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地元・飛騨の未来を担うために。進化する地域文化と人のつながりを創り出す。-Takumu

MAKERS U-18にはどんな人が集まっているのでしょう?2期生、坂下拓夢さんに詳しく聞いてみました。

9期生エントリー受付終了!10期は2025年3月末開催予定。今冬情報解禁。
詳細はこちら▶https://u-18.makers-u.jp/

簡単に自己紹介をお願いします。

 坂下拓夢です。大正大学の地域創生学部に通ってて、僕の地元、岐阜県飛騨市と大学を繋ぐような活動をしてたり、お祭りを社会の中でどう残していくかの研究をしています。

お祭りに興味を持ったのはどういうきっかけなんですか?

 きっかけはやっぱり、僕の地元、岐阜県飛騨市のお祭りですね。

 お祭りって色々なお祭りがあるじゃないですか。東京だと浅草とか有名ですけど、お神輿(みこし)が出るお祭りだったり、あとは京都の祇園祭とか、関東だと川越のような山車(だし)が出るお祭りとかがあって、飛騨市のお祭りは山車が出るんです。

 それを小さい頃からずっと見てきて好きになって、お祭りに出ている大人たちとか先輩たちの姿を見て、僕もこの伝統を継いでいきたいなっていう思って、お祭りとか伝統文化が好きになりました。

小さい頃のお祭りで覚えているエピソードとかありますか?

 そうですねー。もう記憶がないくらいの時から、親や友達と一緒にとか、もちろん1人でもずっと行ってて、小学校に入ると地元のお祭りでお囃子(はやし)、笛を吹いたりできるので、卒業するまで参加してたりしました。

 あとは、豪華な山車が出て、しかも1年に1回しか見られないので、それを見るのが楽しみでしたね。飛騨のお祭りは、起し太鼓(きしだいこ)って特殊な行事があって、男の人たちが夜中にサラシ姿になって太鼓を叩きながら練り歩くみたいな。

 やっぱ、憧れですよね。そういう姿を見てかっこいいな、楽しそうだなと思って、僕もいつかあそこに参加したいって思ってました。

大きくなると他にも楽しいことが増えてきそうですけど、お祭りはずっと参加してたんですか?

 そうですね。年齢が上がるにつれて、お祭りでできることも増えていったので、ずっと好きだったのかもです。

 たとえばお囃子や笛は小3から参加できて、釣鐘(つりがね)っていう小さいシンバルみたいなものを鳴らしたり、笛もやれるようになったりして。笛の人だけが山車の2階部分に登れるんです。2階からの景色ってその子たちしか見えない特別な景色なんですよ。

 それを見たいって気持ちでやってたり、大きくなると小さい子に教える側に回っていったりして、ただ楽しく参加する側から動かす側・担う側になっていく、これからの時代のお祭りを担っていく・守っていくっていう意識がちょっとずつ芽生えていったところはあると思います。

 その後も、高校生になると木偶(でく)っていうからくり人形を動かすことができるようになったり、木偶の保存会に所属できるようになりますし、高校を卒業するとさっき話した起し太鼓に参加したり、屋台を引く役割もできるようになったりします。

 これは大人の男の人だけしか参加できないので、これに参加できるようになると、この飛騨っていう町で大人の男として認められる一つの瞬間っていうか、社会に出た瞬間だなって思いますね。

 そんな感じに、段々と担う責任が大きくなるにつれて、自分がこれからも守っていくんだ、引き継いでいくんだって想いが大きくなっていく感じでした。

地域創生学部に入ったのもそういったところがきっかけなんですか?

