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古きをたずねて、新しきを創る。温故創新を胸に、新たな落語の形を切り拓く。-Edanoshin

MAKERS U-18にはどんな人が集まっているのでしょう?5期生、桂枝之進さんに詳しく聞いてみましょう。

9期生エントリー受付終了!10期は2025年3月末開催予定。今冬情報解禁。
詳細はこちら▶https://u-18.makers-u.jp/

簡単に自己紹介をお願いします。

 桂枝之進(かつらえだのしん)です。落語家として活動している他、Z落語っていうプロジェクトやってるんですけど、このプロジェクトは名前の通り、Z世代の視点で落語を再定義・発信するクリエイティブチームです。

Z落語を始めたきっかけを教えてください。

 元々自分は15歳で落語家として弟子入りをしたんですけど、いざ落語の世界に入ってみると、周りに同世代がいないんですね。周りの同業者も同世代いないし、舞台に上がってお客さん見ても同世代ってなかなかお越しにならなくて。じゃあこのまま自分が30年50年と落語家として生活をしていく中で、30年後50年後、誰と一緒に舞台上がって、誰が見に来てるんだろうっていうのがすごい不安に感じて。同世代に落語の面白さとかをもっとアピールしていかないといけないなと思って、ちょうどコロナっていうのもあってスケジュールが空いたので、今だと思って結成したのがZ落語なんです。

 いろんなプロジェクトをやってまして、5Gを使ったライブ配信落語会の実証実験からスタートしました。

 今力を入れてるのは寄席(YOSE)っていうイベントなんですけど、江戸時代には落語の寄席小屋(※芸能を観客に見せる興行小屋)が江戸に400件ぐらいあったんですね。もう各町に1個寄席があるみたいな状態で、みんなそこに仕事帰りとか学校帰りに集まって、新しいエンタメに触れて、横との繋がりが生まれる集会所みたいな役割があったんです。今、この時代にその役割を持っている場所って何だろうって考えたときに、クラブが近いんじゃないかなと。仕事終わりとかにそこに集まって新しい刺激に触れて横との繋がりが生まれてっていうそういう構造自体が昔の寄席小屋と似てるなと思って、落語の寄席とクラブカルチャーをミックスして、新しい時代の寄席小屋を作ろうってのがコンセプトのイベントになります。

実際のYOSEの映像

 2020年の12月に第1回を渋谷で開催してみたら思ったより反響が良くて、実際僕もドキドキしながら舞台に上がったんですけど、普段通りやってみると、同世代が笑ってくれて落語ってまだまだポテンシャルあるじゃんと思って、そこから地方でも開催したりとか、この前は屋形船を貸し切って、船の上でこの寄席を開催したりとか。

 12月にまた新しい寄席を企画してるんですけど、今度は渋谷のライブハウスを借りて、フロアに畳を敷きつめて、ステージの上に茶室を作って、この茶室の上で落語とか、ゲストアーティストのライブとか、琴の演奏とかで畳の上でDJブースを作ってDJが畳をフロアと見立てて音楽をかけてくれるみたいな、そんなイベントを作ってます。普段同世代が遊んでるような場所に日本文化をドーンと持ち込んで新しい世界観を作ってしまうってのが今回の寄席のコンセプトなんです。

12月8日に開催予定のYOSE TOKYO

落語にのめり込んだきっかけって何だったんですか?

 元々落語初めて見たのが5歳のときで、親に連れられて、近所の落語会に足を運んだんですけど、周りはおじいちゃんばっかりの中僕は最前列の真ん中にちょこんと座ってて。出囃子が鳴って落語が出てきたら、座布団の上におじさんが1人座って右向いて左を向いて、何か面白い話をしてみんながドカーンて笑ってるんすね。なんだこれはと。今までそんな見たことないからなんだろうと思って家帰って、テレビとかラジオとかで落語の番組とかあったら見るようになって、もう5歳ぐらいからどんどんどんどん興味を引かれていったんですよね。

