崩れた向こう側

「ねぇあなた」
 低い落ち着いた声が不意に耳に触れた。そっとそちらを向くと、白髪に眼鏡をかけた落ち着いた雰囲気の老婦人がいた。はい、と返事をした。
「ねぇ、これをお持ちになって」
 すっと差し出されたのは凍らせたペットボトルだ。
 ああ、と思った。片手に持つスコップに知らず力が入った。
「ありがとうございます」丁寧に言い、ありがたく受け取った。
「今から行くんでしょう?ご苦労様です。がんばってくださいね」
 はい、と顎を引いた。
 目頭が熱くなる。
 誰もが気付かないスコップ。気付かないふりをしていただけだろうか。いや、東京では誰も気にも留めなかった。多くの人でごったがえす駅で足元まで見る人はいない。スコップの柄を持つ姿は足元を見なければ、キャリーバッグを持っているようにも見えた。きっとそう思うとみんな気にもせずに済んで楽なんだろう。関東から、遠い西の地までスコップを持ち、大きなバックパックで行く人がいるなんて見ないほうが楽だ。自分も昔はそうだった。
 わざわざ遠くまで行くよりも、その交通費を募金したほうがましではないか。だってそんな時間もないし。準備も大変だし。いいわけはいくらでもできた。目を背けていた。
 でも、今回は行ってみようと思った。行かなくてはと急き立てられた。何に?わからない。でも行くべきだと思った。

 一昨日の夜、ふと明後日の休みに西に行こうかと思った。最初は軽い気持ちで。いつでも引き返せるように。
 ネットで状況を調べる。まずどこに行くべきか。よくニュースになっていた地名がいくつか浮かぶ。そこを検索してみる。受け入れはどうなっているのだろう?どこに行けばいいのだろう?
 市町村のページで被災関係のものがある。個人ボランティアの受け入れはどこでもしていた。地名を見て地図を開き場所を確認する。地名を聞いてもぱっと位置関係がわからない。地図を見てこのへんかと思い、交通はどうだろうかと思う。新幹線でどこまで行けるだろうか。その先の在来線はどうなっているだろう。いくつかの路線は開通していない。
 終わった後に帰ってくることも考えるとあまり遠いところよりも少しでも近い方がいいだろう。その中でもニュースで街が湖のようになっていた場所が浮かんだ。
 そこもあれこれ調べると受け入れをしているようだ。新幹線の止まる駅からシャトルバスでボランティアセンターまで送迎しているようだ。ここにしよう。あの映像を見ると被害は大きそうだ。きっと多くの人手が必要なはずだ。
 そう決めると、何時間かかるか交通手段を調べた。明日仕事が終わってから向かうと夜中の12時くらいに近くまで行ける。シャトルバスの出る駅周辺では宿泊先が確保できない。少し手前の大きな駅で宿泊しよう。そこから最寄り駅まで鈍行でも30分かからない。
 当日行くことも考えて調べたが、始発に乗っても向こうに着くのは昼前になってしまう。活動は午後二時くらいまでが多い。それでは着いてすぐ終わってしまう。行くなら受付開始時間には着きたい。そう思って前日泊に決めた。
 次の日に仕事の合間を縫ってボランティア保険に加入した。
 当日現場でも入れるみたいだが、初めてのボランティアだ。勝手がわからずに向こうでもたつくよりも入っていくほうがいいだろう。在住地の社会福祉協議会とうところで入れるようだ。初めて聞くので場所がわからない。役場に行けばあるのだろうか。なくても場所を教えてくれるだろうと向かった。案内掲示板で名前を探すがやはりない。それっぽい係を探し、そこで保険に入りたいのだがと聞くと、ちょっと待ってくれと調べてくれた。そして電話番号と住所を教えてくれたので礼を言って、車に戻りナビで探す。高校生の頃にはよく通った道の近くだ。そんな場所があったのも知らなかった。
 5分ほど走らせると着き、中に入るとすぐにボランティアの看板が見えたので、そこで保険に入りたいと告げるとすぐに記入用紙を出してくれた。そこに住所氏名などを書き、350円ほどを払うと明日から有効になりますと言われた。今日の夜には出発するので今日から有効だと、行く途中の怪我にも適用されるのだけどと思ったがしかたない。
 前もって加入するメリットは向こうでの手続きの手間が減るのと共に、行く途中に何かで怪我しても保険が降りるのだ。もう一日早く動くべきだったかと思うが、思い立って二日で行く機動力が自分の良さだからしかたないと思う。怪我しなければいいだけだ。
 帰りの足でホームセンターに行く。
 スコップがあれば持ってきてください。物資が足りていません。という書き込みを思い出す。こっちから道中ずっとスコップを持っていく?そんな馬鹿な。そんな人いるのだろうか。見た事などない。だけど、ただ気付いてないだけで持っていくのが普通なのだろうか。わからない。わからない以上持っていくべきか。行ってスコップが足りなく、仕事にならないと意味がない。帰る時には救援物資として渡せば帰りは荷物にならない。向かう時は気分高揚もあるのでなんとかなるだろう。
 濡れた場所も多いので長靴も必須だ。それと踏み抜き防止中敷きがあればあったほうがいい。釘などがどこにあるかわからないのだ。探すがなかなかなく、同じところを何周もした。準備だけで一仕事だ。時期もネックだ。連日熱中症で運ばれる人が後を絶たない夏の気温。猛暑日が続く。それがボランティアに重くのしかかる。
 ひんやりと感じるタオルを買い、冷却スプレーもあれば便利かと買う。長袖着用と言われているし、確かにどこで何かひっかけるかを思えば暑くても長袖が安全だ。せめてもと通気性が良く速乾性のものを買う。バックパックも持っていないので買う。帽子も買う。あとは何が必要だったか。思い出しながらマスクをゴーグルをバールを買い物かごに入れていく。これだけでいくらになるのだろうか。節約したい思いと、もし足りなかったらとの思いの狭間で揺れながらケチケチするくらいなら行かないほうがましだと振り切る。
 頭をよぎる言葉があった。

