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2024年からはじめる

悲しい話題で始まった2024年。テレビから流れる強いトーンのアナウンスとSNSで拡散される最新の情報は、遠く離れた場所で起こる出来事がリアルに伝わってくる。

と同時に、偽りの情報の速度も加速している。これはとても怖い。不測の事態に陥ると、最新情報の真贋を確かめる心の余裕が無い状況の人がある程度出てしまう。

被害に遭われた方々が回復に向けて最適な方向へ進んでいけるよう心より願っております。

政治も経済もここ数年はネガティブな案件が重なっており、未来に向けた明るい材料が乏しい。それでも人は未来に向けて力強く進まなければならない。

2024年がどのような1年となるか。取り巻く環境を注視しながら、最適解のコマを1つ1つ進めていくしかない。

モノ作りの世界において最近強く思うことがある。「昔はよかったなー」とおじさんは語る。しかし本当に20年〜50年くらい前の時代を作ったプロダクトたちが今の時代に必要ではないだろうか。

「効率」というベクトルを無視したプロダクトたち。むしろ「非効率」なモノにこそ、感情を動かす力があるのではないだろうか。「待つ」時間の中にさまざまな思いがうごめいて心を豊かにすると私は考えている。

誤解の無いようお伝えするが、あくまでも「時間」の話をしているので「エネルギーの効率化」などは引き続き進化していくべきであります。

「食」の世界では調理方法、調理器具、食材がどれだけ進化しようとも「食事」の時間は効率化されることがない。食べたり飲んでいる時間はとても楽しい。食事以外にも音楽を聴いたり洋服を選んだりドライブしたりする時間もゆっくりと流れる方が楽しい。そうじゃない人もたくさんいるかもしれないが、気持ちが満たされていく時間はゆっくり長く経過した方が充足感は大きくなるのではないだろうか。

田舎暮らしが良くて都会暮らしが悪いわけではない。時間の流れるスピードが違うことが大きな隔たりだと考えている。都会暮らしでもゆっくりと時間を楽しむことは十分に可能である。

どれくらいの時間の感じ方ができるとベストかと言えば、「子供の時に感じた夏休みの長さ」くらい。年老いてもこの長さを感じることはできるはずだ。そのためにはこれまで生きてきた中で経験したことのない環境に身を置くことだ。人は記憶にない出来事に対峙すると時間がゆっくり(本来の速さで)流れるようにできている。

帰宅すると蛍光灯がパチパチしながら灯り、ブラウン管が少しずつ映像を鮮明に映し出し、好きな曲までカセットテープをキュルキュルと早送りする。LEDや有機ELやクラウドミュージックでは味わえない「曖昧な時間」を、昔の人たちは当たり前のように感じながら生活していた。

効率的な暮らしが時の流れを早める。体感の話ではあるが、量子力学的には本当に時間が短くなっているのかもしれない。

少しでも長く感じられる人生を過ごしたい方は、是非「非効率」に注目してみほしい。

私は2024年から効率を求めないライフスタイルに切り替えます。自分が80歳くらいになった時、

「まだ80歳かよ!」

って言えるように。






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