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もう限界だってところまで全力でやってみます。徳島県牟岐町発、環境に関係なく、子どもたちが豊かにキャリアを描ける仕組みをつくる。-Emi

MAKERS U-18にはどんな人が集まっているのでしょう?3期生、川邊笑さんに詳しく聞いてみましょう。

9期生エントリー受付終了!10期は2025年3月末開催予定。今冬情報解禁。
詳細はこちら▶https://u-18.makers-u.jp/

簡単に自己紹介をお願いします。

 川邊笑です。徳島県の海部群っていう、3町合わせても2万人ぐらいのちっちゃい地域で子どもたちの居場所作り、具体的には思春期の子たちが来れるような場所だったり、不登校の子たちが来れる場所だったり、あとは先生が悩みを相談できる場所だったり、多機能型の居場所活動をしています。

どうして活動を始めようと思われたんですか?

 元々の課題感としては、生まれた環境によっていつの間にか将来が左右されてしまい、それが連鎖してしまって抜け出せない家庭もいるなって実感していて、自分の同級生を見ていても、家庭的にしんどくて進学一つとってもできなかったりとか、そもそも何をしようって考える機会もないって状況も地元ではあって、大人になった後も仕事がしんどくて結局辞めてお金がなかったり、その連鎖を、個々人のせいだけにするんじゃなくて、社会側として整備していかないといけないっていう思いがありました。

 大学は関東にいて、関東のNPO法人で3年ぐらい学習支援のボランティアをしていました。元々は学校の先生になりたかったんですけどボランティアの中で色々な子に会って、経済的に厳しい子もいましたし不登校になってた子もいたし、両親が離婚してお父さん変わったりって子もいたし、色々な家庭環境の中で、なんていうんですかね、努力すらしづらい環境に置かれている子どもたちがいる。そんな現状を目の当たりにしたのが一番大きいですね。

 あとは、成人式で地元に帰った時に地域間の格差を感じたというか、東京や関東ももちろん完璧ではないですけど、それと比べても地元には圧倒的に支援の数が少なかった。そういう仕組みというか、サポートする体制が街に本当になくて、学校と家以外に行ける場所もなくて、ある意味放置されてたって現状だったので、やろうと思いました。

学習支援をされていたということは、元々教育に関わりたいと思っていたんですか?

 そうですね。一番最初のきっかけは中学生のときで、中学2年生の時に思春期もあったりして入ってた部活辞めたりみたいな時期があって、自分自身も自暴自棄になっていた時期があったんですけど、それを言える大人って先生と親以外にいなくって。

 しかも私の街の学校は本当にちっちゃくて、ずっとクラス替えもなくキャラみたいなのも固定されてしまってて、友達にも簡単に相談できず。

 そんな、自分自身もしんどかったタイミングで、知り合いの方が自分で命を絶ってしまうことも起きて、自分自身とも重なって、人間の弱さではないですけど、強く見えても弱い部分もあるし、その支えになる周りの環境ってすごく大事なんだろうなって考えてました。

 ちょっと重たい話ですけど、自分の命を絶つ人を減らしたいって想いがシンプルに根底にあって、そのためにどうしようかって考えた時に、困難の要因を一つ一つ潰すなんてちょっと難しいから人の方を強くしないといけない、そしたらもう教育だろうって思いました。

実際に活動されてみて気づきや手応えはありますか?

 2年ぐらい実際やってみて本当に環境次第で子どもは変わる気がしていて。全員にめちゃくちゃ力があるので、それがその子の努力とか才能とかよりかは、どんな大人にあったかとか、どんな言葉を言ってくれたかとか、本当に環境次第で大きく変わるなってすごく実感しています。

 高校生の子とかだとすごく進路については前向きになったというか、例えば私達と出会う前は家で引きこもりがちだったとかが、ちょっとずつ出てきて色々な人と関わる中で、将来が全然イメージできてなかった段階から将来はこういう道に進みたいというのを決めて受験したりとか、就職っていう道を選ぶ子もいて、すごく変化はありました。

 最初に会った時小学生で、今は中学生ぐらいの子だと、最初はもうなんか、「生きている意味あるんですかね」ぐらいのことを言う小学生とかだったんですね。将来もやりたいこともないし、大学も高校も別に、知らん。みたいな。でも半年とか1年とかずっと伴走していく中で、ちょっとやってみたいことができるとか、勉強に対してもちょっと前向きに頑張ってみようとか、すごくちっちゃいことですけど、元気になっていったなっていう感じはあります。

