余命3ヶ月だとしたら何をする?
不定期で問いかける「余命が○ヶ月だとしたら何をする?」
この数年答えは同じだった。“夫と娘との日常を過ごしながら、実家に帰ったり、大切な友人に会ったりする”。
昨日参加した講座での「余命3ヶ月だとしたら何をする?」という問いかけの回答は、違った。自分への問いかけだけだと、臨場感が湧かなかったのか、変化のタイミングだったのか。
迷わずおりてきた言葉は
『本を書く』
何かを残す。記録より記憶に残る人生を~ではない。ただ生きた証として記録を残す、が脳裏によぎる。
じゃあ、何書くの。
遺言?自叙伝?何らかの専門家でもない、文章がうまいわけでもない、影響力があるわけでもない。自己満足のため?誰のために書くのだろうとか、書かない言い訳が次々浮かぶ。
目を瞑って集中すると、言葉がおりてきた。
今感じること・感じてきたこと・関わった人たちとのエピソード。
誰にも侵されない私だけの自由な感覚。大切にしてきた人との関係性の中で、何気なく記憶に残ってるシチュエーションや言葉を綴りたい。
と思ったら、余命関係なく今からやったらいいんじゃない?!となるよね。
すぐ始められるしね。講座のワークというものは、ワークのためにやるのではない。いかに日常で活かすことができるか。“余命関係なく、今やろうね”という意味合いの問いは、「今からやろう」と心に響いた。
この問いがすべてではない。ここまで幾度もきっかけとなるものが溜まっていっていて、最後の一手が「余命3ヶ月だとしたら何をする」の問いで動けそう。
書く目的ができた。本を書くため。生きる意義そのもの。
毎日書き続けるエネルギーの源泉ができた。
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