見出し画像

生きづらい私の流行語大賞

なぜか分からないけど、生きづらい。物心ついた時から、得体の知れない不安をずっと抱えてきました。

でも、その「生きづらさ」に名前がついた瞬間、得体の知れないことによる恐怖はなくなります。言葉が認識を生み、認識が正体をつかみ、そうしてはじめて、距離を置き、対処することができるようになります。

そのようにして私を救ってくれた日本語たちを、年代別にまとめてみました。

名付けて、「生きづらい私の流行語大賞」。解説とともに、ご覧ください。

画像1

小・中・高:はっきり言って暗黒時代でした。家庭ではつらくあたられ、学校ではいじめを受けていましたが、なぜ自分がいじめられているのかが分からず、太宰治の「人間失格」などを読んで、いつか死のうと思いながら生きていました。圧倒的に情報量が少なかった。

大学時代:マイ流行語大賞は「ストレス」です。高校1年生からひどい生理不順(経血がとまらない)で婦人科を受診していましたが、「ガンかもしれない」と痛い内診をされたり、「結婚したら治る」と言われたり、いまから考えたら無茶苦茶でしたが、知識がないためお医者さんを信じるしかありませんでした。いまの子どもは不調があると、すぐに「ストレスかもしれない」と言いますが、私が精神的ストレスと身体の関係を知ったのは、なんと大学生になってからだったのです。ついでに「カロリー」の存在を知ったのも大学時代でした。高校までは「カロリー」の概念がなく、大学入試を乗り切るために脳に糖分を、とチョコレートを食べまくっていました。無意識・抑圧・投影・共依存などの心理学用語を学んだのもこの時でした。

20代:マイ流行語大賞は「うつ」です。どうやら、自分がいろんなことができないのは、自分の頑張りが足りないのではなく、脳内物質が足りないせいかもしれない、と気づくことが出来ました。映画「プロザック・ネーション 私は「うつ依存症」の女」の公開が2001年。「片づけられない女たち」の出版が2000年。発達障害という概念も広まり、できることとできないことの差がデコボコな人がいること、いわゆる「変な人」と呼ばれいじめられてきた人は、周りの理解とサポートさえあれば能力を発揮できるということも知りました。なんでもかんでも発達障害と言うな、とおっしゃる向きもあると思いますが、私はこの言葉で救われました。

働きたいけど働けない、親に依存するしかない時期にちょうど「パラサイトシングル」という言葉が流行しました。親からこの言葉を投げつけられ、絶望したのを覚えています。このあたりから、自分を癒すためにアロマテラピーなどの自然療法やスピリチュアルに傾倒していきます。

30代:マイ流行語大賞は「毒親」です。親を「毒」と言い切ってしまう、その思い切りの良さは革命的でした。親は敬うもの、従うものと教えられ、信じてきた世代だったので。親の言動に傷ついてきたことを事実としてしっかりと認識し、その上で親の人間としての弱さとどう向き合うかを考えさせてくれる言葉でした。この時期、20代で「パラサイトシングル」と呼ばれた若者が「ロスジェネ」と呼ばれるようになりました。自分だけのせいではないと言われたようでほっとしました。この流れがマイ流行語大賞40代次点の「自己責任論」へと繋がっていきます。

40代:マイ流行語大賞は「マウンティング」です。職場で毎日のように繰り広げられる気分の悪い会話を、こんなに端的に説明してくれる言葉はありません。どうにかして、こんな世界から早く抜け出したい。「脳を傷つけない子育て」にも注目です。虐待は脳を委縮させ、傷つけるという新事実です。従来傷つくのはソフトウェアだけだとされてきましたが、ハードウェアも傷ついているのですね。

言葉はちからです。言葉があるから問題を認識し、選択・対処することができるようになります。私たちには、情報に素早くアクセスするツールがあり、防具や薬、武器となる言葉もすぐに手に入れることができます。ですが、両親の世代では、それは難しかった。

ドキュメンタリー映画「愛と法」の中で、「だって、(LGBTなんて言葉は)誰も教えてくれなかった」と言う場面があります。そう、私の両親には、誰も教えてくれなかったのです。「発達障害」も「脳を傷つけない子育て」も「ワンオペ育児」も。何だか変だな、つらいな、苦しいなと思いながら、誰にも相談できずに精一杯がんばって、余裕がなくて、無意識に「毒親」になってしまったのかもしれない。ただ知識がなかっただけなのかもしれない。助けてくれる人がいなかっただけなのかもしれない。

そう思うと、50代で流行しそうな「毒親介護」という言葉にも、私は冷静に向き合えるような気がするのです。

#流行語大賞 #生きづらさ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?