 9歳ぐらいのときに落語の速記本っていう本があるんですけど、それがたまたま学校の図書室にあって、読んでるうちになんか覚えてきちゃってる内容で登下校中とかに友達と一緒に歩きながら、最近こんなおもろい話あったなみたいなノリで。その時チョロチョロと落語やって見たら「おもろいおももろい」ってなって、学校のお楽しみ会でやってよとks、親戚の集まりがあるときにやってよとか、親戚が飲食店やってて、そこでアマチュアの落語会あるから出てよとか。ちょうどその頃、ちびっこ落語がちょっと流行ってて、テレビ番組が東京であったりとか、九州の方で全国大会があったりとかして、そういうのに出るようになって。どんどんどんどん落語をきっかけに学校の外の世界と自分が繋がれるようになっていって、もうそれが面白くて。中学校の頃とかは学校より落語みたいな感じで。どんどんどんどんのめり込んでいって、もう将来は落語家しかないんだろうって思ってたんで、小学校の卒業文集には将来の夢は落語家って書いてましたね。

実際にやり始めてどうでした?

 そこ結構シームレスだったんですよね。落語が本当に好きで、ただただ楽しくて聞いてたものが、それこそ速記本とかに変わった時に、何か自分の中にすっと何か覚えて入ってきちゃったんですよね。本当に友達と軽いノリで話してたのがきっかけだったんで、何かそういう習い事として始めるとか、自分がやる機会があってそれに向けて練習するとかじゃなくて。本当に何か能動的に気づいたら始めてたみたいな、それが結構僕のきっかけでしたね。

落語家になる方って何歳くらいが多いんですか?

 落語を始めたのは9歳なんですけど、弟子入りしたのが15歳なんでプロとしての芸歴は今6年目になるんですね。やっぱりもう最初衝撃的で、同世代本当にないし、一番年の近いのが、三つぐらい上の同期がいたんで仲良くはしてたんですけど。僕が芸歴2年目になったときに30歳過ぎの後輩ができるんですよ。もう意味わからん状況になって。お客さんにも同世代もいないし。何とかしないといけないと思って。

Z落語のチームは同世代で組んでいると思うんですけど、その人たちとどうやって出会ったんですか?

 始める前から、SNSで「落語家の修行こんな感じだよ」みたいな感じでちょこちょこ投稿してたりしてたんです。後は、Twitterとかでちょっと面白い同世代、デザイナーやってますとか、カメラマンやってますみたいな同世代をフォローし始めて、フォローバックしてもらえてお互いなんとなく知ってるって状態が始まって、仕事で東京とかに行くときに、じゃあちょっとお茶しましょうみたいな感じで、周りの同世代とちょこちょこ会うようになって。同世代界隈じゃないけど、なんかいろんなことやってる人いるなっていう、お互い認識し合ってるような状態があって。

 そこからコロナ禍でマルっとスケジュールが空いて、家にずっといる状態になったときに、「これ何かできるんじゃないかな、何かやるとしたら今しかないよな」って。でもこんな大変な状況で何かをするのが正解かもわかんないしなとかいろいろ葛藤はあったんですけど。

 当時、Zoomとかオンラインで落語する機会があって、そうするとお客さんとのコミュニケーションがタイムラグが起きてしまって、落語家にとっては致命傷というか細かいとこで気になってしまって。これ何とかならないかなっていうので、その5Gを使ってライブ配信の実証実験ができないかと思って、その施設に応募しようとしたんですよ。この5Gの基地局を持ってる施設があったんですけど、応募するときに3人以上のチームメンバーとチーム名が必要だったんですね。どうしようってなって。落語家としてずっと1人で仕事してきて、何かイベントやるってなっても自分で会場を押さえて自分でゲストをブッキングして自分でフライヤー作ってお客さん集めてとか、全部自分1人でやるようなもんだったんで、チームを作って誰かと何かをするみたいな経験が全くなくて。

 でもやっぱり応募するときに資料もいるし、誰かを巻き込むならそうやって提案資料を作らないといけないから資料作れないなとか、デザイナーいないかなみたいな感じで、誰かいませんかみたいな感じで募集したら、同世代のデザイナーがすぐ手を挙げてくれたりとか。実証実験やっても、その結果を対外的に発信する手段がないなとか思って。映像作りたいな、カメラありませんかって言ったらSNSで知り合いになったカメラマンが声かけてくれてとか、そういう感じで徐々に周りの同世代と繋がって、今のクリエイティブチームって形に徐々になっていったって感じでしたね。

クリエイティブチームができてよかったところってありますか?