 いわゆる地方創生に興味を持ち始めたのは中学2・3年の時だったと思います。ずっと地元やお祭りが大好きで小学校も中学校もずっと参加してて、そんなタイミングである1冊の本を偶然読んだんですよ。「ローマ法王に米を食べさせた男」ってタイトルでした。

 読んだのは本当に偶然で、本屋さんに行った時に「なんだこのタイトル!」と思って読んだんですけど、たしか、石川県の羽咋市ってところの高野誠鮮さんという市役所の職員さんが、地元のお米が美味しい、地元を盛り上げるためにもっと有名にしたいってことでローマ法王に米を食べさせたみたいな話なんですけど、「何だこのやり方は!」と思って。

 こんなやり方で地元の知名度を上げたり、お金が生まれる仕組みを作っていくことができるんだって思って、地域活性化、地方創生っていうところに興味を持ち始めました。

 そこから、元々歴史が好きだったのと、地元の歴史や文化を活かして何かやりたい、歴史を仕事にしたいってところから、中3から高3の夏まではずっと神主さんになりたいと思ってたんですよ。

 それで神主さんになるための大学を調べて、上京して進学を希望してたんですけど、高校の時に地域活動をしていて、地域活性化につながる活動をしていくのもいいなって思い始めたんです。高校で色々な地域の方と関わらせていただいて、地元が好きなんだけど、地域活性化への気持ちもかなり強い状態でした。

 そんな高3の夏に大正大学の先生とお会いする機会があって、その時に「うちの大学面白いから一度来てみなよ」って言われて、オープンキャンパスに行って、「なんだこの大学面白い!」と思って、第一志望を変えて入学することにしたんです。

地元で活動するところから、地域活性化という少し俯瞰したテーマに変わっていったんですね。

 そうですね。進学してから今まで、本を読んでからでいうと6〜7年ですかね。地域活性化や地方創生ってテーマはずっとありました。

大学ではどんなことをされてるんですか?

 お祭りを卒業研究として研究しているのと、インターンも大きいですね。

 株式会社DO THE SAMURAIという会社でインターンを3年ほどしています。ホトカミっていう御朱印や神社・お寺の検索サイトを運営してて、そこでデザインやライターの仕事をしています。

 インターンすることになった経緯は、元々歴史とか神社お寺とか文化がすごい好きだったので、そういったことを生かして何かしたいな、地元で起業したいなって思いがあってこのMAKERS U-18に参加させてもらったんですけど、当時メンターだった方にホトカミを立ち上げた吉田さんを紹介していただいて、大学に入ってから直接お会いする機会があったんです。

 そこから大学2年の終わり頃に吉田さんがFacebookでインターン生募集の投稿をしていて、大学も2年やって慣れや甘えが出てきた中で直感的にこれだと思って応募して、4月からインターン生として働かせていただくことになり、なので今は、もう3年くらい経ったのかな。

どんなお仕事をされたんですか?

 初めて担当させていただいたのがSNSで、公式Instagramの運用をしてフォロワーを1万人くらい増やしたり、ここ2年弱くらいは毎月の記事執筆を担当していました。最近は、デザインをちょっとやってます。企業さんとコラボした御朱印巡りの企画があって、チラシやポスター、特設WEBの制作を担当させていただいています。

 少人数チームのベンチャーなので、本当にいろんなことをやらせていただけてすごく成長させてもらってます。

 さっきの話でいうと、SNSから始まって、記事の執筆やデザインに変わっていって、何か1つの仕事をやっていく中でレベルアップして、ある程度のことができるようになってきたっていうタイミングで、次、何やってみたい?ってことでデザインをというところだったりとか。

 本当にいろんなことをしっかり経験させてもらえますし、成果も数値で見やすかったりするのでやりがいにも繋がるし、あとは、お寺の方から「この前記事を読んで来たって参拝者の方がいたんですよ」って声も直接聞けるので、すごく嬉しいですね。

素敵ですね。他にはどんなことをされてたんですか?

 それこそMAKERS U-18の参加した時から地元でやりたいことがあって、うちの地元は大学がないので、学生が交流できる場所、居場所になれるような、そういう施設を作りたいなと思ってました。高校生が地域で色々な活動をできたり、横の繋がりができるような場所を作りたい、そういう事業をやりたいなと思ってたんです。

 でも、やっぱり、何ていうんでしょう。全国の似たような事例を調べていくうちに、同じような事例はたくさんあるんですけど、それ1本で事業が成り立ってるところってほとんどなくて、例えば不動産だったり、何か別の本業があった上で地域施設を運営していることが結構あるんです。

 でも自分には本業があるわけでもないし、ましてや地元で作るってなったら、僕は大学で東京にいるのに地元の飛騨にも行ったり、誰かを雇ったりしなくちゃいけなくてすごくコストもかかるし、今すぐはすごい難しい事業だなってすごく感じました。

