当たり前の、大切さ。
久しぶりに、楽しくて飲み過ぎちゃった土曜日の夜。
けっこう出不精で、飲み会とか、何かの集まりは、ちょっと気合をいれないといけない。つくづくフットワークが重い自分が、ときたま嫌になる。
だけど、そんな私が心の底から楽しみにしている(楽しんじゃう)、友人との集まりが、土曜日にあったのだ。
中学のときの同級生と、地元を遠く離れた東京の街角で、偶然再会したのが9年前。
そんな、ドラマみたいな偶然と縁が重なって、中学時代は友達のグループも部活も違くて、お世辞にも仲良しではなかった3人が、よく会うようになった。
しまいには、みんな同じ路線に引っ越してきて、毎週のように終電をこえて、本当によく遊んだ。
9年の間に、彼氏ができたり、彼女ができたり、結婚したり、転職したり。文字通り、みんなそれぞれ、いろいろあって。
そのつど、遊ぶ仲間が増えたり減ったりしていたけれど、ここ3年くらいは、それぞれのパートーナーも含めた6人で、楽しい時間を過ごしていた。
だけど。
私、沖縄に移住することにしたー
そんなメッセージが届いたのは、東京が歴史的な猛暑を迎える前。
彼女は、沖縄をこよなく愛していたから、いつかいっちゃうかもと、
心のどこかでは思っていた。そんな伏線もあった。
でも、やっぱり突然すぎる、とおもってしまう。
当たり前だけど、たくさんたくさん、考えた結果だとおもう。
みんな、それをわかっているから、聞きたいことも、おもうこともあったけど、楽しく飲んで見送る道しか選べなかった。
残された5人は、会いたいね、といいつつなんとなく疎遠になっていて。
毎年恒例だった忘年会も今年は無しかな。
ちょっと悲しいけど、そうおもっていた。
その彼女が、少しだけ東京にもどってくるという。
さっそく召集をかけたのは、主役の本人。
いつもなら、なかなか決まらないスケジュールも、びっくりするほどすんなり決まった。
とくに今年に入ってから、忙しいというのを口実に、会う回数はへっていた。スケジュールが決まらなくて、会えないことも増えていた。
だって、すぐ会えるし。
たぶん、そう思っていたのは私だけじゃないとおもう。
物理的な距離ができて、はじめてわかった。
あぁ、すぐに会えるって、すっごく贅沢だったんだ。
いつもより、ちょっとドキドキしながら、お店の扉をあけると、
ドキドキしたのが損なくらい、いつもと変わらない顔ぶれがそこにはあった。
どの日本酒を頼むのかで、おおいに盛り上がり、
やれ、お刺身が美味しいだの、今日のお昼ご飯を食べ過ぎて後悔しているだの、副業をやるべきだの、どうでもいいことを真剣に話して、真剣に笑った。
日付がかわって、さすがに解散。よくもまぁ・・・というくらい、よく飲みよく食べ、よくしゃべった。
帰り道が逆方向の私と、私の旦那さんで、4人の後ろ姿を見送る。
ずっと当たり前だった、6人の時間。
今日は、あまりにも「楽しかった」が強すぎて、会えなくなる寂しさは、湧いてこなかった。
てくてく家路に向かいながら、ふっとおもう。
私の横を、今一緒に歩いてくれている人のことも、そばにいすぎて当たり前になっている、と。
”当たり前”は、それを忘れると、人の心や動きを鈍くするのかもしれない。
冬の匂いを感じながら、当たり前の大切さを、あらためて噛みしめた
夜の道。
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