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繊細さんの脱「男らしく」

体育会系な青春時代



吹奏楽部に所属していた学生時代。
特に高校はいわゆる強豪校で、
上下関係や伝統は厳しいものがあった。


文化部の中でも体育会系の要素のある吹奏楽部。
さらに、吹奏楽部の中でもより体育会系な
金管楽器が担当で、まさに体育会系のノリ。



今思えば精神論だけの無茶な練習もあったりで
実際に「質」を伴う練習だったのか疑問的な
ものもあったが、それも含めて体育会系のノリ。


常に求められたのが「男なら諦めるな」という
考えで、逆境にも負けないという成功体験が
できたのは良い側面だった。



ただ、《諦める=逃げ》のような考え方が
醸成されてしまったのは、必ずしも良かったと
言えない経験を後々することになった。


逃げを許容する



社会に出て初めて適応障害と診断されるまでの
数か月は35年の人生の中でも上位に入るほど
苦しい期間だった。


上司との関係や、当時携わっていた担当業務の
緻密さ・難易度が体に合っておらず、
食欲不振や無気力状態で毎日を過ごしていた。



それもこれも全て「弱い自分のせい」と
思うことしかできなかった。


周りの先輩は適度にグチりながら
仕事となると正面から立ち向かっている。



まけまなはグチってもさほどスッキリする
わけでもなく、真面目な性格のせいか
悩みを真正面から受け止めてしまう方だった。


その結果、限界が来てしまって
心療内科へ駆け込むほど衰弱というか
平静ではいられなかったのが当時の出来事。



休職に入ってからもどこか自責の念があり、
結局、「逃げても良い」と素直に考えられたのは
昨年の今頃という、つい最近のことだった。


「男らしく」からの脱却



昨年の今頃、自身がHSPであることを知った。


川の流れに逆らえないように、
生まれ持った気質に逆らうことは強い抵抗が
生じるということ。



それを気合・根性といった精神論で乗り切るには
無理しかなく、青春時代の成功体験「男らしさ」
から脱却することで精神的にとても楽になった。


大事なのは「男らしさ」よりも「自分らしさ」。
「自分」を殺してまで抽象的な「男」らしく
生きる価値を考え直せたいい機会になった。



自分の弱みも受け入れたうえで、それを生かす。


これを意識していることで
川の流れに逆流しているような感覚から
卒業できた気がしている。

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