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美しいストーリーとビジョンが目立つ今の時代に、あえてわがままで突き通してみる。なくても困らないけど、あったらいいなを形にしています。-Fumiko

MAKERS U-18にはどんな人が集まっているのでしょう?5期生、髙橋史好さんに詳しく聞いてみましょう。

9期生エントリー受付終了!10期は2025年3月末開催予定。今冬情報解禁。
詳細はこちら▶https://u-18.makers-u.jp/

簡単に自己紹介をお願いします。

 髙橋史好といいます。インドから輸入したガラスリングのD2Cブランドを立ち上げています。ちょうど新宿マルイさんでポップアップを開催中で、今日(11/10)は2日目です。

どんなブランドなのか教えてください。

 大学に入学後、インド向けのYouTubeチャンネルを運用していました。チャンネルが中々いい感じで育ってきて、登録者が約16万人に達したところで、日本のITスタートアップに売却することになりました。

 今はその売却から1年が経ち、新たな挑戦として、インドから輸入したガラスリングのD2Cブランドを立ち上げています。

 実は日本向けに展開してるブランドではなくて、これからもどんどん増えてくる訪日観光客の方向けに、TOKYO LOLLIPOPというブランドで東京土産の新定番みたいな形で打ち出しています。

 30種類あるリングをこのジュエリーボックスの中に、お菓子、キャンディみたいにリングを詰めていってね、というような、面白い購買体験を日本でできたらいいなとブランディングしています。

元々やられていたYoutubeを売却しての次の挑戦なんですね。

 はい。それまで3年間ぐらいずっとメディアで事業を作ってきて、広告枠だったり、誰か他の人が作ったサービスにお客さんを誘導したり、他の人のプロダクトの紹介をするみたいなことをしてきました。

 ただ、もっと何かわかりやすい事業というか、何か、本当にやりたいことなんだっけと思ったときに、小さい頃に思い描いていたお花屋さんになりたいとか、ケーキ屋さんになりたいとか、誰もが一度は夢見る、そういう原点に立ち返って、目の前の人に届くもの、自分が触れるものを扱ってみたいっていう夢があり始めました。ただすごく難しいです。

 あとは、元々キャリアのきっかけがインドにあったので、せっかく事業をするならインドとビジネスをしたいって気持ちはずっとあったので、インドはシーシャっていう水タバコのボトルの生産などガラスの加工が非常に有名なんですよ。そこでインドの水タバコのガラス工場さんと提携して、こういうかわいい指輪のアクセサリーを作っています。

インドに特別な想いがあるんですね。インドとの出会いからどんなことをされてきたのか教えていただけますか?

 元々、2000年に群馬県で生まれて両親は教員でなかなか厳しい家庭で育ちました。少し反抗期が長かったのもあって、高2の時に1年間休学して単身でインドに留学をしていました。

 現地で偶然、インドのデベロッパー系企業の経営者の方にお世話になったんです。その出会いが本当に衝撃的で。当時の2016年から2018年はインドが急速に変化していく時期で、そんな国で初めて、アントレプレナーに出会った。それで企業経営に強い憧れを抱くようになって起業家という夢を追い始めました。

 ただ、当時は何をしていいかわからなかったんですよ。帰国しても学校が厳しく、資金もないので、起業することは難しい状況でした。周りの起業家もインドで出会ったパパしかいなかったですし。それで、何をするか、できるかを考えていて、当時本屋さんに「これからは影響力」「フォロワー戦国時代」のような本がたくさん売っていて、これなら私も高校生やりながら挑戦できるかもと思い、メディアの作り方のイロハを1年ぐらい勉強しました。

 そこで、当時出始めたTikTokを使って、インドの女子高生の日常コンテンツを制作しました。これが最初の成功体験ですね。SNSやメディアは得意分野かもしれないと思いました。

 ただ、その時から何か、自分にハッシュタグを付ける癖がすごくついてしまった気がします。それこそ、いかに短い少ない文字数で自分のことを紹介するか。

 当時だと「インドJKの日常」みたいな発信をしてたんですね。それを3-4年もやって、わかりやすくキャッチーに伝える癖がつき始めると、本当の自分と外向けに出ている自分の乖離に悩む時期というか、しんどさを感じる時期も割とあったなと思っています。