ちっちゃいことだけど、元気になっていくって素敵ですね。

 ありがとうございます。子どもたちとずっと関わっていく中で、かわいそうな子たちとかではなく本当に力もあるし可能性もあるけど、環境一つで自分のことを否定したり自信が持てない状況になっちゃってるだけで、めちゃくちゃ可能性あるって思うことが多かったのと、同時に私自身はあの地方出身で関東の大学まで来させてもらったってことを振り返った時に恵まれてたなと同時に思って。

 色々な人から支えてもらって私自身も進学もできたし、色々な機会に恵まれてこういう活動もできてるからこそ、次世代に何か残していきたい、そこに時間を使っていきたいって想いが両方重なって、やろうってなっている感じです。

教育というと学校の先生が一番に思い浮かびますが、先生になることも考えていらっしゃるんですか?

 今のところはないですね。大学3年生ぐらいまでは先生しようと思ってたんですけど、学習支援での子どもたちとの出会いが大きくて、不登校の子をサポートしていた時に、その子は勉強を頑張りたいってことだったので、一生懸命勉強私も教えたら、頑張りすぎて結局拠点に来れなくなってしまって。その時に、今のまま先生になったら、なんていうんですかね、将来のために勉強を教えるってことしかできないし、社会にも出てない何が正しいかわからない状態だと、責任持って言えないなっていう気持ちもあって、一旦は先生じゃなく、学校だけでカバーしきれない子がいっぱいいるので、学外のアプローチをしようと思いました。

 先生も面白そうだなと思うのでいつかやってみたい気持ちはありますが、今は先生をサポートするというか、学校教育をもうちょっと働きやすいような、学校をサポートできるような事業をにしたいなって想いがあります。

今はどんな運営体制でやられているんですか?

 今は一般社団法人で、非営利のモデルです。メンバーは先生を退職された方と、30歳ぐらいの方と5人ぐらいでやっていて、地元で長くやられてた方も協力してくださってますし、大学生みたいな若い人も入ってもらっています。

関わってくださるメンバーはどんなモチベーションで参加しているんですか?

 みんな共通なんですけど、子どもたちのためにってところはすごく強いと思います。加えて、先生を退職した方の場合だと、現職だった時に学校ではサポートしきれなかったって思われてる先生も多くて、退職されてから、学校に行けない子であったりサポートが必要な子たちに寄り添いたいってモチベーションを持っている方が多いかなと思います。

ありがとうございます。どんな地域でやられているのかも教えていただけますか?

 ありがとうございます。拠点がある牟岐町(むぎちょう)は人口3600人ぐらいの本当にちっちゃい町で、でもすごく海と川と山が近くて、自然豊かだなって思ってます。地域の人もすごく温かいですし、地域内の繋がりみたいなのは強い。ただ高校はないので、外に出なければ同じ敷地内にある保育園、小学校、中学校で15年間通うって感じですね。拠点自体は牟岐町の真ん中の廃校になった小学校を借りていて、15人ぐらいが通ってきています。

全人口3600人で15人って結構多い印象です。 

 そうなんですよ。色々な町から来てるのであれなんですけど割合は多いです。1クラス分よりいます。牟岐小学校の小6は11人しかいないのに、そのうち3人みたいな。

どうして多くなってるんでしょう?

 保育園から中3まで一緒で、一学年10-15人、男女半々だとしたら5-8人でずっと変わらない人間関係なので、一発いじめとかが起きるとコミュニティがほぼ全部駄目なっちゃうですよね。合えばいいんですけど、合わないともうしんどい。もっと人間関係が多様だったら、クラスがダメでも部活とか習い事でってできますけど、全部一体になってしまってるので。

 最近は小学生も多くて、小さいと小3の子もいますけど、小5、小6、中1が多い気がします。

小学校高学年くらいから多くなるんですね。

 そのくらいになると、思春期もありますけど、勉強が難しくなるのも一つあります。算数とか性質変わってくるじゃないですか。漢字も難しくなってきたり。ちっちゃいときは別に勉強わからなくても友達と遊べれば楽しいって感じでも、さすがに小5以上になってくるとつまらない授業をずっと聞くのはできないってなってきたり。発達の特性もあると思いますし、そこをサポートする機関がないので、そのまま放置されちゃう。

