見出し画像

推し映画について語る10:「機動戦士ガンダムF91」

2019年10月に「機動戦士ガンダムF91」を劇場で観て、泣きました。一番好きなガンダム、F91。もう一度スクリーンで観られるなんて。思い出すたびに、心が震えます。

画像1

劇場公開された当時、私は子供でしたが、祖母にせがんで映画館に連れて行ってもらい、鑑賞しました。子供には内容がちょっと難しく、でもすごく興奮して、もう一回観る!とねだって叶えてもらったのでした。きっと祖母にはちんぷんかんぷんだったのだろうと思うのですが、一緒に観てくれて。そんな思い出込みの作品なので、余計に泣いてしまったのでした。
子供時代の思い出と、昨年ふたたびスクリーンで観れた(しかも、富野監督のトークショーも聴けた!)というエピソード込みで、大好きなF91について綴ります。

推し映画について語る10:「機動戦士ガンダムF91」

1991年3月劇場公開、ガンダム映画化10周年を記念して制作された劇場用オリジナル作品。私が一番最初に、かつ、まともに触れたガンダム作品です。ガンダムも、Zガンダムも通らず、なぜいきなりF91を観たのか謎です。たしか、村瀬修功さんのワークに興味をもって、追いたかったんじゃないかな?

Netflixで観れることに気付き、何度か再生しています。観るたびに「上映時、よくついて行けていたな、濃いな!」と思ってしまいます。笑

宇宙世紀0123年3月、ロナ家一族の鉄仮面、ドレル・ロナに率いられた武装集団は、フロンティアサイドの新興スペースコロニー「フロンティアIV」を急襲する。連邦軍のMS部隊は迎撃するがまるで歯が立たず、いたずらに戦火を拡大させるだけであった。 街を覆う戦火と混乱と容赦ない死の中で、フロンティア学園の生徒であるシーブック・アノーと妹のリィズは、襲撃から避難するために友人達とともにシェルターへ避難しようとする。ガンタンクR-44に乗り込み逃走の末コロニーを脱出するが、同行していた内の一人 セシリー・フェアチャイルドはC・Vに連れ去られてしまう。セシリーの素顔はマイッツァーの生き別れの孫娘ベラ・ロナだった。(Wikipediaより)


印象深い場面・台詞

子供の頃は、意味や真意がわからなかった言葉ことがたくさんあったのですが、それでもずっと覚えていました。大人になってから観たF91の“思い出深い場面”を書き出してみます。

・高校の学園祭のさなか、突如として軍の戦闘に巻き込まれる。友人が亡くなり、「だってよ、アーサーなんだぜ?」と泣くシーブック・アノー(主人公)。

・子供達ばかりの宇宙船で、からくも宇宙空間に脱した瞬間。コロニーに穴が開いている描写、わりとトラウマです。宇宙モノの映画を観るたびに思い出してしまう。

「せざるを得なかったのですよ、せざるを…」子供の頃は、ただ台詞だけを覚えていて、その深みがわからなかった。

・いきなりコスモ・バビロニア帝国の女王=アイドルをと言われて馴染んでしまうヒロイン、セシリー・フェアチャイルドの順応性の高さに驚いてしまう。それでも「一人では生きられないし、覚悟もつかないし」と呟きながら髪を切るセシリーに、子供の頃は、意味がわからなかった行為ですが、今はわかる気がします。

・F91の整備マニュアルにお母さん(アノー博士)が映っていて…という展開にびっくりです。アノーの妹リィズが兄に言う「大人って、しなければいけないことがいっぱいあるのよ」という言葉が深い。

・シーブックがコクピット内で、負傷した父と語らうシーン。「私は、おまえとリィズを、ちゃんと育てた…」と言って亡くなるのが…今は、ここの場面が一番染みます。もう、一言一言が重くて、深すぎる。

・地球連邦軍の軍人たちがヤな感じなのが、ガンダムの深いとこだよな体からと(浅いガンダムファンなりに)思います。でもクロスボーン・バンガードのカロッゾ・ロナ(鉄仮面)が企てる「月と地球の人類を抹殺する計画」は完全なる悪だとわかる。

