見出し画像

どうしようもなさと、レモン

ものすごい豪雨で、車から外に出られなかったある日。窓についた雨粒を撮っていた。


自分の指針のひとつにしている言葉がある。

When life gives you lemons, make lemonade 
人生があなたにレモンを与えるなら、それでレモネードを作れ

この言葉は、色々解釈の幅があると思う。
「転んでもただでは起きない」のような、タフな・強いイメージを持つ方もいるだろう。

個人的には、どちらかというと「勿体ない精神」に近い。
自分の要望・選択の自由なく訪れた状況・手にすることとなったもの…正直つらいこと、煩わしいことも、折角ならばせめてなにか少しでも自分に意義あるものに変換しようとしたい、得られるものがあるのでは、というニュアンスだ。


現実に生まれてくる、ランダムなものごと、偶然性、そういうある種「どうしようもなさ」をどう捉えるかというのは、私にとって重要なテーマなのだろう。

<自分がすること、選ぶこと、聞くこと、自分の身に起こること。すべて「宝くじを買っている」と考えればいいのではないだろうか。(中略)今やってることが、ひょっとしたら何かに化けるかもしれない、何かの役に立つかもしれない。何かと交換ができるものを自分は持っている、って思うと、得とも損とも言えないけれども、ゼロではない何かがずっと手元にあるんだよって、少し力になる。>
『思わず考えちゃう』ヨシタケシンスケ

私の場合、ふと見かけた、目に映った
「何でも無いもの・目立たぬもの・些細なもの」になんとなく意識が向くという性質も、ここまで書いてきた「ランダムとの付き合い方」に関係あるように感じている。

わかりやすく価値の高いものでなくても、鮮やかで華やかでなくとも、今具体的にすぐに何かに役立たなくても。
少しでも気に留まったもの・縁のあったものは、のちのちどこかで繋がるかもしれない。
それゆえに、iphoneのカメラロールにスクリーンショットが2000枚とか溜まることになるのかもしれない。


もともと計画していなかった、想定外や、予想外が。苦みや辛みも。
自分の内側に息づくささやかな彩りを増やしてくれることも大いにあると、信じている。

<今日選んだアミダくじの線が どこに続くかは分からない 怠け者な私が毎日働く理由>
『Letters』宇多田ヒカル

小6から中2まで親の仕事の関係でカリフォルニアで暮らした。当時、環境変化にうまく適応できず、つらい日々だった。庭にはまぶしく実るレモンの木があり、日本では見慣れないレモネードは、現地では日常的に飲むものだった。

そういう記憶も、そこで自分に染みていった認知の癖も、時間を経て受け容れていく過程で、多分溶けて混ざって。今の自分らしさの何処かにいる。

そんな考え方で、 ”make lemonade"を、instagramのIDにもしています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?