 何だろう、そんなにわかりやすく綺麗なストーリーがあるわけでも、大きな転換期があるわけでもないかもしれないです。

 今こそメディアがどんどん発達して、キラキラしたロールモデルの方や、美しい人生のストーリーなど、挑戦の軌跡のようなものが目に入るようになる。私自身も焦っていたんですけど、でも、本当はそんなに強くない自分がいる。だけど外には強く見せなきゃいけない、わかりやすく伝えるために自分にハッシュタグ、ラベルをつけていく作業をするのが、すごくしんどいなと思っていた時期でもありましたね。

 その後、私が高校3年生のときに池袋の高齢者ドライバーの暴走事故が起こったんです。当時は高齢者から免許返納しろみたいなムーブメントが起きてた時期で。でも私の地元の群馬県だと公共交通機関が発達してなくて、おじいちゃんおばあちゃんが車使えなくなったらライフラインが断たれてしまうみたいな状況でした。

 そこで、何か代替になる町のみんなの足になるようなものが作れたらいいよねっていうことで、インドや東南アジアでよく走ってるトゥクトゥクを群馬県で走らせようよって提案を1年ぐらい行ったんです。そうしたら、群馬県の商工会がすごく発達してい桐生市って地域の皆さんが買ってくださることになり、今5台ぐらいトゥクトゥクが走っています。時期としてはYouTubeと同時進行で進めていましたね。

 Youtubeは、コロナが起きてステイホームの時期で、大学行ったものの授業もなく、東京で一人暮らしで地元にも帰りにくいなと。

 なので、家の中で自分で何に挑戦できるかなと思った時に、私のそれまでの成功体験がTiktokのメディアしかなかったので、メディアかなと。

 そして、どの領域ならチャンネルが成長するかってリサーチすると海外向けのインフルエンサーというポジションで、かつインド向けだと当時、30代のインドにずっと長く住まれてる方だったり、インドに知見がある日本人の方がやられてたので、逆にインドのことを全く知らない学生を集めてインドのリアクションするようなものはポジション取れそうだなと思い、挑戦しました。

 よく日本で出川イングリッシュのリアクションをアメリカ人がリアクションしてるコンテンツがバズったり、日本の女優さんをヨーロッパの子たちがどの人が一番かわいいかランク付けするみたいなコンテンツが伸びたりするじゃないですか。その逆輸入みたいな形で、日本の若い子たちがインドのコンテンツに対してリアクションをする、インドが海外でどう思われてるのかってコンテンツを出していました。

改めて、どうしてYoutubeを売却しようと思ったんですか?

 そうですね。実際にすごく楽しく、登録者の伸びも良かったんですけど、売却しようと思ったのはいくつか理由があって。

 そもそもYouTubeだったりSNSメディアのプラットフォームの中である程度動画を伸ばしていく、メディアとして強くしていくための方法が既に出来上がってしまっていて、例えばこういうタイトルの方がクリック率上がるよねとか、サムネイルは赤い文字の方が人の目を引くからいいみたいな。

 そういう、何か枠に当てはめた方がコンテンツが伸びるって状況になった時に、いつの間にかルーティンワークになってしまったというか。

 企画を考えて撮影をして編集をして、タグの精査とか、今どういうトレンドが来てるのか調べてタイトルを付け直して出す、みたいなことを、本当に業務的にしていたので、どんどん繰り返していくうちに、2年目ぐらいで「なんかこれ、自分のやりたい表現ではなくなってきたな」って感じたのが大きいですね。

 あともう1つはすごくシビアな話なんですけど、国によって広告単価って違うんですよ。1再生あたりの広告の値段がアメリカとインドとかで数倍ぐらい違って、潤沢な資金があって上手く回っていたわけでもなく自転車操業になってたところもあったので、そういうのを含めて、売却して次のチャレンジをしたいなって思ってました。

そうだったんですね。リングブランド立ち上げのエピソードを教えていただけますか?