—―ボランティアは自己責任で

 これはハードルをあげ、腰を重くする呪いの言葉だなと思う。準備をすればするほど思う。
 そう言われてしまうと万全の準備が最低限に思える。何千人も行くボランティアの人たちはみんなこんなに準備をしていくのだろうか。災害が起きるたびにボランティア特需が起きそうだ。
 交通費のことを思えば数万が飛ぶ。
 なんて足かせが多いのだ。気持ちがあっても時間があっても体力があっても行けない人はどれだけいることだろう。
 政府は資金援助するならボランティアの交通費を少しでも出せないものか、準備しなければいけないものを用意してできるだけ身軽に行けるようにできないものか。究極は身一つでも行けることじゃないか。それなら時間があれば電車に飛び乗ってしまえばなんとでもなる。
 物がない。全部用意してこい。自己責任だ。金がかかる。善意の発動の壁はどれだけ高いのだ。
 そういったもろもろを考えると行けなくなる。
 すべてを振り切りレジに並び会計をする。痛い出費だ。だが、これ以上の痛みを受けている人たちがいる。自分一人が行ったところで解決はできない。でも、何万分の一の力が集まらなければ明日を迎えることさえできない。だから行くべきだ。
 ふと思うのがこの気持ちは選挙と似ているな。
 自分の一票では何も変わらない。でもその一票が集まらないと政権は暴走する。
 この大惨事の中、ギャンブル法案の可決に突き進む国会とはなんだろうか。与党は誰を相手にしているのだろう。国民を守る。それが国のすることだ。
 カジノを作り、参議院の議席を増やすのが先に来る国なんてほかにあるのだろうか。公文書改ざんがありながらも支持する人たちが減らない。それを盾に横暴を繰り返す。議員特権で新幹線に年に何回もただで乗れるという。その権利を譲ってくれないものか。
 そう思うのはいやしいのだろうか。
 瞬発的に素早い援助がまずは必要だ。そして、継続的に続くのも必要だ。現代は活動するには金がかかる。無理したら長続きしない。ボランティアが日に日に減っていくのは、復興したからというよりも先に活動資金が尽きるのではないか。自分の日常がある。家庭がある人ならなおさらだろう。他人のために子どもの塾代を削れとは言えない。
 経済ファーストのこの国では利益にならない活動には金を出さないし、政権も消極的だ。だから災害復旧は遅い。防災は進まない。ことが起きてからお情け程度のフリだけする。実際に西が災害でひどいときに首相は本部設置をせずに家にいた。
 待機している自衛隊は命令がないと動けない。その指示が出なかった。本部設置をしていれば防げた命があったのではないか。
 指示がないと動けない。
 この国は行政も会社も学校も縛り付けられている。呪いにかかっている。
 緊急の前に指示を待つ。命令違反はできない。拙速だ。守るべき規律や命令は確かにある。破ってばかりいたら組織は崩壊する。でも、無能な頭に従っていても崩壊する。この国はゆっくりと破滅への坂道を転がっているのだ。みんながそれに気づかないと止められない。ゆっくり確実に転がっている。

