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「1996」と「食物連鎖」

これまでたくさんの音楽作品に接してきましたが、一番聴いた曲(アルバム)は、「1996」と「食物連鎖」でした。

昨夜、訃報を目にしてから、うまく泣けもせず、心にぽっかりと空洞があいたようになっています。
まるでブラックホールのように黒く深く、大きな穴です。

野村萬斎さんがTwitterで「巨星墜つ」と表現されていましたが、私にとってその言葉が、一番共感できるものでした。
世界にとってもそうであるように、私にとっても、とてつもなく大きな存在だったのだと、改めて思い知りました。

どうしてこんなにも自分が塞いでいるのかを考えながら、アルバム「1996」を聴いていました。
思い返せば、どうしようもなく人と、家族とすらうまく接することができなかった頃に、唯一の理解者だった祖母の家に避難していました。
その時、ひたすら「1996」を聴きながら、小説を読むのに没頭していました。(一番しっくり馴染んだのが何故か京極夏彦先生の作品で、特に「絡新婦の理」が最初から最後まで完璧にフィットしていたように思います)

「1996」はピアノ、ヴァイオリン、チェロのトリオ編成からなる16曲で構成されていて、ドラマティックで、強く深みのある音色は、どんなに、何度聴いても、本当に飽きることがありません。
私は音楽に対する造詣が深いわけではありませんが、これが歴史に名を刻むということなんだと、芸術として永遠に残っていくものなのだと子供心に思い知ったのでした。

「Merry Christmas Mr. Lawrence」や「The Last Emperor」といった名曲は勿論ですが、「Rain」や「The Wuthering Heights」がどうしようもなく好きです。
心が掻きむしられるような、居ても立っても居られないような、悲しくなくても泣き喚きたいような、そんな気持ちになります。狂おしいほど心をざわめかせる、そんな激情のような音楽もあるんだと、「1996」を聴いて初めて知りました。

そして次に出会ったのが「食物連鎖」でした。
作詞:売野雅勇、作曲:坂本龍一、歌:中谷美紀という、奇跡の一枚に、多感な時期に出会うことができたのは幸運でした。

一番好きなのは「汚れた脚 The Silence of Innocence」かもしれません。
夏の夕暮れに、この曲を聴きながら見上げた空の透明な色彩にどうしようもなく惹かれた、そういう時間に育てられた感性が、その後の大切な人達との出会いに繋がり、いまの自分を形成してくれました。
あの時間が無ければ、今の私にはなっていなかったと思うと、感謝してもしきれません。

何もかもうまくいかなくて、どうしたいのか自分でもよくわからないような、何処にも行くことができなかった時期に、ただただ内へ内へと没頭させてくれた時間を持てたことが、自分にとって、本当に幸いでした。
そんな時間に寄り添ってくれたのが、音楽家 坂本龍一がつくった楽曲でした。
本当に、感謝しています。

今もまだ何処かで、静かにピアノを弾いておられるのではないかと、思ってしまう自分がいます。
まだ、信じられない気持ちでいます。
いつか何処かで、曲を聴きながら、現実を受け止めて泣く日が来るのでしょうか。
今はまだ、そんな日が来なければいいのに、と思っています。

素晴らしい楽曲に出会えて、本当に幸せです。
ありがとうございました。

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