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終わりは必ず訪れる。当たり前を見つめ、問い直し、死との出会い方をデザインする。-Hinata

MAKERS U-18にはどんな人が集まっているのでしょう?3期生、前田陽汰さんに詳しく聞いてみましょう。

9期生エントリー受付終了!10期は2025年3月末開催予定。今冬情報解禁。
詳細はこちら▶https://u-18.makers-u.jp/

簡単に自己紹介をお願いします。

 前田陽汰です。株式会社 むじょうという会社を創業して、主に葬儀事業をしています。むじょうという名前は「諸行無常」から取りました。

 もちろん人間のお葬式も行いますが、人間だけでないもの、例えば、町が終わる、お寺が存続できない、家を手放す、会社をたたむ、といった、色々な物事の終わりをソフトランディングするという、広い意味でのお葬式の伴走、人間の葬式を起点に様々な物事の終わりについて考えるような事業をしています。

そのテーマに行き着くまでのきっかけや背景を教えてください。

 きっかけは、一般的に知られているネガティブな事柄に対して何かを始めようと思ったみたいなところです。自分は島根県の沖ノ島という、すごい過疎地域に3年住んでいて、すごい過疎なので、地方創生や地域活性化という言葉がよく謳われていました。

 地域の文脈としては、活性化こそ正義とされがち、逆に言えば、活性化ができない地域は相対的に悪いと見られがちです。でも、日本中には沖ノ島のように活性化が難しい地域や集落はたくさんあって、自分の代で集落を閉じる、というケースがあると思います。

 終わりが訪れることは摂理として必然でもあるのに、終わりへの眼差しは冷たいと高校生の頃に気づきました。「右肩上がりこそ正義だ」みたいな風潮があって、終わりは当たり前に訪れるものなのに、それを忌避する風潮が強いと感じました。時には罪悪感や後ろめたさを感じながら死んでゆく、なくなっていくというケースもある。

 そこから沖ノ島のような「過疎地の閉じ方」について考えるようになり、今の事業の体制になりました。

 町の終わりというのは実際には町を構成する多くの要素、公共財や資材、そしてそこに住む人々の終わりが絡み合っています。公共財や資材とは、具体的には公民館や地域のお寺、山や家、土地などを指します。そして、それらの中心には人間、その地域で生活する個々の人々がいて、それらすべてが結びついている。だからこそ、人間個人の死も、集落全体の終わりも、どちらも大切です。そして、その終わり方は、町や国、さらには日本全体の畳み方にも影響してくると考えます。いわゆる「撤退戦」に興味がありますね。

具体的にどのような事業をされているんですか?

 インターネット上で追悼サイトを作る、「葬想式」というサービスで身近な人が亡くなった際にその人との絆や思い出を共有するための場を作っています。コロナの影響や家族葬の増加などで、葬式の規模が小さくなってきている中で、亡くなった人を思い返し、メッセージを遺したり写真を投稿したりすることで、その人の存在のリアリティを感じ、喪失感を乗り越える手助けになれば、と考えています。終わりを受け入れ、どのように乗り越えるかが大切なので、そのサポートをしていく事業だと考えています。

 なぜ終わりの話はしてはいけないのか、なぜタブーとされてきたのかを考えたときに、1000年前や戦後直後とかは、もっと日常的に死があったはずなんですよね。例えば、病院で死ぬんじゃなくて、自宅で死んでたりとか。

 「のたれ死ぬ」という言葉が今でも残っているっていうことはつい最近まで普通だったということなので、最近まで、のたれ死んでる人を見ることは普通だった。そこから時代が変わり、今では日常からなくなったというか、日常からのたれ死ぬことをある種排除することに成功したわけなんですけど。

 それ自体は社会のインフラや生活水準が高まったということを意味するのですが、それゆえに、死のリアリティ、ひいては「物事には終わりがある」という、有限性の認識が薄れてきていると感じます。そういうものがあるからこそ、必ず訪れる死という締切に向けて宿題が生まれるというか、生きることの締め切り、人生の締め切りがあることを忘れてしまうような時代だと思います。

 その事実を正しく、当事者から見て直視する、または向き合うという表現になるのかな。そういう場が必要になってくるということで、最初に提供しているのが「葬想式」というサービスになります。