 大学1年の時にそう感じて、それまでの考えを何か、ちょっと考え直さないとなと思いました。大学1年の後半から2年生くらいにかけて、地元で何かをやりたいけど、何をしたいのか明確じゃなくなっていましたね。

 そこから大学3年でコロナが始まったんです。そこで僕も地元に戻っていて、色々な気づきや変化がありました。色々あったんですけど、休学を決めたのと、喫茶店との出会いが大きかったですね。

休学されたんですね。

 そうですね。大学3年の時にコロナ1年目で、大学で上京してたのを1年地元に帰って過ごしたんですけど、その時にすごく衝撃を受けて。2年間東京で暮らして、改めて地元で過ごすって状況だったので、例えば、労働賃金の低さとか、職種が限られてるとか、自治会やお祭り組織も保守的なやり方や考え方になってしまっていたりするところにすごく衝撃を受けて。今まで現実見えてなかったんだなっていうところで。

 そこで1回、熱量が下がったわけではないんですけど、現実を受け止めるのに、苦しいとかではないんですけど内心何か引っかかるって時期が半年くらいありました。

 でもやっぱり、そんなこと思っててもしょうがないし、自分ができることをやっていくしかないなって思って、大学3年の後半から休学をすることにしたんです。

 まず一年休学して、色々なところに旅行行ったり色々な人とお会いしたりして、その中で、大学生活の中でやり残したこといっぱいあるなと改めて思いました。たとえばお祭りのことももっと知りたいなと。もちろん地元のお祭りが大好きなんですけど、一方でもっと良くできる部分もたくさんあるなって気づきました。

 お祭りといえば京都の祇園祭が有名だと思うんですけど、休学1年目の夏に初めて行ったんですよ。それで現地の人たちを見て思ったのが、何か、「うちの地元のお祭りなんてまだまだかも」ってすごく感じて。

 どこで感じたかっていうと、京都の祇園祭を担っている人たちってすごいんですよ。何がすごいかっていうと、お祭りとか行事って古いものだから、昔からある古いものをそのまま守っていこうと考えてると思うじゃないですか。でも、京都の人たちって実はそうじゃなくて、「古いものを守っていくために新しいものを取り入れよう」って前向きな姿勢がすごく強くて。

 なぜ京都が1000年以上都として栄えて、今も色々な伝統が残ってるかって言ったら、時代に合わせて最先端のものをたくさん取り入れてきたからなんだなと。

 お祭りを残していくためにはもっと色々なお祭りを知らなきゃいけないけど、自分はこれやってないなと。もっとちゃんと研究をしたいなと思って、1年の休学をさらにもう1年休学しようと自分の中で決めてって感じです。今(取材日)が休学2年目の終わりですね。

そうだったんですね。喫茶店のお話も聞かせてください。

 3年生でコロナが起きて地元に帰っていた時期に、オンライン授業がない時間とかに近所の喫茶店に通っていたんです。その喫茶店が、地域の人の繋がりとか、僕みたいな20歳そこそこの人と80歳くらいのおじいちゃんおばあちゃんが仲良くなれるみたいなところで。

 そんな場所ってなかなかないじゃないですか。あそこの繋がりを感じたときに、何か元々自分がやりたかったこととすごい近いなと思って。誰かの居場所だったり、人と人の横の繋がりを作っていける場所だなって思ったんです。

 それと同時期に、3年生だったので就活や将来のことを考えていて。昔からずっと思っていたのはやっぱり地元が大好きなので、将来的にはこの飛騨に戻ってきたい、戻ってくるって想いを持ってて。

 で、そんな中で大学卒業後どうするかってのは人生の中で大きい、重いテーマだったんです。一般的なサラリーマンとかも自分には合わないような気がしていて。1、2年であればできるかもしれないけど、一生となると、その自分本当に人生楽しんでいるか?、いや多分そうじゃないな、とか考えてて。