 買い物を済ませ、保険にも入った。お昼休みに宿泊先を予約する。思った以上に空き部屋がないことに焦ると共に、ボランティアの人たちが大勢泊ってるのかもと妄想して少しだけ嬉しくなる。本当のところはわからないが。
 バックパックに着替えやタオル、長靴など買ったものや必要なものを詰め込む。あとは被災地での飲み物と食べ物を買えば終了だ。
宿泊地は被害がないのでお店も普通にやっているのはわかっているので向こうで買うことができる。
 コンビニに自衛隊が物資輸送したとネットで見て、被災者に買えというのかよ怒ったものだが、そのあとネットでは被災地に住む人の声がのった。避難している人ばかりでなく、自分で選べるのはありがたいことだ、と。
 ボランティアで行くとなればコンビニが当たり前にやっているのは食べ物が向こうでも手に入るということでもあり安心材料である。
 災害時にコンビニに自衛隊が輸送するという法律だかがあるらしくそれが今回の迅速な行動につながったらしい。
 釈然としない気持ちもあるが、お店が開いているのはありがたいことでもある。
 仕事を終え、軽くシャワーを浴びて着替えて、駅に向かう。
 バックパックを背負いスコップを手に持つ。気持ちは昂る。戦士になったかのようだ。
 一歩足を踏み出すごとに被災地と共鳴する気がした。

 針が頂上に差し掛かる頃、宿泊地のある駅に着いた。改札を抜け、ロッカーを探した。スコップと必要のない荷物を入れるために。もうこのあとは寝るだけだ。明日駅にまた来る。少しでも重さから解放されたかった。
 縦長のスコップが入るロッカーを見つけて両替をした100円硬貨を七枚投入した。一晩700円。それは高いのか安いのか。
 駅を出て時計を確認すると0時をすでに回っていた。
 地図を見て宿泊施設の見当をつけて歩き出した。こんな時間なのに空気はぬるくまとわりついてくる。少し歩くだけでうっすら汗が出てくる。明日も暑そうだ。
 駅前は大きなビルがあり発展していた。県庁所在地がある街だけあった。忘れ物はないだろうかと考えながら2時までやっているブランドものからパーティグッズ雑貨などなんでも売っている全国規模の店を見つけて入った。どこに何があるのかわからない乱雑な並びが時間をかけたくないときにはこれほど苛立たせるものか。火事が起きたらみんな逃げ遅れるなと思いながら周りにいる異国の言葉を話す客たちを眺めた。逃げろと言って果たして伝わるのだろうか。こういう店づくりを平気で許すこの国は大丈夫なのだろうか。
 都心で火事が起きて物が多くて逃げ遅れて問題になったことがあった。消防がビルに入り点検してまわった。その一方で売り場がこの状態で、それは何も問題視されないのだろうか。
 税金を払っていればいい。金になるならいい。
 命よりも金。
 そんな想いが透けて見えるようだ。
 特に買うものもないと足早に店を出た。
 宿泊施設に着きチェックインをすると着替えて、あとは寝るだけだった。数時間寝たら初めてのボランティア。どんな一日になるのだろう。浮き立つ心と冷静な頭で眠気よ早く来いと布団に潜り込んだ。

 アラームがなる前に目が覚め、スマホをいじりながらアラームのなる時を待った。鳴った瞬間に止めて、あと10分と思いだらだらと布団の上ですごした。10分たったら、さぁ、と気合を入れて起き上がり、着替えをして、無料朝食サービスを無視してチェックアウトした。
 すぐそばにあるコンビニに寄り、今日のボランティア中に食べるものを買った。朝ごはんもここにしようかと思いながら頭に浮かんだのは昨日来る時に見た牛丼屋チェーン店。肉。うん、肉だな。朝から胃にもたれそうな肉の乗った飯をかき込み、ロッカーでスコップを取り出し、改札を抜けてホームで人の群れにまぎれた。
 通勤通学時間に重なるために列が長いこと並んでいた。その中の一つに並び、スコップを地面につけて一息つく。誰も気にもしない。それがこういう時には逆にありがたい。
 そんな時に声をかけてきたのが老婦人だった。
 凍ったペットボトルが朝からすでに暑い空気を冷やしてくれた。零れそうになる涙を感じながら、ありがとうございますと二度言った。
 これだけで十分な対価をもらった。この分まで今日はがんばろう。そう思い電車に乗り込んだ。老婦人の姿はもう見えなかった。見えない姿に軽く頭をさげた。

