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40歳までに一兆円の企業を創って、50歳までに総理大臣になって、日本の経済を変えます。-Shimpei

MAKERS U-18にはどんな人が集まっているのでしょう?5期生、石丸真平さんに詳しく聞いてみましょう。

9期生エントリー受付終了!10期は2025年3月末開催予定。今冬情報解禁。
詳細はこちら▶https://u-18.makers-u.jp/

簡単に自己紹介をお願いします。

 石丸真平です。今は株式会社ネクストスケールを経営しており、企業の売上・採用を伸ばす為のWebマーケティングを展開しております。

 数年後に大きな事業を仕掛ける為、今はキャッシュを作る時期だと思っています。

 そして、40歳までに一兆円企業を創って、50歳までに総理大臣になり、日本の経済を変えます。

総理大臣になろうと思う、何かきっかけがあったんですか?

 きっかけでいうと原体験がめちゃめちゃ強くて、自分の家族があんま仲良くなくて、事実上母子家庭みたいな感じで。

 愛媛県に住んでたんですけど、中学2年の8月20日までは、プロサッカー選手を目指してたんです。日付も覚えてます。ちょうどその1年前ぐらいからスペインに行ってサッカーをやりたいって親にずっと言い続けてて、ただそんなことを言っても経済的にも難しいですし、良しとされるはずもなく。

 ただ、諦めが悪い人間なんでそこから1年間毎日ずっと交渉してたんですよ。ただ、1年やっていくうちに、これ無理なんだな、っていうのに気づき始めて。

 で、自分の中で、諦める期限を8月20日にしました。今でも覚えてて、8月20日を過ぎても結局無理で、結局駄目で。そこから、サッカー選手って道はもう全部絶たれたってなって、その時はサッカーしか考えてなかったので、人生終わったぐらいのテンションだったんですよ。

 そこから1年半引きこもって、1年半で喋った人3〜4人ぐらいで。ほぼほぼずっと自分の部屋にこもって、最初の1年ぐらいはずっと死のうと思ってて。ただ実際死のうとしても、怖すぎて、結局死ねなくて。

 で、やることもないので、ずっと頭の中で、何でこんなクソみたいな状況に自分が入ったんだろう、とか、社会とか、自分の人生とか、色々なことをずっと考えて、それである時辿り着いたのが、こんなに苦しい思いしてる人が他にもいるんだと。自分は今から人生変えようと思えばいくらでも変えれるけど、今日のご飯すら際どい人とか、生まれた時から犯罪に巻き込まれてる人とかいるわけじゃないですか。その人たちに比べたら、マジでどんだけ恵まれてるんだって思って。

 YouTubeとかずっと見てて、スティーブ・ジョブズや孫正義さんとかすごい起業家も、人生で1回はどん底を味わってるなって思って。今自分その時期だったんやなと。ここから諦めずに、這い上がって、何かやり遂げたら、かっこいいなと思った。

 それまでは自分が世界一のサッカー選手になりたいとか、めっちゃお金持ってでっかい会社の社長になりたいとかが自分の夢というか、全部だったんですけど、その引きこもってた時が、まあ苦しすぎて。世界にはこんな苦しさを味わってる人たちが他にもいるなって思った時に、なんか、それを経験した人間にしかわからない部分がどうしてもあるなと思ったので、自分の夢が、社会を良くしていく道、自分がでっかい会社作ってめっちゃお金持って、自分の為だけにお金を使うとかじゃなくて、社会自体を良くしていくって方向性に変わりました。

 それで、しんどい、苦しい思いをしている子たちを救える方法がないかていうのを、中3の夏ぐらいから考えて。でも、貧困とか、少子高齢化とか、虐待とか、全部変えたいけど、全部変えるには自分1人の人生の時間じゃ無理やなっていうので、最終的に経済を変えるってところに辿り着いたっていう感じです。

 資本主義で世界が成り立って以上は、綺麗汚いとか関係なく、経済とかお金って部分はどうしても切り離せないし、そこが安定しない限りは色々やったとて難しい状況は変わらないんじゃないかっていうのが最終的な結論で、経済を変えるためには、総理大臣しかなかったっていう感じですね。

 総理大臣になるよりも絶対に良い道が見つかったらそっちの道に行くと思います。ただ現状の僕の頭の中では、どう考えても総理大臣の道をやり切った方が変わるだろうなと思ってます。

そこを目指して、今は会社をやっているということですか?

