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「自分が変われば系の話」に疲れたときは

愛すれば愛されるとか、
自分を大切にすると人にも大切にされるとか、
自分が変われば相手も変わるとか、
そういう話、誰もが一度は耳にしたことがあるんじゃないでしょうか。
なかったらすみません。どこかで出会ったら思い出してください。
長いのでまとめて「自分が変われば系の話」、と呼びましょう。
よく言われていますし、
私も言います。
おすすめもするんだけど
「その話はいったん忘れて、結果を急がない」というのが、
一番大事なカギじゃないかと思っています。

そう思うようになったのは、
若い頃の私がバカだったから。

占い師になるずっと前のこと、
「自分が変われば系の話」を本で呼んで
人を愛そうと頑張ったり
自分を大切にしようと頑張ったり、
自分を変えようと頑張ったりしました。
でもうまくいかないんですよね。
愛されず、大切にもされず、嫌な奴は嫌な奴のまま。
昨日とおなじ今日が続いていくだけ。

私は愛されたかったし、
大切にされたかったし、
自分を粗末にする人に変わってほしかった。
頭がしびれるくらい、切望していました。
自発的な行動と思っていたけれど、結果的には
「〜すれば、〜になる」の後半しか
考えていなかったんですね、私は。
こんなふうにしたら愛されるかなと計算したりとか、
上っ面をちょっと変えて相手の反応を見たりとか、
そんなふうに人を操作しようとしても、うまくいくはずがない。

「愛すれば愛されるとか、いまひとつわかんねえなあ」
「自分を大切にするって、どういうことかなあ」
「自分が変われば相手も変わるとか、そんなうまい話あんのかなあ」
なんて思いながら、
「自分が変われば系の話」のことはいったん忘れて、
好きな人とまっすぐに向き合ったり、
自分が好きなことをやったり、
「今日の自分はちょっと意識高くていいぞ、これを続けよう」
と思ったりしているうちに、
いつの間にか、
ちょっとうれしいことが起きて、
「愛すれば愛される……ははあ」
と思えるようになるんですよね。
「自分が変われば系の話」が成り立つのは、ここでの話。

もちろん最初からうまくできれば素敵なのだけど
冒険の旅で、いきなり伝説の剣は見つからない。
ミステリーで、いきなり謎はとけたりしない。
失敗も試行錯誤もたくさんやって、
最後に「ははあ」と思うわけです。

無駄なことなんて山ほどあります。
変なふうに愛をアピールしようとしたり、
自分が本当は求めていないことにお金や時間を使ったりしながら
わかんねえなあ、ピンとこないなあ、こうかなあ、いや違うかなあ、
なんて迷ってばかりの
不格好で、でこぼこな毎日。

でもあきらめないでいると、
人生はときどき、思いがけないところで応えてくれます。
ときに、自分が想像した以上の幸福をぽつんと置いて、
私たちが気づくのを待っていたりするのも人生です。
もうちょっと分かりやすく置いてくれてもいいんじゃないかと思うんですけどね。
愛されるとか大切にされるとか、人がこちらを向いてくれるという未来は
そんなふうにして、やってくるのではないかと思います。

「自分が変われば系の話」を見たり聞いたりして、
頑張ろうとする人は多いんです。
幸せになりたくて。
でも、それはすぐには見えてこなくて
疲弊したり嫌気がさしてしまったりする。
そんなのキレイゴトだよと人生いやんなっちゃったりする。
誰かを思うことに疲れたり、
自分を大切にするとかわかんないよと思ったり
私が変わんなきゃダメなの?私がダメってこと!?なんて思ったりしたときは
それをやるだけの価値があるかどうかを吟味したうえで
「まあ、ここは一発のんびりやるか」
なんて深呼吸でもして、
「自分が変われば系の話」をした奴を
「あいつめ、偉そうに言いやがって〜」なんてぷんぷんしたりしながら
肩の力を抜いて、
ほどほどにやっていくのがいいんじゃないでしょうか。


そんなふうに思う冬の日です。


2020年上半期の運勢が本になりました。

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