだろう? これからどこへ行くんだろう?」
 これは見る人に対する愛だと思います。「愛するということはスペースを与えること」とティクナットハンはおっしゃっています。
  シリーズ「かたち」やシリーズ「風景の光景」は静物や風景を被写体にしていますが、被写体である静物や風景に対する愛を感じます。そんなはずはないのですが、なんだか静物や風景が私に語りかけてきそうな気がします。
 私の敬愛する絵本作家長新太さんが「ボクはここにある椅子が今話しかけてきても何の違和感も感じない。」とおっしゃっていたのと似ていると感じます。静物や風景に対しても「どんなメッセージを伝えようとしているのか」をキャッチするため心を傾けていたのではないでしょうか。 
 この静物にも家族にも偏ることなく被写体としての愛を平等に注いでいる感じがとても好きです。
 
②妄想を触発する余白(見る人に対する愛)
 もう①でほとんど書いてしまいましたが(笑)、余白があることで見る人は妄想の余地があります。余白は見る人に対する愛だと思います。
 よく撮影に使った砂浜、砂丘は「天然のホリゾント」と言われていますが、足跡を丁寧に消してから撮影したと聞いていますので、余白を敢えて創っていたのです。愛だなあ。
③いろとかたちと質感
 「それ全部だろ」というつっこみが聞こえてきそうですが、その通りです。(笑)
 植田正治と言えばモノクロのイメージが強いかと思いますが、私は特に晩年のカラー写真の色合いがとても好きです。ぜひカラー作品も見てくださいね。
 前述した植田正治の自宅のリビングには様々な置物が置いてありました。それはちょっと変わったかたちや表情をしていて被写体になることもありました。よく「おもしろい」と言っていましたね。かたちがおもしろいかおもしろくないかが価値基準の一つだったのかもしれません。
 質感については、触覚優位でファブリック好きの私はとてもうるさいのですが、なぜこんなにリアルな質感が出せるのか、見当もつきません。なんとも言えない「ザワザワした感じ」「モサモサした感じ」「うねうねした感じ」等々、写真でここまで質感を表現できるのか!と感服します。

 行き来が自由になったら、ぜひ鳥取の植田正治美術館にお越しください。また国立近代美術館、東京都写真美術館、にも作品がありますのでお楽しみください。
https://www.houki-town.jp/ueda/works/
http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=9255
https://collection.topmuseum.jp/Publish/detailPage/35939/0






 



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