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他人に期待しない生き方

この世で一番かわいいのは自分自身。
私はあなたの操り人形じゃない。
信じられるのは自分だけ。

決して他人に期待してはいけません。
それが、家族・恋人・恩人であっても。

冷たい言い方ですが、
いくら信用していても結局は他人。

期待をするなら、まずは自分が積み重ねてきた
行動に対して、つまり自信を持つということです。

この世で一番かわいいのは自分自身

人は誰しも、誰かの言いなりに
生きたいとは思いません。

幼い頃、両親からのしつけの中で
「これをしてはダメ!」
と言われたことが大多数の人に
思い当たるはず。

人の自我というのは不思議なもので、
そういったしつけの中で反発心も
芽生えてくるもの。

一度ならず何度かそういった「ダメ」という
教えを破って叱られるという経験を
誰もがしてきたものかと。

なぜそのように教えを破るのか、
それは人間の本能で「破るとどうなるか」
という感情がわいてくる。

両親を始め誰からも「教えを破る」ことを
教えられていないのにも関わらず。

「教えを破ると叱られるかも」という
怯えも同時に湧いてくるはずが、
やはり好奇心が勝るのか、
「教えを破る」行動を取ってしまう。

それは自分が一番かわいいから。
自分の考えたこと、やりたいと思ったことを
行動したいと思うのが生まれ持った
人の性(さが)といっても過言ではないでしょう。

都合の良い操り人形じゃない

話は戻って、
「他人に期待してはいけない」理由も
人の性から来ているというのもある。

期待をするということは、自分の望み通りの
行動を相手が取ってくれるということ。

では期待された相手の立場で考えると、

あなたは私に期待をしているが、
それは私にとって望ましい結果にならない…

と考えているかもしれない。

これは、まけまなの実体験で
昔いた会社の上司がザ・クレーマーな
怒ると面倒な性格の人だった。

ある時、新しく導入した機械の調子が悪く、
丸一日稼働できないという時があった。

その上司の指示で「原因の究明と復旧」が
最優先ということで、業者を交えながら
必死に作業した結果、終業時間ぎりぎりに
復旧できた。

原因については明確にできず、
業者も偶発的なものだったのかもしれない
という見解だったと上司に報告すると、

「じゃあその原因が分かるまで業者には
現場で引き続き原因究明をしてもらうことと、
機械が止まっていた時間分の損害を
負担してもらうよう言ってくれ」

と、真顔で指示してきた。

社会人1年目のまけまなは耳を疑った。
そんな理不尽なことを要求するうえに、
その交渉をこんな若造がしろと…?

「それはさすがに…」と切り出すと、
上司は顔を赤くして机を叩き、逆上。
内心、呆れながらも仕方なく指示に従うことに。

まだ現場で待機してもらっていた業者に
経緯を話す。予想通りの答えが返ってくる。

「それは、非常に難しいですね。。。」

そりゃそうでしょう。
業者がやるべきことはやったことは
この何時間一緒に作業していて
自分は分かっている。

分かってないのはただ一人なのだから。

伝言ゲームの間に挟まれながら、
現場と別のフロアにいる上司へ再度報告。
するとこちらも予想通りの反応で
持論をわめき散らしたあげく、

「お前はそれで納得したのか?
お前はできる奴だと期待していたのに
がっかりだな」

と捨て言葉を吐き、ようやく一緒に
業者のいる現場で話し合いを行うことに。

話し合った内容の詳細までは覚えておらず、
結局、業者も会社側も気をつけるということで
その場はなんとか収まったような記憶がある。

この上司も相変わらずで、
これ以降も何度とこういった場面に
巻き込まれ、先輩からも

「あの人怒らせると面倒だから、
ひとまずあの人の言う通りに動いてみる。
それでもダメならあの人が動くしかないから」と。

まけまなの視点からすると
「もっと大人に平和的な方法を
取ればいいものを」なのが、

上司からすると
「上(会社役員ら)に良い報告をするためにも
自分が会社のためになることをしなければ」
というように噛み合わない。

これではお互いの期待に応えられる訳がない。
そう、どちらも都合の良い操り人形ではないのです。

自分への期待=自信を持つ

会社の上司というのは
新人の平社員と視点が合わないのは
そう珍しいことでもない。

仕事からヘトヘトになって帰って
自宅で晩御飯を食べようとすると
気が向かないおかずだということが
何度もあった。

ハンバーグの口だったのに、
煮魚だった時のガッカリ感。

何十年と一緒に過ごしている家族、
相思相愛の恋人、自分の人生観を
変えてくれた恩人のいずれもそう。

あなたがその人に期待することを
言葉にしてもしなくても、
それが実現するとは限らない。

期待をしておきながら、
それが実現しなかった時の
ダメージを思うと、
期待はまさに諸刃の剣。

むしろ期待しない状態でいて
嬉しいことに出会えた方が
より幸せな生き方ができるもの。

期待は自分に向けてするもの。
「これだけやってきたんだから、
きっとできる!」

自分への期待というのは
自信ともいえる。

自信がある人は頼り甲斐があって、
自然と人が集まる魅力がある。

ただ、過信にならないよう、
自分のできることをしっかり
準備することがとても大事。

他人に期待して肩透かしを食らうより、
その期待を自分に向けることで結果を出す。

その方が、より正しい期待の仕方だと
他人への期待値を下げて、自分へ期待する
マインドに変えたまけまなの実体験です。

おかげさまで振り回されることがなくなり
随分と生きやすくなったと感じてます。

自分が他人の期待のために生きていないように、
他人も同じような考え方で生きています。

他人を意識する時間を自分に向けてあげることで
さらに生きやすく素敵な人生が送れるということを
今後、まけまなが実証できるよう
自分を大切に生きていこうと改めて決意するのでした。


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