 同じくらいの時期に高校時代に仲の良かった友人と話をしてて、その子は高校生の時にやりたかったことを実現してて、よかったじゃんって言ってたんですけど、しばらく経ったらやっぱり大変で辞めようと思ってるみたいな話をしてきて。聞いてみると人間関係とか職場環境とか、仕事の内容も自分の表現したいことができないってことで悩んでて。

 そういうことを考えていた時期ですね、この喫茶店を守って行きたいって思ったのは。

 今、マスターご夫婦でやられてるんですけど、もう82、3歳ぐらいのお歳で、マスターはよく冗談で「あと何年できるかな」みたいなことを仰ってて。「いやいやまだまだずっと続けてくださいよ」みたいな話をするんですけど、自分の進路を考えていたタイミングで、なんか、自分がやりたいことってよりは、やらなきゃいけないみたいな使命感をそこで感じたんですね。

 地域にはなくてはならない場所だけど、マスターご夫婦も高齢で、冗談半分だと思いますけどいつやめようかみたいな話もしてて、そのときに、できるかできないかとか、やりたいかやりたくないかとかよりも先に、この場所を守っていきたい、この喫茶店を継ぎたいと思いました。

 その喫茶店はもう50数年くらい同じ場所でやってるお店なんですけど、それだけやっていたら何十年も通ってる常連さんがたくさんいるんですね。もちろん最近通い始めた若い方とかもいたりして、そういった方たちの居場所だったりだとか、横の繋がりができてる地域の中でもすごい重要な場所がこの喫茶店だなっていうところを感じていて。

 それで、マスターに「このお店を継ぎたいんです」と伝えて、休学していた1年間で働いて修行をさせてもらいました。そこから将来的に喫茶店を継ぐことを目標にしてやっています。

 本当に言ってしまえば、飲食店、特に喫茶店やカフェはすごく厳しいって言われてる時代で喫茶店継ぎたいなんて結構思い切った話だし、自分でも後から本当に大丈夫かなって思ったくらいには、直感でしか考えてなかった話なんですけど、やっぱり一番は、自分の中でこの場所を守っていきたいって思ったのが一番のきっかけで、しかも元々やりたかった、地域でつながりが生まれる場を作りたいってことにも繋がってるってところかなと思います。

大学を卒業したらすぐに喫茶店を継がれるんですか?

 お店を継ぐタイミングはいろいろ考えてて、やっぱり今のお店があるのって、今のマスターご夫婦がやってるからってところは一つ大きい要素だと思うんです。やっぱりご夫婦が元気なうちは絶対にお2人にやってほしいんですね。

 なので、タイミングってすごい難しいんですけど、一つ思ってるタイミングは卒業してすぐとか、2年後とかってよりは、ご夫婦がお2人だけでできなくなったタイミングに力になれたら嬉しいなと思ってます。なので、卒業してすぐをどうしようってのは、今考えてますね。

今後の目標やテーマはありますか?5年後、10年後どうなっていたいなど。

 5年後は、、、やっぱり地元の飛騨に住みたいですね。10年後には絶対に住んでいたいです。それくらいになると30代前半で、お祭りの担い手としても若手を引っ張っていく年齢になるので、お祭りのこれからも考えていかないといけないですし、今すごく人口が減ってたり、お祭り組織の若者が低くなってたりしてて、5年後にどうなってるのかもわからない。

 今23歳で、20歳過ぎたくらいからすごく現実的なことも見え始めたというか、やっぱり地方だからどうしても保守的な考えになりがちですし、それだと、言葉悪いですけど僕みたいな20歳ちょっとの若い人間が何か言ったところでっていう側面もあって、そういう風に言われないようにっていうか、5年後、自分が言ってることややってることに一目置いてもらえるように、今、頑張っていかなきゃいけないなって思ってます。

 正直な話、5年後では遅いと思ってるんですけど。お祭りだけじゃなくて自分の大好きな地元に対して、何か着実にアクションを起こせるようになっていたり、たくさんの人に共感していただけるような、そういった存在になれてたらいいなって。

 その時を見据えてこの1年、2年、3年っていうのは過ごしていきたいなって思ってます。

坂下さんの想いや理想、そこから湧き出る行動や挑戦、いかがでしたか?
引き続き、応援してます!

[取材日]2023/3/7
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<最後に>

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