・アンナマリー・ブルージュの謀反も、子供の頃はピンと来ていませんでした。ザビーネ・シャルの「共に死ねば、お前の惜しさは消えるのか」からの「感情を処理できぬ人類は、ゴミだと教えたはずだが」が、怖すぎる。

・シーブックに再会したセシリーの「こうなっちゃったのよ、こうできちゃったのよ、…どうしたらいい?」ほんと子供心には(略)、でも、わかる。そして家族(かつ帝国)を裏切り、スペースアークに合流するのでした。
なんかシーブック(ヒーロー)とセシリー(ヒロイン)が同じニュータイプで、複雑な心境を分かりあってる感じがいいんだよな。

・アノー博士が「自分の子が兵器を扱うなんて、こんなことのためにF91の開発に協力したんじゃありません!」と激昂し、じゃあ他人が乗って戦うのはいいのか?とエンジニアから詰問される場面が印象的です。
「みんなこんな変な戦争から逃げたいのよ、でもここから外に出るのも怖いのよ」「戦争は怖いし、ひどいし、いけないんだよ」リィズの言葉が重い。

・クライマックス、宇宙に流されたセシリーをシーブックが見つけて、ふたりで月とF91をバッグに漂うシーンは本当に美しい、名シーンだと思います。静かにイントロが重なってくる森口博子の「ETERNAL WIND〜ほほえみは光る風の中〜」も名曲すぎて、ここはもう本当に、至高のエンディングだと思います。

冨野監督の舞台挨拶

2019年、「富野由悠季の世界」が兵庫県立美術館で開催され、その関連イベントとして、神戸の映画館で富野作品が上映されたのですね。F91が掛かり、かつ富野監督の舞台挨拶があった109シネマHAT神戸さんでの上映に、行きました!本当に感無量でした。当時の覚え書きを記します。

・富野監督がF91を「失敗作」なんて仰った時、ちょっと悲しかったんだけど、けれどいろんな思いが今も渦巻いていて、そんな風に言われるんだな…と思えてぐっときました。

「アニメーターは、本当に凄かった!」と、監督が椅子から立ち上がってまで仰った言葉が、めちゃくちゃ胸に響きました。作画は本当に素晴らしかった。特に最後の戦闘シーン、約30年も前のアニメ作品だなんて信じられないほど。「パイロットスーツって、モビルスーツ並みに線が多くて大変なんですよ。それが宇宙空間でくるくる回ってる。ちゃんと回ってるんです。こんなの、どんなに演出家が怒ってやれ!と言っても、やれるもんじゃないんです。物理的に、アニメーターが凄く頑張ったんです」と富野監督が仰っていて。スクリーンで観て、はっきりその凄さがわかった。やっぱりスクリーンで観て良かった!映画館で観ることに意味があるんだと、改めて感じ入りました。

・大人になった今ならよくわかる、とても深くて熱い作品だと。子供の頃は台詞ひとつひとつに込められた想いの重さはわからなかった。
あんなに登場人物が多い群像劇を、しかもどちらかが完全なる正義、悪じゃない戦争の愚かさや恐ろしさを描ききっている、名作だと信じます。

・何年経っても、シーブックはかっこいい。「F91ガンダムは、シーブック・アノーでいきます!」が堪らなかった!あとNetflixで観てはいたものの、細かいシチュエーションやセリフを克明に覚えていたことに驚く。

・富野由悠季展のディレクターさんに言われたという「スピルバーグの宇宙戦争の序盤は、F91のパクリ」発言はめっちゃ笑いました。たしかに似ている。

・富野由悠季監督のサインが…!こんな日が来るとは。感謝、感謝です。

画像2


ガンダムといえば、今年7月に最新劇場作品「閃光のハサウェイ」が公開予定です。F91の作画陣のひとりだった村瀬修功さんが監督!楽しみすぎる。

F91を、改めてスクリーンで観ることができた時の感動を振り返って思うことですが、新作映画をスクリーンで観たい一方で、こうして過去の名作を劇場で観ることの意味は深いな、と思うのです。名作は何年経っても観たいし、経験を積んで改めて観ると、昔とは違う発見が随所にあったりもする。
昔は「名画座」が、日本各地にたくさんあったんですよね。たとえば映画館のコア顧客による投票制で、定期的に過去の名作をリバイバル上映してくれる仕組みとか、あったらいいなあ、などと夢見ています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?