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韓国美容に関して、日本の捉え方

日本の捉え方と大きくタイトルを掲げましたが、あくまでも個人見解ですw。
日本美容を僕が学び出したのは、1980年代です。
僕の師匠の時代(約20歳年上です)が日本の男性美容師草分け的な存在でした。
LKの美容師ブームが1960年代これに憧れ、日本人男子が留学をし凱旋で、日本国内でのカット中心型サロンを展開していきます。
それまでは、髪結の流れと婚礼の流れから女性美容師が中心でシャンプー&セットメニューが主流でした。
余談ですが、美容は交通インフラと密接な関係があり、下水道の整備の度合いによりシャンプーの比率が変動し、道路整備によりカラー、セット率が変化します。これはどの国にも言えて各国のインフラ事情によりメニューの構成変化が伺えます。

日本人美容師の目線は、カットはLK,メイクはパリ、働くならばNYSと
ヨーロッパ中心の美容に憧れを抱いていた時代です。
この背景に仕掛けがあり、美容テクニックを輸出産業としていたイギリス、今でも同様にアジア全域にこのホーマットを展開しています。
ファッションを輸出産業にしているフランス、ブランドビジネスとして世界各国の一番地代が高い路面店を押さえています。
それと、世界中の人々が集まるアメリカ、NYCここは学ぶではなくトライする世界の最先端情報が集まる場所ですね。
この3ヶ国が、戦後の日本が憧れた美容の先生であり、目標でした。

90年代に入り、白人の髪質で作るヘアースタイルをアジア人の髪質で再現をさせるカット手法が一世を風靡してアジア人ビューティといえば日本と立ち位置を作りました。
ここで更なる日本の進化は、技術レベルの底上げです。
80年代の凱旋された男性美容師の方々が自社のサロンでスタイリストなれるまでの教育カリキュラム制度を確立しました。
これにより日本美容師全体のスキルアップがされ底上げをして。今でも日本の美容技術水準が国レベルで評価されているのはこの制度のおかげでしょう。
90年代後半からは中国の美容室が日本人美容師を招聘して顧客に高額での販売が始まりました。これは他の業界と同様の日本技術の吸い上げです。
数年もするとこのブームは過ぎ去り中国国内で美容室チェーン店が増幅します。ただ日本美容ブームを続いており病院と同様にインバウンドにてサロン貸切など、来日での美容室利用は未だ継続されております。

韓国に対しても、2010年ごろまでは日本美容がもてはやされていて
僕らも韓国芸能に呼ばれ仕事として韓国出張を頻繁にしていました。
勿論、韓国投資家から店舗出店の話が幾つもありました。
ところが、韓国がエンターテイメント・美容を国策にしてからは事情が一気に変化します。

フランスが、ファッション誌、コレクションをメディアとして活用して
輸出産業としてプロダクトの一つとして美容を
アメリカがハリウッド、ディズニーをメディアコンテンツとして活用
アジアは、韓流ドラマ・KーPOPをメディアとしてフランス同様に美容をプロダクトとして、、
日本は??
国策という力がこれほどまでに影響があるということがこの数年で大差が目を見張るぐらいに感じています。

z世代にはビューティーは韓国一色です。
僕らがz世代と時は、ロンドン・パリ・ニューヨークです。
やはり仕掛けにより流されています。

美容業界人の捉え方は、まだ他のアジアでは日本技術力の高さは評価されています。この火が灯されているうちに再度日本の美容を今後の新興国に広めていければ、次世代の日本の美容業界は明るいと思います。


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