 やっぱいろんなジャンルの人がそこに集まってるっていう状態がすごい面白くて、落語会とか落語家同士で何かをすると、やっぱり落語家の視点から離れるってなかなか難しくて。どうしても落語家として持っている自分の、世界観だったりビジョンだったりみたいなところに寄った企画しかできないっていうか。周りにいろんなジャンルの同世代が集まってると、何か新しくアプローチをしたいって時に落語家には思いつかないような企画やアイデアが次々出てくるんですよね。

 例えば落語を伝えるために、アパレルを作ろうとか、メディアを作ろうみたいな発想に落語家だけだとなかなかならないんですけど、チームっていう一つの共通言語でフィーリングが合ってる状態だから、みんな落語を詳しくなくても、それぞれがプロフェッショナルな分野があるからそれが越境したときに、面白い化学反応が生まれるというか。そこはチームを作ってよかったなというか、このままずっとやりたいなと思って、本当は3ヶ月でZ落語ってプロジェクト終わる予定だったんですけど、これはまだまだできることあるなとかやりたいこといっぱいあるなと思って、3ヶ月が終わる段階でチームメンバーにはこれ続けさせてくれっていうのを言いましたね。

落語家としての活動の方のお話も聞いてみたいです。魅力や大変なところなど。

 楽しいですよ。でももちろん、古典落語って何百年も受け継がれてるような話が多いので、この時代にこの言葉伝わらないよなとか、なんかこれってちょっと今の時代と合わなくねみたいに、古典でも使える題材や言葉が限られてくるんですよね。それを時代に合わせて自分の感覚でアップデートしていくってのは、この寄席や落語会のみんながやってることっていうか、これはすごい大事なことで。自分の言葉で落語を喋っていくっていうのが大衆芸能としての落語の役割ではあるので、それをきちんとやっていくっていうので、例えばお客さんの年齢層が自分よりも離れていて年配の方とかが多いときに、自分の感覚で話そうとしてでも逆に自分の感覚で例えばSNSの話とかしちゃったら逆にわかんないよなとか、その逆の配慮もあるっていうのはちょっと特殊なところなのかなと思います。

 でもやっぱり古典の面白いところって何百年もその話が受け継がれてるってことで、何百年も前の人も同じ感覚・同じ笑いのポイントを持って今も生活してるって、こんだけ時代が変わったのにすごいなと思うんですよ。だからそれは落語本来のポテンシャルだし僕もそのポテンシャルがある落語をやらせてもらってるおかげで、なんだろう、落語家として大衆芸能としてできているので、古典っていうものに本当にすごいリスペクトを置きつつやってますね。

コロナでの客層の変化はありますか?

 最近ひしひしと感じてることなんですけど。オフラインのイベントに人が集まるっていうことの概念がそもそも変わってきたなと思っていて。コロナ前ってなんとなくオフラインのイベントに足を運んでたと思うんですよ。誘われてとか、なんとなくルーティンの中に入っていてとか、スケジュールなんとなく埋まっていて見つけていってみてとか、結構なんとなく決まっていたものが、今イベントに行くって何かしらの意思がないと足を運んでもらえない状況になってきてるなと思っていて。今までなんとなくお付き合いで来ていたイベントがガラッとお客さんが来なくなってしまったりとか。そういうことって結構業界全体に起きていることで。そこはイベントを作る側としても、何でオフラインでこのイベントをやらないといけないんだろうとか。ここに来てくれる人ってどういう気持ちで来るんだろうとか。どういう気持ちに逆になってもらうことが正しいんだろうとか、コロナ前と比べて明らかに考えないといけなくなったなって感じてます。

 僕のやる寄席に関してもそうで、毎年同じイベントをやっていては、なんとなく毎年足を運んでくれるっていう動機が薄れてくるなと思って、毎年毎年自分自身も、このオフラインのイベントやるからにはアップデートしていきたいなと思うし、逆にそれをしていかないとイベントをつくるっていう上で、お客さんがここに行きたいと思ってもらうのは難しいなって思いますね。

落語の好きなところはどこですか?

