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【暗闇の中で】


娘のアート教室。今回はアイマスクをつけて視覚が遮られた状態を体験しながらの創作。

はじめに絵本などを使って理解を深めることから。

「目が見えない人を どうやってお手伝いしますか?と聞いたら、◯◯ちゃん よく知っていて『肘のところを持ってもらって』って。」と先生。

実は娘は「ダイアログ・イン・ザダーク」で真っ暗闇を体験している。自分で白状を持って歩いたこともある。

帰り道、娘に「ダイアログ〜でお手伝いの仕方 教わったっけ?」

「ううん、アテンドの人が登場するとき方向が分からなくなっちゃって、そのときに そうやってたなーって。」

「あぁ、すごいね。教わったんじゃなくて、自分で見て こうすればいいんだって気づいたんだね。」

とてもとても繊細で細かいことに気づけて、共感力も高く、優しい娘らしいなぁと感じて嬉しくなった。

写真は娘の作品【誰もいなくなった廃墟】


その一方で、繊細な心は ものごとを深く深く受け止めてしまうこともあって、、、

夜寝る前、娘が「なんかさ、友だちのノリ?みたいなのが、ちょっとイヤになっちゃってさ。いつもは平気なんだけどさ。」と話しだした。

学校で娘が机を片付けようとしていると、お友だちが「え?それ片付けなくていいんだよ、バッカじゃない。」と言ったらしい。

「いつもは平気なんだけどさ、私、泣いちゃってさ。そしたら それをさらに言われてさ。イヤだったんだよ。」と泣き出した。

「そっか。泣いちゃったか。」

「うん。いつもは平気なんだよ。」

「泣いてるの?って言われたこともイヤで、さらに泣いちゃったんだね。」

「うん。そう。(泣き笑い)そのときさ、算数も分かんないなーって思ってたとこだったから、バカじゃない?って言われて、あぁーって泣いちゃったの。いつもは平気なの。」

(あぁ、何回も こう言ってるってことは いつも平気じゃなかったんだな)

「そっか。そのとき バカじゃない?って言われてイヤだってこと言えた?」

「ううん。言えなかった。言えなかった自分が悪いんだけどさ、そうなんだけどさ。」

(最近、私が「何もしなくても嫌う人は嫌うのだから、なるべく言いたいことは言うようにしてる。その人を前にして言えないことは悪口、陰口になるから。」と言っている影響もあるだろーなー)

「いやいや、悪くないよ。お母さんは もうオバチャンになったからズケズケ言えるようになったけど、子どものころは言えなくて よく泣いたりしてたし、大人になっても あのとき あー言えばよかったって今でも思うことはあるから気持ちは分かるよ。」

「私はね。言いたいことは ちゃんと言えるのがいいなぁーって、でもケンカとかはしたくないの。」

(あぁ、優しいんだなぁー)

「そうだねー、ケンカしたくないし、嫌われたくもないよねー。そうだよねー。」

「うん。」

話を聞いていくと、娘が泣いたあとに お友だちに「私が言ったから泣いたの?」と聞かれたらしい、でも娘は「ううん。」と答えたらしい。

(あぁ、これは「ううん。」って言ってしまった自分のこともイヤになってしまって、さらに泣いたんだろうな)

「そうか。そしたら少し話は違ってくるよね。『私が言ったから?』って聞くってことは『バカじゃない?』は良くなかったって分かってるよね。分かってて私の娘を傷つけたのだとしたら、お母さんは とてもとてもイヤです。周りがなんと言っても、言われた人がイヤと感じたらそれはいじめです。」

(普段から、子どもたちに「あなたたちがやらかしてしまったら一緒に頭を下げに行きます。あなたたちが傷つけられるようなことがあったら守ります。」と言っているので)

「お母さんが、学校に娘がこういうことでイヤな気持ちになりました。と言いに行くこともできるけど、どうしますか?」

(娘は こういうときあまり大事にしてほしくないタイプ、息子も。親が学校に乗り込むとか勘弁してほしいらしい)

「うーん。そう、だからこういうこと言うと お母さん心配すると思って。」

「そうだね。◯◯ずっと、いつもは平気って言ってたよ。それって、そのお友だちの態度 ずっと気になってたってことだよね?それは平気じゃないんじゃないの?傷ついてたってことじゃないの?繊細な◯◯は周りの人よりものごとを深く考える力があるんだよ。だから周りの何気ない一言を深く深く受け止めてしまうこともあるんだよ。それで傷ついたとしたら、それはお母さんもイヤだなぁ。で、お母さん、学校に話すこともできるけど どうしようかね?」

「うーん。」
(自分でイヤとは言えないけど、私が学校に話すのもイヤな様子)

「お母さんは どーしたって◯◯の味方だから、◯◯の気持ちを優先したいよ。でも味方だからこそ、お母さん自身の気持ちも優先したいよ。この2人で考えてても答えは出なそうだよね。」


ここで通りすがりの息子に聞いてみる
「ねぇ、◯◯が お友だちに自分で言えなくて、でも お母さんが学校に言うのはイヤなんだって、そういうとき どうしたらいいと思う?」

息子「うーん。(少し考えて)他の大人に相談する。」

おぉー息子Good Job!さすが自慢の息子だ。

まさに暗闇に光!
またはサポートする肘!
三人寄れば文殊の知恵!(ん?なんかズレてきた)

「そうそう。それよ!お話できそうな人はいる?」

「うーん。」

(娘の新しい担任は20代の男性、こういうことを話すのは抵抗があるだろーなーと思ったので)

「◯◯先生は?(4年生のときの担任)あと お兄ちゃんの担任だった◯◯先生とか。図工の先生でもいいし。スクールカウンセラーさんもいいねと思うよ。」

「あぁーそっかー◯◯先生とかなら言えそうかなー。」

「あぁいいじゃない。いじめです!みたいに深刻にならずに、こんなことがあってイヤだったんだーって話すだけでも気持ちが楽になりそうじゃない?お母さんとは違った角度から見てくれると思うよ。」

「うん。そうだね。」

「イヤだ、って言えないことは悪いことじゃないよ、優しいってこと。でも心が傷つくことは我慢しなくていいとも思うよ。ものごとを深く受け止めるってことも悪いことじゃないよ、それだけ深く考えて たくさん気づけるってこと。それは困っている誰かの助けにもなるってこと。◯◯の繊細なところは とても素敵なところ。」

そんな話しをした。

それは自分が繊細とは気づかないまま生きてきた自分との対話でもあって。

私ってなんでこんなに泣き虫なの?本当のこと言おうとしてるだけなのに。

なんで気にしすぎ、考えすぎって言われるの?

気になっちゃうのは仕方ないよね?

気にしてる私がダメなの?

考えすぎは良くないから考えすぎちゃう私は良くないの?


いやいや、ダメじゃないよ。娘と話しながら思う。

花丸あげたい。

どんな私もOKで、どんなあなたもOK。

前より少し楽に生きられるようになった今の私。

繊細な自分に気づいて繊細な自分と生きていく娘。

実は誰より しっかり自分をもちブレない息子。

それぞれの生きづらさや、理不尽を抱えて、それでも生きていくんだな。

まき

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