棺桶を使った事業もされているとか。

 そうですね。葬想式にも込めた我々の想いを知っていただく方法として、「棺桶」という場所もある意味、重要な場であるような気がしています。
 棺桶は完全に死んでから入る場所ですけど、パッと見た時に、めちゃくちゃ、何だろう、何か非常にビジュアル的に強いものがあるじゃないですか。反射的に拒否してしまう感じや、中を覗き込んではいけない、と感じる人もいると思います。

 あえてそういうものを意識的に取り入れさせることによって、「自分もいつかはここに入るんだ」とか、「ここに入った時どういう気持ちなんだろうな」とかを考えさせる。生きている時に死を自分のそばに引き寄せてみるという体験が、今は足りていないのではないかと考え、実際に体験してもらったらどのような感想が生まれるのか、というある意味社会実験じみたことも提供しています。

 「棺桶写真館」と名付けて、棺桶に入って写真を撮れるよというイベントを若者に向けてポップに提供するという試みもやってみていますね。

体験した方が死を身近に感じて恐怖を感じたり、より一層「死」をタブー視してしまうこともあると思いますが、それについてはどうですか?

 それは問題ないと思っていて。死に対する考えとか意見みたいなものって、そもそもそんなことを考えたことがないから、持っていないことが多いと思います。だから、それを考えただけで価値があるのかなと。それこそ、死が怖いと思ったのなら、その死が来るまでの時間をどれだけ生きられるか、その時が来るまでの時間をどのように使うかを考え出すと思うんですけれど、それでこそ意味があると思うんですよね。

 締切効果を生むための「死」とか、人生を生きそびれないための「死」。「死」を「生」に活用するってことだと思うんですけど、どうせ死ぬんだったら、ある意味活用しちゃうぐらいのノリで死を乗りこなしていくというか、そういうメンタリティを持つことも素晴らしいなと感じています。

 「死」をカジュアルに語れるようになってほしいわけじゃないんです。体験した結果として「死」をカジュアルに語れるようになってもいいし、余計怖くなってもいいし、体験後の反応については、それぞれの感性に委ねています。その体験のきっかけとなるメタファーを作っているイメージですね。

どのような世代をターゲットにしているんですか?

 私たちの事業の起点は、世代とかではなく、瞬間だと思っていて。例えば、大切な人や親を亡くすタイミングって人によって違うじゃないですか。中学生のときに突然亡くす人もいれば、50代・60代になってから亡くす人もいると。その瞬間で、「死」と出会うわけで。その人がどのように「死」と出会うかが、その後の生き方にかなり影響してくると思っています。その「死」との出会い方を、ある種デザインしています。私たちの「葬想式」もそういうことですし、包括すれば、「死」との出会い方をデザインすることになると思います。

どんなやりがいやモチベーションで活動されていますか?

 終わり方には答えがないんです。例えば、町をたたむといっても、こうやればうまく畳めるとか、決まりきった型があるわけじゃないんですよね。例えば、「この町はこういう歴史があるから、こうやって閉じていくとこの街らしいよね」とか、そういうような個別解がある。

 お葬式も同じで、「この人はクラブでよく遊んでいたから、お経じゃなくてEDMを流してあげた方が楽しいよね」とか、「その人らしいよね」とか。
一つの答えがないんですよね、お葬式も、町の閉じ方も、公共施設の畳み方も。そこが飽きない、というか。

 こうすればああなるというような、ある種のコントロールは不可能な営みです。それがやりがいというか、面白いと感じているので、モチベーションにあたるのかなと思いますね。

メンバーや組織のマネジメントで心がけている点はありますか?

 「むじょう」のある種のメンタリティが、「右肩上がりを問い直す」というスタンスで、成長一辺倒ではなく終わり側に光を当てるという方向性をメンバーには伝えています。具体的なところまで示す必要はないと思っていて、「こういう方向に行く会社だよ」ということだけ定義をしています。そこが思考の補助線になって、「この取り組みは『むじょう』っぽいよね」とか、「これはいいね、進められるね」とか、そういうことが出てきてくれると僕は嬉しいなと思っています。

 なので僕は、具体に落として、ある種の洗脳をかけるみたいなことは何もせず、「こういう方向に会社を作ろうと思っているから、その方向性に共感できる人に入ってもらって、一緒に仕事をする」みたいなところが理想ですね。

