職場での対話から深まった人生観
「うち、大学に行って勉強したい!」と、高校生の娘が私に言った。当時の私は40歳でシングルマザーである。「貯金もないし大学は行かせてあげれんのよ」と返事をした。だが娘に神様は味方した。入学金や授業料の準備は整い、娘は国立の大学に合格。そして私の人生も、そこから少しづつ変わって行く事になる。
私は、当時勤めていた温泉施設の仕事を辞め、福祉の学校に行く事を決めた。娘に影響され私も専門的な事を学びたくなったのだ。失業保険を貰いながら専門学校に通い、障害者福祉の仕事に就いた。障害があっても地域生活が出来るよう支援するのが私の仕事だ。仕事内容は多岐にわたり、目の見えない人との散歩や食事。車椅子の人との余暇活動。どこに出掛けようか何をして過ごそうかと問いかける。言葉の話せない人をガイドする。外出、食事、お風呂など生活面でのサポートも大切だ。こんなにも障害をもった人がいる事を人生の中で初めて知った。口からの食事が出来ず、経管栄養をしている子供の学校給食の付き添いにも通い、放課後車で迎えに行って児童クラブへの外出。バギーに寝たきりで話しも出来ず、どうしてあげたらいいのかわからない事が多くただ寄り添い、問いかける事は多かった。そこには私の知らない暮らしがあり社会があった。制度や環境は充分ではないと言うのが、現状を知っての感想である。
こんな難しい仕事の中では職場内での対話がとても重要と位置づけられ、なぜその言葉なのか?なぜその時なのか?と対話は常に深堀りされ、物事の本質に目を向ける事が必要とされた。その職場ではレポート検討会というやり方で問題を文章化して共有し、深める事を大切にしていた。自分の言動を文章化して皆の前で発表し、意見を貰う事は責められている様でとても嫌だったが、後に自分を成長させている事に気が付いた。
あれから娘は大学で語学を学び、希望していた留学経験も含め5年にて卒業。私は福祉の仕事を同じく5年努めたのち離れ、今は暮らしや畑に関わる事を自分の仕事としている。あの時、暮らしや社会の問題と向き合う姿勢を学べた事が、今も人と関わる中で役にたっていると思う。
今日コロナ禍にあり、この社会で人は混乱や不安を感じているが、今までどうりの社会でいいのかと、私は安心して話せる友人や家族の存在に今まで以上に有難みを感じる。困難な時にこそ言葉を吟味し、対話を重ね意見を分かち合い深め合う。その積み重ねで変わって行く現実があることを私達は知っているのだから。
2月24日