 そうですね。こんなくそみたいな状況をなんとかしたいって思い始めた時に、最初のうちは人工知能を開発して今の無駄な仕事全部なくしたろと思ったんです。

 人工知能がやってくれるなら嫌な仕事はしないでよくなるじゃないですか。ただ生きてはいかないといけないってなった時に、たとえばベーシックインカムのような制度で、必要最低限の生活はできる。そんな状態になれば、本当はやりたいこととかがある人たちがやりたいことをやるんじゃないかな、そういう社会の方が面白いなと思ってました。

 それでプログラミングを始めて人工知能を作ろうと思ったんですけど、まあ半端なく難しくて、思いっきり挫折してほぼほぼ何もできなかったんですけど、その後もプログラミングにハマって、色々作ってるうちにクラウドソーシングを知って、お金をもらいながらプログラミングで色々できるなと。 

そこから今の会社につながったんですね。

 そうですね。元々ちっちゃい頃から会社やろうと思っていたので、事業として何やるかっていう時にまず自分が得意なこと、できることはなんだろうなってなったときに、そういうWeb系の仕事得意だなと思って始めた感じです。

学問であったり、いきなり政治の道に進まなかったのはなぜですか?

 僕は50歳までに総理大臣になろうと思ってて、40歳までに1兆円の企業を創るって言ってるんですけど、というのも経済界でめちゃめちゃ力持てるぐらいの立ち位置に行きたくて。

 何でかっていうと、貧困を解決するにしろ、少子高齢化を解決するにしろ、人口問題解決するにしろ、基本的に全部経済が関わってると思っていて、その経済政策を変えていくためには、まず個人として力がないとそもそも話にならないと。出馬するときに、経済界で強い影響力があるとだいぶ力強い後押しなるだろうっていうのと、仮にゼロから党を立てるってなったらとてつもないお金が必要だとわかったので、最悪ポケットマネーだけで賄えるようにしたいっていう感じですね。シンプルにちっちゃい時から会社やりたかったってのもあります。

なるほど。今の会社を作るまでの出来事を、もう少し小さい頃の話から振り返って教えてもらえますか?

 そうですね。。小学校は4年間だけ行って、中学校は引きこもってたんで3ヶ月だけ行ってました。

 学校いらないと思って生きてきた人間なんで、我ながらめんどくさい子どもだったなと思います。

学校はそんなに行ってないんですね。

 学校行ってないですね。小学校は、4時間目の中盤ぐらいに来て、ちょっとだけ受けて、給食食べて、昼休みにサッカーして、6時間目受けて、友達の家に遊びに行って、帰ってゲームしてって感じでしたね。

 中学以降はまるっきり行かなかったですね。卒業アルバムは誰もわかんないっていう。

 中学の引きこもってる時は、さっきも言った感じで、なんかもう、クソみたいな生活でしたね。でも、YouTubeでビジネス系の動画はよく見てました。ホリエモンさんのチャンネルあるじゃないですか。一番初期からずっと見てました。やることなさすぎました。

 高校には行かなかったです。でも、なんか学校には行きたかったんですよ。行きたいんだけど、面白くなさすぎて。同級生の子たちと遊んだりとか喋ったりするのは好きだし面白いので行きたかったけど、高校にいったところで多分3日でやめてただろうなと思います。しんどくなっちゃうんですよね。

その後どうなったんですか?