 あと何か、人間関係のゴタゴタが若干陰湿になり始めるのもそのくらいですね。例えばですけどグループLINE外すとか、低学年だと面と向かって喧嘩してたのが、ちょっとずつ陰湿になっていくみたいな。

 シングルの家庭も多くて、離婚して里帰りするので、転校してきたとか、学校が変わっちゃうところの遅れみたいなのもあるし子どもにとってストレスが大きくてやる気も出づらいみたいなのもあると思います。

学校もそうですし、家庭環境で悩む子も多そうなイメージです。

 家が嫌な子も一定数はやっぱりいて、親が喧嘩するとか厳しいとか。学校行きたくないってなった時に、親子関係って大抵1回は悪くなるんですよね。「なんで学校に行かないんだ」とか圧がかかり始めるので、そうなってくると家もしんどい。

 学校と家どっちが先かにもよりますけど、しんどいですね。暇だしずっとYouTubeするしかない、ウロウロしてたら目立つので外にも出れない。でも親ともギスギスするみたいな感じだと、もはや引きこもりもできない。マックとかファミレスとかがあれば、ちょっと息抜きにもなるんですけどないので、マジで逃げ場がない感じはあります。塾も、小さいところはありますけど学校のクラスメイトが来るので、そしたら行かないですね。

たしかに。。その子たちは中学を卒業したらどうされてるんでしょうか?

 高校進学して通えるようになったらいいんですけど、行けなかったらやっぱり中退して通信に行くっていうルートですね。

 その後は、大学も身近にないですし、一人暮らしするお金ももちろんいるので、進学するコストが高いし、意識も低いみたいなのが相まって、高卒が多いですね、専門学校に行く子も多いです。大学に行く人ってまだ学びたいって意欲があると思うんですけど、こっちの子はもう就職をする前提なので、美容師とかメイクとか、直結するようなものに行きがちですね。高卒で民間の工場とかで働くことが多いです。あと公務員も多い気がします。

 親の価値観も関係してる気がして、大卒の仕事自体が先生か公務員かみたいな感じでめちゃくちゃ少ないので、大学行ってもね、みたいな。徳島全体がそんな感じなので、東京でいうと進学率は大体75%ぐらいある中、地方は県によって違いますけど50%くらいで、都市部とは20%近く違う。その中でもやっぱり郡部に行けば行くほど、低くなる傾向にあると思います。

 進学とはちょっと違う話かもしれないですけど、その子たちが困ることって、バイトに落ちるんですよね。たとえばホームセンターで出てる求人に応募した時に、学校に行ってない時期とか病気になってた時期があると履歴書の年齢と学年が違うとかになって、厳しい。その状態で社会経験を積まないままだと就職も厳しいので、通信制が受け皿になっていても、地域だとその後が難しいんですよね。プログラミングとかを学べるところも地方にはないですしPCを買うお金も要りますし。

 あとはそもそもバイトをしたがらない子もいて、地元でするのが接客業でも知り合いに会ってしまうので。でもそうなったらバイトしに行くってなっても、交通の便が悪いので機会が少ない。高校進学もそんなに選べないので、選択肢がたくさんあったらいいんですけど、変わっていくきっかけが1回ドロップアウトしちゃうと中々ない。一つ崩れると一気に脆いというか。

 小さい町で多様性があるかというとそうじゃない。親御さんも、何かこうあらねばならないみたいな固定された感じがあって、いざ子どもがしんどくなった時に、匿名性がないがゆえに知られると恥ずかしい、とかもある気はします。けど、しっかり子育てしないといけないってしがらみみたいなのもやっぱりあるので。

なるほど。。その解決策の仮説はありますか?

