母難病、父ガン、の私が1年で会社を辞めた話
巷では退職することを「卒業」と言われて祝われるが、1年で会社を辞めた私にはその言葉は不適切なので、あえて言うなら「退学」だと思う
母の病名はALSでドラマ「僕のいた時間」で三浦春馬が演じた役など、病名だけ知っている人もいるかもしれない。ALSを診断されたのは私が高校3年生のときで、それからかれこれ学業と介護、仕事と介護の両立を頑張ってきた。
父は前立腺がんで、がんのなかでもポピュラーな病気らしい。薬が効けば寿命と同じぐらい生きられる可能性が高いそう。ガンは転移しているのでレベル4に分類されるが、日常生活は問題なく送れている。父は若干の介護うつになっているので、そっちのほうがよほど心配である。
前置きが長くなったが、題の「会社を辞めた理由」について3つにまとめた。ふざけた3つの小見出しで申し訳ない。ぜんぶ「〜そう」となっているのはまだ何も経験していないので、ほとんどファンタジーの話だと思ってもらって差し支えない。大学生に毛が生えた23歳の戯言に違いないので、エンタメだと思って読んでほしい。
面白そう
母はALSながら、話はでき、足先は動くのでさまざま器具を駆使してこども写真館の経営をしている。私が脱サラしたのは、この会社の売上が減ってきていることが大きく影響している。会社が倒産すれば、いまの実家も出なくてはいけなくなる。そうなれば病気の母への影響はかなり大きいだろう。また、母の経営が難しくなってくれば誰が社長業をやるのかという話になってしまう。ちっちゃい頃から人に会えば「お母さんの会社を継ぐの?」と、よく聞かれたものだが社長になる気などさらさらなかった。正確には起業はしてみたいと思っていたが、すでにある会社の社長はしたくなかった(ましてや、自分の親の会社なんて)。けど、自分でも面白いものだがいざ会社が危機に陥れば、そんなことはどうでもよくなった。
そうと心が決まれば持ち前のポジティブ精神で会社を辞めて社長になることのメリットを考え始めた。そして、はじめに思ったことは「どう考えても、面白そう」ということだ。
いや、うそだ。ちょっとカッコつけた。
成功している経営者ヅラしてみたかっただけだ。
許してくれ
、、、6割ぐらいは本気でそう思っている。23歳でそんな経験できる人も多くないとおもって、振り絞っていきたい。なんの経験も持ち合わせていないので、振り絞るものすらないことは今は考えないでおこう、
自由そう
人生の途中までシングルマザーで育った私は、母の仕事を常に間近でみていた。最近友人との会話で、「小さい頃はいつも土、日曜日が楽しみだった〜」と聞いて驚いた。何が一般的かは知らないが、両親が結婚するまでは週末という概念があまりなかった。
社会人になってからその自由さが普通でないことがよくわかった。会社には社員を管理するルールがあり、それに則り給与やら役職が規定されていく。平等に評価するためには当たり前である。しかし、愚かな私はそのルールの抜け穴を常に考えていた。なるべく楽して給与をもらうことに、心血を注いでいた。我ながら一番会社に入れちゃだめなタイプだと思う。
それに比べて自分個人で稼ぐとなれば、ルールなんてものは存在しない。もちろん、怠惰な私はそれでも働かない可能性もある。生活保護の選択肢もあるが、こういうやつがお金をもらおうとするから、イメージが悪くなる。そしたらしょうがない、潔く野垂れ死ぬしかないだろう。もう一つの選択肢は怠惰な自分を活かして、効率的に稼ぐ方法を見つけるかもしれない。こっちの方の自分に私は賭けている。(そんなこと思っている人に経営者は向いていなそうだが、)
結局、なにをとっても自由だ。やりたいことはたくさんある。焦りそうになるけど、一つ一つやっていこう。
辛そう
4月1日は大学の後輩や留学に行っていた同期が今日、入社式を迎える。そんな中、私は散髪にむかう電車の中でこの文章を書いている。今日1日は私はなんのお金も生み出せなかった。手取り20万のサラリーマンだとしたら日給にしたら1万円になる。1日で1万の差が彼らと開いていくのだが、彼らに追いつける気がしない。ただでさえ怠惰な私はこのままニートになってしまう恐怖と向き合いながら生きていくことになる。それは意外と怖かったりする。
1年間の社会人研修期間?を終え、社会を知った気になった何もかも中途半端なニートが今日爆誕してしまった。今回は真面目な内容になってしまったが、毎日ふざけたnoteを書いていくので、ぜひ読んでくれたら嬉しい。