 中学を卒業した後は、さっき話したプログラミングをやりたくて、そのためにはパソコンが必要じゃないですか。自分のパソコンを持ってなかったので、叔母にローンを組んでもらってパソコンを買いました。10万ちょっとぐらい。

 そこから高校生の年齢になった時にバイトを始めて、バイト代でお金返して、バイトの休憩時間にプログラミングやって、終わってもプログラミングやってるみたいな生活をしばらくしていました。

 でも一人でやってるのも段々飽きてきて、そもそも地元があまり好きじゃなかったのと、ビジネスや興味あることに全力でぶつかれる場所がなかったので、どうしようかなと思ったときに、NPO法人D×Pの代表の今井さんからの紹介で東京に行くことにしました。でもアルバイトとWeb制作で稼いだお金くらいしかなかったんで、リバ邸っていうシェアハウス紹介してもらいました。

 これめちゃめちゃいいなと思って、このシェアハウス愛媛県にも作りたいってなって、東京に半年ぐらいいて、愛媛に帰って、シェアハウスを作りました。そのために物件探したり人集めたりしながら同時並行でプログラミングスクールでインターンをして、そういうのを1年間ぐらいやって起業して、今に至るっていう感じです。

愛媛でシェアハウスを作ったんですね

作りました。リバ邸愛媛っていう。最初、僕が起業とかにすごく関心があっても愛媛県にそういう企業とか、自分の夢を追いかけたいと思っても飛び込める面白い場所がなかったので、そういう子たちの居場所になるような場所を作ろうと思ってつくりました。

 最初は起業家とか、フリーランスの方とかが集まってきて、最大8人ぐらいで一緒に住んでます。毎週フットサルやったりとか、毎日朝活やったりしてます。

引きこもっていた中学時代から色々やり始めるまで、何か変化があったんですか?自信がつくような経験とか。

 明確にある日を境に変わったってわけではないですね。

 たとえば、MAKERS U-18に参加したこともそうですけど、東京に来るっていうだけでも、僕からしたらだいぶ大きなことでした。17歳の愛媛県から出たことない田舎育ちの少年が、1人で飛行機を予約して、空港行って、電車乗って、みたいに、自分の行きたいとこ行って、見たいものを見てって生活をしていると段々、生きていける、やっていけるなって感じになりましたね。

 あとはバイトしてたので、初めて自分で働いて、お金を稼ぐ経験も、小さいことですけど、自分のステップアップとか自信には繋がったんじゃないかなと思います。そういう積み重ねが今としてはあってよかったなって経験です。

 どうしても周りのせいにしちゃうじゃないですか。僕はそれをずっと1年ぐらいやってて、結果何も変わんねーなっていうのを心の底から痛感したって感じです。そこから何か、自分が変わるしか自分の人生を変える方法ないなって感じになりました。さすがに1年半引きこもってて、誰も助けてくれないって現実は苦しかったです。

 もう1回この人生全力で頑張って、それで無理やったらその時死ねばいいなと自分の中で決めて、そしたら諦めが悪いのでできるまでやる、そのうち自信がついてきたりとか、人生が好転してきた感じですね。

 僕は根拠のない自信が、多分世界トップクラスにあるんですよ。何なんでなんですかね。何だろう。本当はあの仕事やりたいのに安定してるから公務員に行きなさいとか、こういう学校に行きなさいとか、あるじゃないですか。僕そういうのが家庭環境的に全くなくて、良くも悪くも放任されていたので、なので学校行ってないんですけど、結果論として、自分の歩んでいる道を自分が決めてきたって感覚があって、それが根拠ない自信みたいなものになってるのかなって思いますね。

40歳、50歳までの目標はお聞きできたんですが、5年後10年後ってスパンだと目標はありますか?

 5年後ぐらいは海外でビジネスやりたいって思ってて。営業利益10億くらいのビジネスやれたら面白いなってのが1個あって、その上で10年のスパンで見たら、2つあって、社会課題に対するビジネスか、めちゃめちゃスケールするでかいビジネスかの2つ。どちらかをやりたいなと思っています。それまではまず個人としての体力と、会社としての体力をつけないとって思ってます。

どんな総理大臣になりたいとか、総理を退任した後どういう状態になっていたらいいってイメージしてることはありますか?

 日本の社会で、政治家と起業家のイメージや地位を上げたいってのが1個あります。なので、かっこいい総理大臣になりたいですね。

石丸さんの想いや理想、そこから湧き出る行動や挑戦、いかがでしたか?
引き続き、応援してます!

[取材日]2023/3/3
© 2023 Shinpei Ishimaru &ETIC. All Rights Reserved.

<最後に>

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