#64 ポトシの鉱山の中で考える
※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです
世界一標高が高いボリビア南部の都市ポトシ(約4,000m)。
現在もほぼ手掘りで稼働している鉱山を坑道に入って見学できると聞いて、この街にやって来た。
早速申し込んだツアー。朝8:30に集合し、入山のために必要な装備を装着していく。ヘルメット、ヘッド・ライト、ウエア上下、長靴、バンダナ(マスク用)、バックパック。全てレンタル可能で、ツアー代に含まれているため、個人で準備すべき装備は特に無い。
準備が整うと参加者全員でバンに乗り込み、まずはマーケットを訪れて、鉱夫達への”お土産”を購入した。ガイドの指示に従い、鉱夫達の日常の必需品を中心に、嗜好品を織り交ぜながらいくつか選んだ。
わたしが買ったのは、オレンジジュース(糖分補給)、コカの葉(疲労回復及び食欲抑制)、お酒。その他にもタバコ、軍手、ダイナマイト(ここでは採掘のためのダイナマイトも鉱夫の自己負担)等が、候補として挙げられていた。
ポトシの街中からも見える鉱山まで30分程走って到着すると、ヘッド・ライトのスイッチを入れ、さっそく入山した。淀んだ空気と、鼻をつく臭い、粉塵。バンダナを鼻まで引き上げると、ただでさえ高所で酸素が薄いため、すぐに息が苦しくなり、眩暈を覚えた。
細く暗いトンネルの中、長靴をはいているとはいえ、泥水とぬかるみの道、あるいは不安定な砂利道が延々と続く。最初はそろりそろりと歩いていたけれど、前を行くガイドやヨーロピアンの男の子達がどんどん足早に進んで行き、わたしの後ろがつかえ始めたので、仕方なくバシャバシャと泥をはねながらも歩を速めた。
日本人の女のわたしですら、頭をかがめたりしゃがんだり、時には四つん這いになって進まなければならない場所がしばしば現れた。身体の大きな男の人にしてみたら、ここを動き回るのは相当窮屈に違いない。まるで迷路のように枝分かれした道の所々には、手を使ってよじ登らなければならないような落差もあった。
こんな環境の中で鉱夫達は、一日8時間(長い時は10時間以上)もコカの葉を頬張りながら、ほぼ食事を採らずに働き続けているという。10代の少年から60代の初老の男性まで、年齢幅は広い。
以前ここを訪れた人が「働くことについて考えさせられた」と話していたのを聞いたことがあったけれど、あまりにも原始的かつ過酷な状況を目の当たりにして、正直なところわたし自身は、自分の”働く”の概念と上手く重ねてイメージすることができなかった。
むしろ、子供の頃に訪れた佐渡金山博物館の昔の採掘風景を再現する人形を思い出した。たしかそれは、過酷な労働を強いられていた囚人の姿の再現だった。(もちろん、現代のセロ・リコで働いている鉱夫たちは決して囚人ではないけれど)
ガイドを先頭にわたし達が一列になって進んでいると、前から後ろからトロッコを押した鉱夫達がやってくる。その度に、むき出しの岩の壁にぴたりと寄り添って道を開ける。そしてガイドの指示を受け、何人かがお土産として持ってきたジュースやコカの葉、タバコなどを渡す。
途中、ガイドの友人あるいは元同僚という数人の鉱夫達に出会った。
わたし達のガイドも20代の前半に、2年程ここで働いていたという。彼らは近くに仕掛けたダイナマイトが爆発するのを待っているところだった。そこで、わたしを含め何人かが持ってきたジュースとお酒を渡すと、その場に皆座り込み、小さな酒盛りが始まった。
事前にわたし達はガイドから「鉱山内で鉱夫からお酒を勧められたら、断ってはいけない」という話しや、飲む時の作法を教わっていた。
ペットボトルのクチの部分をフタ付きのまま3cm程切り取り、それを逆さにした手作りの盃。そこに、わたし達が持ってきたお酒をオレンジジュースで割ったモノを、鉱夫の一人が注いでくれた。口をつける前に、地面に数滴たらす。彼らの”大地の神”パチャママに敬意を表すためだ。
それから「Upurkushun!(乾杯の意、わたしにはウッピリクーサ!と聞こえた)」と言って一気に飲み干す。ジュースで割っているとはいえ、元のアルコールの度数は100%近くで相当高い。皆で一つの盃を回しながら5~6杯も飲むと、わたしの頭はクラクラ、視界はフワフワし始めた。
順に盃を回しながら、ガイドの通訳の下、鉱夫達の名前や年齢、鉱山で働いている年数などを聞いたり、ポツリポツリとした会話。その後、今回のツアー参加者がそれぞれどこの国から来たのかをガイドが紹介してくれた。わたしのことを「ハポネス(日本人)」と紹介すると、鉱夫の一人が「TOYOTA!」と言って笑った。
坑道から続くほら穴のようなスペースで、鉱夫達と共に輪になって座っている不思議な光景。
ぐるぐる回ってくる盃をちびちび空けながら(最後の方は一気飲みはできなくなっていた…)、ふと、ナミビアのヒンバ族の小さな村を訪れた時のことを思い出した。
あの時もガイドの指示に従って、”お土産”として、スーパーで買った食料(小麦粉、砂糖、バター、オイルetc.)を持って行った。彼女達を観に来る”よそ者”のわたし達は「疎ましがられてもしょうがない」と思っていたら、思いの外の歓迎ムードに驚き戸惑いつつも、一緒に歌を歌ったり、彼女達の作ったごはん(ウガリのようなモノ)を味見させてもらったり、沢山写真も撮らせてもらった。
少数民族や、特異な生活環境にある人達を見学しに行くツアーは、世界中に沢山ある。
そこで設定されている写真代。
それをいくつかの国々で体験してみて、勝手な観光客の立場で言うならば、写真を一枚撮る度に「Money!」と手のひらを差し出されるよりも、そこへの入場料に写真撮影代も含まれていたり、あるいは上述のようにお土産を持参する方が気持ちがいいな、とわたしは思う(至極勝手な言い分なのは承知の上で)。わたし達の訪れたヒンバ族の村では、写真を撮ることに対してお金を要求されることは、一切無かった。
一方、エチオピアの少数民族の村やマーケットを訪れた時は、事前に散々聞かされてはいたけれども、カメラを持って歩いていると「Photo! Photo!(わたしを撮って!」「Money!」と言って腕や洋服を引っ張られ、写真用にその場で装飾品を身につける姿を目の当たりにする違和感。「いや、確かにそれが観たくて来たんだけれど、写真のために今だけ身に付けるんですか…?」その姿が珍しいから観に行っている身としては、本当に勝手な感想。
ポトシの鉱山を訪れる観光客がもたらす品々は、決して高価な物ではないけれど、鉱夫達にとっては生活必需品だ。それを渡すと、彼らは「グラシアス!(ありがとう!)」と言って受け取ってくれる。
観光客として、彼らの希少性を見せてもらうこと(あるいは写真を撮らせてもらうこと)に直接お金を払うのではなく「少しでも役に立つことができたかな…」と思える方がいいな、と大変身勝手ながら思うのだ。
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