 YouTube事業を終えたのが2022年の10月とかなんですけど、そこからチャンネル自体の売却をして、ロックアップも1年弱あったので、TOKYO LOLLIPOPの本格稼働を始めたのは今年の夏前ですね。

 ただ仕入れ自体は3月ぐらいからしていて、ローンチまで少しかかってしまったのですが、8ヶ月ぐらいでローンチすることができました。

 とにかく海外との仕事の難しさみたいなものは感じています。日本は納期がタイトに組まれていて仕事がしやすいけれど、インドの工場は納期があって無いようなものなんですね。2-3ヶ月、バッファを持ってスケジュールを組まなくちゃいけない。それでいながら、日本の百貨店さんは1日単位のタイトな交渉をしていくので、その板挟みというか、自分ではコントロールできない変数がたくさんあって、もどかしいことが多かったです。

 もう1つ難しかったのが言語の問題で、お互い共通言語がないんですよ。例えば私は英語と少しヒンディー語が話せるんですけど、相手の工場の方は近隣しか話せない拙いヒンディー語で、その状態で細かいデザインのオーダーを擦り合わせなくではいけないという難しさもありました。

ポップアップ初日を終えていかがですか?

 まだまだ走ってみないとわからないところが多いですが、初めてtoCで事業をしてみて、目の前の人に届いてる感覚がすごく嬉しいですね。

 でも同時にやっぱり、toCだからこその難しさをすごく感じていて。物を扱ってるからなのですが、仕入れするタイミングで資金が出ていくって経験を初めてしています。どれくらい売れるかわからないけど先にリスクを取っておかなくちゃいけない。メディアだったら資本金ゼロで始められたのでプレッシャーはそこまでなかったんですけど、在庫を持つことやテナントを持つことへのプレッシャーはありますね。

 しかも指輪の難しいところが、サイズが6号から15号とかたくさんあって、サイズごとのラインでストックを作る必要があって、在庫管理が難しいですね。まず売ってみないとどのラインを多く発注するかも想定できないので。

 今回の新宿マルイさんのポップアップが、初めての販売の場です。本当、ドキドキなんですよ!初日はお客さんがたくさん来てくださって嬉しかったです。

ブランドづくりにおいて、どんなところから着想を得たんですか?

 うまく言語化できないんですけど、16、17歳でインドをどっぷり見てたり、それこそ群馬に住んでいたので、人よりも色々な場所で色々な人に触れ合って、色々なものを見てきたんだろうなというのはあって。

 それこそインドでも現地の映画館でたくさん映画を見たり、現地のコンテンツへズブズブにハマっていました。

 どこから着想を得ましたかって言わると言語化できないんですけど、多分、今までの人生で見てきた色々なものの積み重ねで、これがおしゃれ、これかわいいみたいな感覚がちょっとずつついてきたのかなと思います。

これからもインドに関わっていきたいですか?

 そうですね。実はインドのためにとか、インドを盛り上げたいってわけではないんです。

 それでもずっとインドには関わり続けているのは、国としてすごく面白いと思う点があって。

 日本だと「人に迷惑をかけないように生きていきなさい」って教わりますけど、インドの場合は「人に迷惑をかけてしまうんだから人の迷惑も許しなさい」って教わり方をするんですね。なので、納期やコミュニケーションでビジネスをする上でたくさん障壁はあるんですけど、それもなんか愛があるというか、何かすごく、私にとって生きやすい価値観がある場所だなって思います。

 なので、何かしらの形でインドと関わっていたいなって思います。

 インドの人たちはみんなすごくポジティブというか熱気があるというか、アグレッシブで、例えば大学の中でVCのTシャツを着た人とすれ違った時に学生さんすぐ追いかけていってエレベーターピッチをするみたいな、日本で見ないぐらい熱く泥臭く、自分の人生に一生懸命な人が多いなと思います。

事業やブランドづくりで大事にされていることはありますか?

 そうですね。自分の事業の軸みたいなものとしてあるのが、ペインを解決しようってことじゃなくて、なくても別に困らないんだけど、あったらいいよね、あったら楽しくなるよねってものを作りたいなというポリシーはあります。

 それこそ、エンタメのメディアを作っていましたし、今はアクセサリーっていう、別になくても困らない嗜好品を扱っている。何かずっと、困ってる人を助けたいっていうよりもプラスアルファでみんなの人生が楽しくなるようなコンテンツを表現できたらいいなって思ってます。

メディア時代からだと、昔から意識されていたんですか?

