見出し画像

「適当なアウトプット」

前回の記事で、スプーンを作ったことに付いて書きました。長い梅雨とコロナで外出しづらない期間でしたので、暇つぶしに、必要以上に作りまくっておりました。途中で壊してしまったのも含めて合計10本くらい。だんだん精度も上がってくるし、工程を見直したり、使う工具を変えてみたりもしてます。

もともとDIYはこの数年間の趣味みたいなもので続けていたのですが、このスプーンを作る、という過程には体系だった技術というのはほとんどありません。そもそものきっかけはコーヒーのメジャースプーンがプラスチックの味気ないやつで、サイズも実は合ってないんじゃないか、作れそうだし余ってた端材でやってみればいいじゃないか、と思い至ったことであります。木工自体はそれなりに経験してますが、家具を作るのとスプーンを作るのでは考え方もアプローチも違うし、そんな彫刻っぽいことはやろうとすら思わなかったわけです。

画像1

だけども手元にある材料と道具でとりあえず始めてみることで、「スプーンが欲しい」という自分の欲求に素直に応えてるのは技術的な面でどんなにツッコミどころがあろうとも関係なく満足感があるし、精神衛生的にもとても良い状態。そもそも評価すべきは自分以外の誰でもないし。

木工職人を目指しているわけでもなく、意図してたわけではないけれども「体系だった技術」から距離を置いてこれまできて、それ故になんとなくプロの世界に対して引け目を感じてたけれど、どうでも良いと思えるようになってきた。

その辺のことをモヤっと抱えたまま、なんとなく言語化できていなかったのだけれども、ちょっと前に坂口恭平「自分の薬をつくる」を読んでたら、その中にセーターを編む話があって、「編み物が上手くなりたいわけではなく、セーターが欲しい。」「欲しいセーターを手に入れるためのプロセスなので、セーター以外のものは編めない」というのを読んで、ああそういうこと、と1ヶ月間ひたすらスプーンを作ってたことにすごく納得したのであります。今のところスプーン以外のものを作る動機はないです。今のところは。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?