 やっぱり、固定された人間関係と価値観を街の中だけで変えるのって難しいと思うので、本人の中で気づきというか、色々な社会がある。ここだけじゃない。ここは合わないけどまだまだこっちの社会あるじゃん。こういう道もあるじゃん。みたいなものを本人に見せていくしかない気はします。

今後の展望や目標があったら教えてください。

 来年はしっかり対面の居場所を作っていって、3年後ぐらいには外部とのつながり、例えばオンラインで勉強を教えてくれたり、色々な社会人とつながれるようなプラットフォームを作って、現地の団体とオンラインをうまく併用したハイブリッド型の子ども支援の形を作りたいなって思ってます。

 徳島県全体で見たら、子ども食堂とか子どもの小さい居場所は100ヶ所くらいあるんです。地元のおばちゃんが頑張ってやってるんですけど、そこと連携して食堂に来てるお子さんが、地域の繋がりに加えて色々な出会いとか学びをオンラインも併用して取りに行けるモデルをまずは徳島県で、10年ぐらいは見てやっていこうと思ってます、

 キャリア教育みたいな価値というよりかは、そういう子たちが何か一歩踏み出して、自立していけるところを丁寧にサポートできるような団体になりたいなと思っています。やっぱり、小さい社会、学校とか家庭で上手くいかなくて、選択肢も知らない中でもう自分なんてってなっちゃう。そうではなくて、そこもちゃんとケアしながら、広い世界を伝えてその子たちの自立に繋がっていけばいいなって。

 色々な団体と協力しながら街の中で豊かにキャリアも描けるような仕組みを整えていきたくて、不登校とか貧困で分断されて孤立してしまう層が、適切に支援に繋がるための仕組みもちゃんと作りたいですし、その子たちをケアできる仕組みも作りたいし、前向きになれた先の選択肢や色々な人を知るとか、地域として生態系じゃないですけど、生活圏を豊かにしたいってイメージです。

継続というか、マネタイズが難しい領域というイメージがあります。

 マネタイズはめっちゃ難しいと思いますね。最初は寄付と助成金で走りながら、行政の委託や企業連携して進めていきたいとは思ってます。

 でももし本当に実現できたら、郡部にいたとしてもちゃんと色々な人と出会えたり、例えばリモートで働けるかもしれないし、そういった、環境で諦めることが減るんじゃないかなと思ってます。でも私達だけではできないので、いかに行政と民間と市民を巻き込むかに懸かかってます。

川邊さん自身の今後のイメージというか、思い描いている姿はありますか?

 本当にもう限界だなって思うところまでやってみたいって気持ちですね。とはいえ難しい領域、しかも地方なので、働き方の多様化も調整していきたいなと思ってます。

 従来だったら居場所事業で週5働かないといけないって感じだったんですけど、地方だったらそうじゃなくてもいいと思ってて、たとえば週3は居場所にいて、週1は自分のスキルで好きなことで稼いで、臨時で先生したり、地方で生きていくならすごくお金いるわけではないので、そういう新しい働き方を提案しながら、やっていきたいと思います。

 福祉の世界も開いていかないといけないと思うので、福祉の知識を持った人が例えば週の半分は先生してくれたらめちゃくちゃ連携もしやすいし、行政の方が半分でもいいし民間でも、そういう働き方のキャリアもいいかなとは思ってます。

 ただ、自分自身は1本で行きたいとは思ってます。最初は半分半分とかも考えてましたけど、面白いっていうのもありますし、片手間ではできない部分も見えてきているので、全力でやってみたい、やれるとこまでやってみたいって思っています。

たとえば、一度就職して経験を積んで、という選択肢はなかったんですか?

 他のところで修行してから始めるってのも、めっちゃ考えましたけど、今はないですね。結局地域や対象によって状況や戦略も違うし、正しいやり方がガーンってあるわけじゃないなとと。それだったらもう、自分でやりながら学んでいく方が早いなって思いました。逆に、1回離れたら戻れない気がして、一回就職したり都心に出て、その後、もう1回やろう、地元に帰ろうってもう1回決めないといけない。そっちの方が怖いなって思いました。

 起業、しかも非営利でとかすごい怖かったんですけど、でも結構、「いいじゃん、やってみたら」「失敗したら失敗した時にまた考えたらいいじゃん」みたいな応援もいただけて。まずはやってみたらいいじゃん、やってみよう。みたいな価値観ですね。

川邊さんの想いや理想、そこから湧き出る行動や挑戦、いかがでしたか?
引き続き、応援しています!

[取材日]2023/11/10
©2023 Emi Kawabe&ETIC. All Rights Reserved.

<最後に>

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