見出し画像

AIは、学ぶ機会や創造性を奪ってしまうのか?

最近ネットニュースで知った記事ですが、チームメンバーをAIでイラスト化して、さらにグッズ展開するというのは、ほんとお見事ですね。

学校外活動費や教科外活動費について、各家庭の負担ということになりますから、チームとして、お互いが切磋琢磨しながら、継続的に運営させ、優秀なコーチ獲得を含めて、よりよい環境を整備していくために、どうしたらよいのか?どうするか?が問われきます。

となると、その地域に限らず、幅広い層に自分たちの活動を認知してもらい、チームの応援者や支援者を増やしていくことはめっちゃ大切。

学校現場で、生成AIを活用することに慎重になる理由として、AIに依存するだったり、思考や創造という学びのプロセスにおいて、試行錯誤がなくなるのではないかという懸念があると思います。ただ生成AIで何かしらのアウトプット(画像やアイデアなど)をつくるにしても、プロンプト入力を含め、けっこう試行錯誤をしながらになりますので、ポンとやってパッと出ている訳ではないのです。最後は必ず選び、編集するという人の手が入ります。

結局、AIを活用することで、どんな未来を描きたいのか?だと思うのです。そもそも学びのあり方として、学びの経験や体験を自分だけで完結させないことだと思います。主体的な状態を再現できるまで、身体知化していくことが大事です。例えば、学びを他者と共有するなかで、ワクワクする状態や、自分のなかでドライブがかかる状態がわかるようになり、いつでもその状態をつくれるようになること。社会に出れば、今までの学びが通用しないことも出てきますが、柔軟に対処できる姿勢(レジリエンス)も必要になってきます。

生成AIによるイラスト化し、さらにグッズ化して、販売して、活動資金を集めるというプロセスは、社会との接点をもちながら、仲間とともによりよい環境をかたちにしていく楽しさがあります。それは、自分たちのソフトボールチームが強くなっていけば良いということではなく、自分たちで運営していくことの経験や体験、また選手とは違う役割の重要性も学ぶこともできます。

例えば、2030年を生きる子どもたちの学習の枠組みとして「OECD Learning Compass 2030」をみると、「エージェンシー」という言葉、これは「社会に参加し、自ら考え、主体的に行動して、責任をもって社会変革を実現していく力」として学びのコンパスのなかで中心概念の一つとして定義されています。もちろん、生徒一人ひとりだけでなく、教師、さらに、コミュニティ、保護者、仲間による共同エージェンシーも重要になります。社会との多様な関わりのなかで、一人ひとり、そして社会全体のウェルビーイングを実現していくことです。

イラストレーターへ依頼するよりも、短時間、低価格だからというところは正直辛いところですが、チームの練習時間が削られ、無茶な予算でイラストレーターに取り組んでもらうことになるなら、その部分は生成AIが補完して目的を遂げるプロセスとしては、お見事だと思うのです。
つまり、AIは人間本来の創造性や人間にしかできない部分を明確にし、さらによりよい社会への可能性を広げてくれるとも言えます。

結論として、AIはさらなる学びの機会や創造性を拡げると考えています。
但し、AIは何を代替し、その活用する目的やプロセスとして社会全体にとってより良い方向性を示すことになるのか?また、AIの強みを理解し、人との共創をどう促進、サポートすることができるか?です。

AIが身近になるこれからの世代に、私たちもAIについて学び、実践のなかで、見せていくことだと思っています。

最後まで読んでいただきありがとうございます。


「希望」ある社会、一人ひとりの才能が開花できる社会の実現に向けての活動資金にさせていただきます!!