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#12 ギャラリーを取り巻く人々

※この文章は2013年〜2015年の770日間の旅の記憶を綴ったものです

シーパンドンからビエンチャンに戻って来て、すぐに風邪を引いた。熱はそれほど上がらなかったものの、咳と鼻水にひどく苦しめられた。「治るまでは長距離移動は控えよう。」と、この風邪を口実に、すっかりわたしはビエンチャンに居座る腹を決め、毎日ギャラリーに通いつめて、絵を描き続けている。

このギャラリーのオーナー氏は、ビジネスでもプライベートでも、日本に縁が深い人だった。「日本語は少しだけ書けるけど、話すことはできません」と言う割に、ずいぶんと難しい漢字を書けたりするので「不思議だなぁ」と思いつつも、わたしはかなりツタナイ英語で頑張って話していた。
ところが、なんと、彼は日本語を話すことができたのだ!彼の日本人の友人たちがビエンチャンにやって来たとき、紹介されたその場で、いきなり流暢な日本語の会話が始まるまで、わたしは一週間もの間、気づかずにすっかりだまされていた。

そんなユーモアがあるというか、何とも言えないユニークなキャラクターのオーナー氏の人柄のおかげか、このギャラリーに居るだけで、毎日毎日、面白い出会いには事欠かない

たとえば、前述の日本人の友人たちというのは、もう十数年来、”上っ面じゃなく”ラオスと日本の友好の懸け橋になるような活動を続けている方々だ。日本でいえば名士にあたり、今のわたしだと、おそらくなかなか面識を持つ機会はない。
ところが、このラオスのこのギャラリーで、このオーナーを介して偶然にも出会ったことにより、また、新たな発見と興味の広がりに繋がった。気さくで飾らない人柄の彼らから、ラオスとこのギャラリーを取り巻く人たちへの愛情をひしひしと感じた。ラオスにハマりかけてるわたしが、もう長くラオスを愛している人たちから話を聞いていると、旅の終わりは、何も日本へ帰ることだけじゃないんだ、そう思えてきてしまう。

ギャラリーを中心とした広がりと言えば、日本人のカップル二組との出会いもあった。どちらの二人ももう長く一緒にいて、二人であちこち旅をしたり、一組はラオスでレストランを開いたりして
いるけれども、結婚はしておらず、”結婚という形にはこだわらないパートナー”と、さらりと言っていたのがとても清々しくて、気持ちよかった。

ビエンチャンの中心にある大きな通りに面したギャラリーには、毎日色んな人がやって来る。絵に興味があるお客や、ふらりとのぞいて行く観光客だけでなく、オーナーとアーティスト達の友人がやって来ては、ゆったりと歓談していく。日本に縁のある人が訪れることも多く、そうするとオーナーは必ずわたしを紹介してくれる。

ここで、日々、新たに有機的な繋がりが生まれているところを、絵を描きながら、垣間見ることができた。

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