 全体の方向性の話と、個別の事業の話って、当然ですがまったく異なっていて、例えば「葬想式」だったら、「高齢者の人も使うわけだから、その高齢の人が使いやすいUIって何なんだろう」とか、そういう細かいことを考える仕事が発生してくるわけですよね。それは一つの点として捉えていて、その点に、「終わり方がどうこう」、「右肩上がりがどうこう」みたいな話は別ですよね。

 会社の方向性の話と、プロダクト一つ一つの細部の話は、一応繋がっているけれど、繋がっていない。会社の方向性だけは決めているから、むしろその枠から出た考えはないと感じています。僕らのクリエイティブフィールドっていうのは、そのフィールド内でイニシアチブが立ち上がってるっていう構造なので、枠から出ていくことはないんですよね。

 マネジメントというよりかは、なんて言ったらいいんだろうな。「生態系」っぽいですね。例えば、「○度以下になると、生息できなくなる虫」みたいな、「○度から○度の幅の中でしか生きられない虫」しかいないみたいな、なんかそういう感じで会社を作ってるような感じなのかもしれないですね。改めて考えてみるとそうですね。

これから5年後、10年後、人口や町が減少していく中で、どのようなポジションになりたいですか?

 終わりのプロフェッショナルっていないと思うんですよね。新しい事業を作るぞ、始めるぞ、という時とかの、立ち上げのプロなら思うのですが、畳みのプロっていないと思っていて。

 「もう存続は難しそう」「どうにかしなきゃいけない」ってなった時に、「じゃあとりあえず『むじょう』に相談してみよう」みたいな感じで、何か終わらせるとか、何かを畳むようなことに際して、ちょっと相談を受けるというか、終わり側に特化して、探究したり研究したりして事業を作ったりしてる会社って、今はないと思うので、将来的にはそんなポジションやそういう位置づけになっていくと嬉しいなと感じます。

 「死」ってどう思いますか?

うーん、なんだろう。難しいです。

 死ぬって確定的なゴールで、避けられないじゃないですか。だからこそ、それをどう活かすかみたいな感じで捉えています。逆に死んだあとには興味がありませんね。

 生きるための思考における一つのガイドラインになっていると思います。例えば、「いついつに死ぬとしたら、今何するか?」みたいなことって、思考実験っぽいんですけど、そのときに「死」というものが使えるんですよね。そういうふうに、僕にとっては「生」に活用するものというイメージのものですね。僕は「死」を締め切りとして捉えている人間だと思います。

 だけど、違う使い方も出来ると思います。例えば、何かしらの物事を考えるときに、その物事が有限であることを意識するというような。

 「お金が有限だからこうしよう」とか「時間が有限だからこうしよう」というように、暫定的な解を出すときに「有限性」ってとても大きな縛りになるんですよね。

 でも、仮に不老不死だとしたら、今の悩みはもしかしたらなくなるかもしれない。例えば、「別に今は人並みにお金を稼がなくてもいいじゃん」とかのように、不老不死だとしたらという前提がリミッター、時間の限度を外してくれて、行動の自由度が上がってくるんだと思います。ある意味、不老不死になりたいわけじゃないけど、不老不死という前提で生きることによって、自由になれるみたいな。そんな考え方もある。

 その捉え方は生きやすさにつながるだろうなと思いつつ、自分の肌に合ってるのは、締め切りから逆算して、締め切りがあるから今どうするかということを考えて、「有限の中で生き抜いていく」みたいなことですね。有限の中だから考えやすいと感じるので、そんな思考で生きています。

 不老不死を前提に生きている人と僕が共通しているのは、「死」をある種活用しているということ。時間は有限と捉えるのか、無限と捉えるのか、というだけの違いであって、どちらも「死」をその人なりに乗りこなしていると思います。

 人それぞれ違った「死」への意味があると思います。自分にとっては、改めて一言で言うと、締切効果を生むためのイベントであってとても大事なことだけれども、大したものでもないと思ってます。人はいつか、死ぬものなので。

<編集後記>

前田さんの想いや理想、そこから湧き出る行動や挑戦、いかがでしたか?
引き続き、応援しています!

[取材日]2023/2/21
© 2023 Hinata Maeda&ETIC. All Rights Reserved.

<最後に>

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