 そうですね。でも意識していたというより気づいたらという感じで、これも割とインドの経験に関係してるのかなと思います。

 インドは今でこそどんどん国は良くなっていますが、2017年のインドで物乞いとしてお金を集めやすくするために小さい時に手足を切り落とされてる子達が台車の上に乗ってる光景を見たり、それこそ男尊女卑のような、男性が机でご飯を食べて、その後に私達のご飯が地面に置かれたり。

 その当時の自分としてはすごく理不尽というか許せないみたいな、怒りに近いパワーを感じていました。

 でも実際にコミュニティに深く入り込んでいくと、例えば地面でご飯を食べている女性たちもそこで井戸端会議をしてすごく幸せそうにしていたり、物乞いをしている人たちも内輪で盛り上がって何かやってるって光景を目にして「あれ、怒ってるの私だけなのかな」って感覚になったんです。

 その時は虚無感というか暖簾に腕押しのような。「なんでこんなおかしい状況で笑ってるんだろう」みたいな悔しさも感じたんですけど、もしかしたらこの怒りさえも私のエゴなのかもって思った瞬間があって。

 そこから何か、自分の身を削って苦しんでる人を助けるよりも、今目の前で笑っている楽しそうな人達の人生をもっと楽しくできるように生きられた方が、私自身も楽しいかもなって思いました。

 なので起業家になってから、ビジョンとか大きい志を描いたりするのが苦手なタイプで、それこそ私より若い起業家が誰も見えてない深いインサイトやペインを考えたりしていて、ずっとコンプレックスだったんです。なんか、自分薄いな、みたいな。

 だけど辞めずに2年やっていたら、実際にYouTubeチャンネルも育って、16万人のインド人の方にリーチして、その中の誰かの人生にとって少しでも良いものを届けられたかもしれないし、トゥクトゥクを走らせて幸せそうなおじいちゃんおばあちゃんもいます。

 楽しさとかJust for funみたいなところで走り続けていたけれど、その過程でちゃんと社会を幸せにしてるなっていうのが小さい成功体験になって、今はこういう生き方いいなって思ってます。

 真っ当に一生懸命生きていればその過程で絶対に誰かを幸せにできているし、自分も満たされる。自分が幸せだった方が自分の半径1mの人達を幸せにできるなと思うので、いいことだと思います。

たくさんの事業に挑戦してきた、そのモチベーションはどこからやってくるんですか?

 見積もりの精度が上がる感覚ですかね。投げたボールと返ってくるボールの距離感を、続けていくと掴んでいくみたいなことあるじゃないですか。

 小さいチャレンジをしてその結果として小さい成功が返ってくる、そういう見積もりの精度が上がっていく感覚がすごく好きです。大体これぐらいの力と時間と人数を巻き込んだらこれぐらいの成果が出るだろうみたいな。

 挑戦と成功体験をどんどん積み重ねていくと、何をするにしても次の挑戦のスピード感が上がったり、今までは全く雲の上だと思っていたような事業、それこそ今、自分で在庫を持つなんて前は考えてもいなかったんですけど、次の大きいチャレンジへの一歩目がどんどん楽になっていく感覚がすごく好きで、やめられないですね。

今後大事にしていきたいことは何ですか?

 肩肘張らずに楽しさを追求することや、なくても困らないけどあったら誰かの人生が楽しくなるものを作ることってモットーが、自分の中でどんどん強固な大切なものになってきています。

 引き続き、みんなの人生を彩るような面白いコンテンツを作っていきたいなと思ってます。何か、自分が、これ素敵、これ面白いでしょ、って思うものをみんなに見てもらいたい気持ちは強いんだなって、この事業をやってみて改めて思いました。頑張ります。

本取材は新宿マルイ様のご協力の下、許可を得て撮影しております。

髙橋さんの想いや理想、そこから湧き出る行動や挑戦、いかがでしたか?
引き続き、応援しています!

[取材日]2023/11/10
©2023 Fumiko Takahashi &ETIC. All Rights Reserved.

<最後に>

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こちらのnoteに新キャッチコピーに込めた想いを綴らせていただきました。

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今後とも、応援よろしくお願いいたします。

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