 落語の一番好きなところは、落語って形としてめちゃくちゃシンプルで、めちゃくちゃ自分っていうそのものの人間が出せて、めちゃくちゃお客さんとコミュニケーションが取れる、なかなか他の芸能を見渡してもないような形だと思っていて。

 例えば同じお笑いにしても、漫才とかコントって複数人であって、1人1人その役があって、その役になってキャラクターを持って喋ってると思うんですけど。落語って全部1人でやるじゃないですか、舞台板の上で自分1人がその空間を支配するというか、そこから自分が色々なキャラクターになって、右向いて左向いて話すんですけど。どこまでいっても自分は自分なんですよね。自分の人間としてのキャラクターもそこに乗っかっていくというか。シンプルだけど、そこまで人間が見えてお客さんの笑い声と掛け合うように喋っていくっていうコミュニケーションが取れるって、僕は本当に落語ならではの面白さだと思ってます。

 これを自分がやっている・できるっていうことが、まず演者として落語を選んでよかったなと思うポイントだし、落語を見る側からしてもこんなにシンプルで話を聞くだけで、頭の中にその情景が浮かんで楽しむことができる、こんなに粋なおしゃれな芸能ってないなと僕は思っていて。今、落語は古典的な伝統的ってイメージが持たれてると思うんですけど、全然そんなことなくて。たまたまいろんなメディアの影響とか、いろんな時代背景があって、そういうイメージが持たれてるだけで、ポテンシャルとしてはものすごく輝けると思ってるんで。だから聞いたことない人とか、今まで聞くきっかけがない人とか、1回生で落語を聞いて落語の面白さっていうのを見つけてほしいなと思うし、最初に落語を見る人が面白いと思ってもらえるような落語を僕は心がけてやっていきたいなと思いますね。

落語家とZ落語との両立って大変さはありますか?

 これは始めたばっかりの頃めちゃくちゃ葛藤があって、僕は大阪で寄席小屋に出て、落語家として修行をして若手としてのキャリアを一つずつ積み重ねてる段階なんですけど、東京でこういう新しいことを始めると、関西と行き来してるときに自分はどっちが軸足なんだろうみたいなことが、最初はすごいなんか、悩みというかどっちも軸足じゃなくなっていくんじゃないかなって不安があったんですけど。

 最近あった心境の変化が、「いや、そこのバランスを保っていくのが一番大事なんじゃ」って思ってて。僕は温故創新って言葉を大事にしてるんですけど、温故創新って温故知新みたいな感じで古きをたずねて、新しきを創るで温故創新なんですけど。

 やっぱり古いトラディショナルな活動、例えば寄席小屋で落語を守っていくっていうな活動ももちろん大事だし、でも新しいお客さんを開拓していくとか、若い人にもっと落語の魅力を知ってもらうとか、そういう活動も大事だし、このどっちかのバランスが崩れても上手くいかないなっていう。 新しいことばっかりやってても自分の核となる部分がどんどん薄まっていっちゃうような感じがするし、ずっとトラディショナルなことばかりやってると新しい可能性とかどんどんどんどん狭まっていってしまうというか。そこがすごい、どっちもバランスよく続けていくってのが自分の中で最初は難しかったんですけど、最近はその「温故創新」の二つともきちんと大事にしていこうっていう、一つ一つ丁寧に心がけるようになりましたね。

Z落語と落語家としての活動との接続は考えているんですか?

 そこは役割が結構違うなと思っていて、同世代は落語を身近に聞いたことがない人が多いんで、それって何でだろうってまず考えたときに、落語が面白くないから聞いてないんじゃなくて、日常生活の延長線上に聞くきっかけってマジで無い。そこに尽きるような気がしていて。

 この日常生活の延長線上に落語にたどり着くまでの導入設計を新しくデザインするってのが東京でやってるZ落語の活動なんですね。そこで落語を好きになってくれた人が今度寄席小屋に行ってみようとか、落語会に行ってみようって思ってくれたらこの上なく一番、幸せな状態というか、落語家にとっても少しは貢献できてるのかなと思うし。そこはやっぱり目指していくとこなんですけど、ただ、そこを無理してアピールする必要ないなと思っていて、あくまで自然に次の週末落語行こうよっていうコミュニケーションが生まれるような、あくまで自然な同世代の日常生活の感覚に寄り添った形の企画を作りたいなと僕は思ってるんで。そこはあえて無理して接続しようとは思ってないですね。

これからの目標はありますか?

