会って、話すことの大切さ
一泊二日で東京から沖縄にいく。
遊びだとしても、仕事だとしても、ちょっともったいない感。貧乏性だけど、仕方ない。
だって、移動している時間のほうが長かったりするし、仕事は滞るし。
仕事ともなれば、経営者目線で「本当に必要なの?」そう言いたくなるのもわかる。
(もちろん、予算が余るほどあるなら別かもです。)
今回の出張は、まさに一泊二日。
それも、昨日の夜に沖縄について、今日の夜、東京に戻る。
滞在時間は24時間。
そのうち、打ち合わせの時間は4時間のみ。
だけど、やっぱり来てよかったと思っている。
沖縄と東京という物理的な距離をなるべくつぶすように、関係している方とは、あらゆるツールを駆使して、こまめに連絡をとるようにしている。
今の時代、話すようにテキストのやりとりができるし、電話だって通話料を気にせずかけられる。
顔をみながら話だってできる。
それでもやっぱり、距離に勝てないとおもう瞬間がある。
遠恋みたいだなーと思いながら、必死にあれこれやっているけれど
やっぱり届かない温度感があるのは、否めない。
近くにいるときは意識していないけれど、無意識のうちに、
相手の小さなクセ、顔色、表情のちょっとした変化に気づいて、
対処しているのだとおもう。
話すスピードをゆるめたり、間をあけたり。
テキストだと、どんなに絵文字をつかっても、どんなに丁寧におくっても
届かない、感じられないものがある。
一見、全てをクリアにしてくれそうな、ビデオ通話もそう。
いくらきれいな画質で顔をみても、微妙なニュアンスは伝わらない。
自分のいる状況も、相手がいる状況も、互いに想像するしかない。
画面に映らないもの、温度、匂い、全て伝わらない。
わたしがローカルな人間だからなのかも、っともおもう。
みんな、もっとうまく、文明の機器とつきあっているのかも、ともおもう。
だけど、やっぱりおもうのです。
時間をかけて、お金をかけて、その場所に「行く」という行為を含め、
会って、顔をみて、温度や匂いを感じて、しっかり話す。
これ以外に、本当の信頼を勝ち得るものはないと。
結果的に、かどうかはわからないけれど、ちょっと難しい話になりそうだった打ち合わせはすんなりと終わって、みんな笑顔で解散できた。
たとえ独りよがりでも、来てよかったなーっとおもうことができた。
関係者の一人が帰り際
「今日はきてくれて、本当に助かりましたよ」
そういってくれた。
普段はクールで、あんまり感情を見せないその人の言葉は、
グッと心の奥に響いて、時代遅れだとしてもローカルな人間でいいや、そう思った。
そうして着いた東京は、想像以上に冷え込んでいて、震えながらの帰り道。
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