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おぼえがき...記憶について...なぜ日記をはじめたのか

 年を重ねるごとに記憶力が低下していくのは理解しています。脳の機能が衰えていくのだから、これは仕方のないことです。

 ただ、記憶力の低下とは決定的に異なる記憶障害をわたしは個人的に体験しました。

 それは花粉症。

 といっても花粉症で記憶がやられたとかじゃないです。

 わたしはわりと若い頃から花粉症で悩まされてきました。いまの抗ヒスタミン薬の効き目のよいお薬が承認される前からというと、歳がバレるかもしれません 笑 

 花粉症の季節の試験とか面接とかは最悪で鼻水ずるずる、頭痛はひどく、鼻の下は常に真っ赤っか。生まれ変わったらスギを根絶やしにしてやるぞ、くらいスギやヒノキのことを恨んでいました。花見の席で、ひとりマスクしてBBQをしなくちゃならなかったり、寝るとき呼吸困難であやうく死にかけたり。もちろんもっとひどい症状の人がいることは知っていましたけど、自分の花粉症はこの世の災厄そのものだとずっと思ってきました。

 そう、思ってきました。過去形なのです。

 数年前に医師に勧められて舌下治療を始めました。副作用できついときもありましたが、なんとか続けることができて、花粉症が完治するほどではないですが、花粉シーズンになっても、鼻づまりに怯えることは少なくなり、常時ティッシュやタオルが手元にないと不安になるなんてこともなくなりました。花粉症シーズンのQOL爆上がりです。いまでは花粉症シーズンってなに? くらいに思えるようになりました。

 なんだいい話じゃないか、よかったじゃないか、とここまで読んだ人は感じると思います。

 現代医学で苦しみがひとつ取り除かれてよかったじゃん、って。あるいはなんだ舌下治療の宣伝か? それとも回復の自慢か? と思うかもしれません。

 しかし、問題はそこではないのです。

 記憶がないのです。花粉症であれほど親の仇みたいにスギを恨んでいたときの記憶が。鼻水ズルズルで、人目を気にしていたときの記憶、鼻づまりで頭痛がとまらなかったときの記憶、花粉シーズンがやってくる手前のうんざりしていた気持ちの記憶。そういうものがすっかりわたしの中から消え失せてしまったのです。もう思い出すことすらむつかしいのです。

 これは良いことではありますが(嫌な記憶を引き摺るのはよくない)、一方であれほど強く思っていたことを忘れる、あるいは飽きる、というのはけっこう自分的には怖いことです。あの花粉に対する怒りはどこへ行った? お前はスギを根絶やしにするんじゃなかったのか? あれらの気持ちはいったいどこへ?

 人は忘れます。いろんなことを忘れます。ひとたび関心が薄れるとあっというまに記憶の引き出しの奥に消えてしまいます。むかし好きだったアーティスト名や作家の名前を思い出せないのと同じように忘れるのです。治った病気のことはきれいさっぱり忘れる。苦しみも忘れる。痛みも忘れる。ときどき、自分がバカなんじゃないかって思います。

 ふと考えると去年の今日何をしていたかすらまったく覚えていなかったりします。

 これは不味いなーと思って、耳鳴りがあったことを覚えておくために少しずつでも日記的なものを書くことにしました。

 残念ながら耳鳴りはまだ依然としてそこにあります。けど、これも治ったら忘れてしまうんだろうなと思ってます。

 誰かのために書くのではなく、忘れないために書くというのは、もしかしたら結構大事なことなんじゃないかと最近考えていて、これからもちょこちょこと日々の記録をつけていこうと思っています。

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