 短期的な目標は今企画してる12月の寄席ってのは一つ大きいんですけど、来年以降は僕は海外を目指していて、海外の中でもアジアってのが一つのポイントかなと考えていて。アジアのいろんな芸能とか演芸を調べてると、例えば中国に落語と似たような、落語と漫才のちょうど中間みたいな芸能があるんですけど。例えばそういうところと伝統芸能同士の国際的な交流だったりとか、コラボだったりとか。欧米から見た時に、東洋の国って一つのアジアンアイデンティティっていう形でものすごく認識されてるし、トレンドになっていると思っていて、そのアジアンカルチャーっていうものを、きちんと意識していかないといけないなと思っていて。

 そういう意味で、やっぱりいきなり海外を目指して欧米に出るんじゃなくて、きちんとアジアの中で、まだこの文化圏が似ているとか、言語が似ているとか、何かしらこの落語の文脈もわかってもらえるようなアジアの圏内でZ落語の活動だったりとか、桂枝之進の落語会だったりとかを徐々に展開していきたいなと思っていて。で、例えば欧米に行くとしてもそのアジアンカルチャーってものを纏った状態できちんと出ていきたいなっていう。それが短期的な目標で結構長期的でもあるんですけど、来年はアジアっていうものを意識して活動を展開していきたいなと思ってます。
 
 もっと長期的な目標は僕はなるべく立てないようにしていってっていうのがやっぱり毎年毎年自分の予測できないようなことが起こるし、毎年毎年、何か自分の力の範囲というか自分が想像して自分1人の力でできることってってそこで一つ一つ積み上げて目標を立てるっていうことが、僕はあんまり意味がないなと思っていて。Z落語を始めたらいろんな人の力、協力があって、自分じゃ予測できないようなことができてるし、1年1年自分が予測できない、上振れるって言ったら短絡的なんですけど、本当想像できないようなことってたくさんあると思ってるんで。それが毎年毎年積み重なっていったときって、10年後50年後とか、何が起こってるかわかんないし、それを自分は楽しんでいきたいなと思っていて。だから、長期的な目標はあえて立てないようにしてて、将来の夢って聞かれたら、人間国宝って言ってるんですよ。死ぬ時になってるかなってぐらいの話なんで、毎年毎年自分の予想以上に発展していきたいと思ってますね。

<編集後記>

枝之進さんの想いや理想、そこから湧き出る行動や挑戦、いかがでしたか?
引き続き、応援してます!

[取材日]2022/11/19
© 2022 Edanoshin Katsura&ETIC. All Rights Reserved.

<最後に>

▶︎MAKERS UNIVERSITY U-18について知りたい方へ
公式WEBサイトをぜひご確認ください。

▶︎MAKERS UNIVERSITY U-18のコンセプト
こちらのnoteに新キャッチコピーに込めた想いを綴らせていただきました。

▶︎他のMAKERS U-18生についても知りたい方へ
自分のスタイルで挑戦を続ける、カオスなまでに多様なMAKERS U-18生を紹介しています。これまで取材したメンバーをこちらにまとめておりますので、ぜひご覧ください。

▶︎MAKERS U-18を体験してみたい方へ
U-18革命児の皆さんの背中を押すための企画を随時開催いたします。こちらのnoteに開催予定のイベントスケジュールをまとめています。

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大学生版MAKERS UNIVERSITYもございます。ぜひこちらもご覧ください。

▶︎教育に想いがある方へ
MAKERS出身の若手起業家・イノベーターが、その生き様を高校生に伝える高校への出張授業プロジェクトも始まっています。

今後とも、応援よろしくお願いいたします。

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