 シャトルバスの出る駅に着くと靴を長靴に履き替えて帽子をかぶり、タオルを首に巻いた。あたりには似たように長靴を履く人が大勢いた。複数人で来てる人が多い。仲間で来てるのか、会社などで来ているのだろうか。
 バックパックを少し整理したいなと開けたところで、「ボランティアの人、バス来てるので集まってください」の声がかかった。
 予定より20分も早い。でも、ただ待っているよりも早くセンターに行き受付をしたい。慌てて、バックパックを閉じて駆けてバスに向かった。
 バスが走り出ししばらくは変わりない街並みだが、次第に様相が変わっていく。泥の乾いたものが道に目立ち始め、道から下がったところの畑は荒れていた。家の周りには袋の山。
 先に進むと、道のわきに木や袋に詰まったゴミ。壊れた家の残骸。家具や家電の無残な姿がこれでもかと積みあがっていた。
 バスに乗る者たちの顔が険しくなる。声を出す者はいない。思っていた以上にひどい。津波の被害と一緒だ。むしろ、津波のように海に運んで行かなかった分、残された物は多いかもしれない。そこに泥がかなりある。
 バスに乗って10分ほどでセンターとなる施設に着いた。自家用車で来た人の車がすでに何十台と止まっている。その向こうには黒い頭の海が見えた。何百人といる。
 バスを降りると、あちらが受付です、と案内する人がいて、その方向に歩を進めた。
 体育館のような建物の中に入り切れないほどの人がいるのが見えた。その入り口でスタッフが何人かいて、ガムテープを切ってテーブルに張り付けていた。名前を書いて、荷物と自分の服に貼ってくださいと言われた。カタカナで書くようにとのことでその通りにして、スコップとバックパックと二の腕部分に貼った。
 入口に並ぶ列の後方に着く。中は涼しい。つい先日ネットで避難所にクーラーが付きましたと見ていた。ボランティアセンターにも付いたのだなと思った。業者の頑張りで早急に付きましたという。でも、お金は払ってるのだろう。これも特需なのだろう。でも、業者の幾人かはきっと被災者だ。それで少しでも足しになるならいいのではないか。
 でもなにかもやっとするものがある。
 誰誰のがんばりのおかげで~みたいなものを議員がネットで発表する。議員の手柄ではないのに、どや顔風に言う。私が頑張ったから手配が迅速に付き設置に繋がったと言わんばかりに。
 暑いのは誰もがわかりきっていて、災害も毎年のように起きているので、国民がすでに必要なものをわかっている。それをどうやって揃えるかが大変なだけであって、お金さえあれば、被災していない場所から業者を呼んで設置させることはできるだろう。
 手柄を主張するのが議員の仕事なのだな。
 クーラーが流れる汗を冷やした。

 列が進んでいくと、右が二回目以降の人、左が初めての人の受付になっていてそれぞれに分かれ始めた。ほぼ半々であり、ここに来るのが二回目ということだろうが、こんなにいるのだと驚いた。ここは初めてでもほかに行ったことがある人、過去に行ったことがある人を含めたらボランティア初心者は一握りなのではないか。
 頼もしさを感じると共に寂しさも感じた。
 ボランティアはいつも決まった人がやるもの。自分を含めてそう思っていたのではないか。それは例えば学校で毎回委員長になる人が一緒だったり、掃除の時にゴミ箱を持っていくのが同じ人に押し付けられるように、会社であの人にまかせておけばいいのよとやっかいごとをやらされる人のように。
 初めての自分があれこれ言うのは生意気かもしれない。でも。
 でも、初めてだからこそいろいろ思うことはある。二回三回と慣れてしまうと何かを感じることも、それを言語化して考えてみることも減っていく。そのほうが楽だから。人は考えないほうが楽なのだ。多少体を酷使しても思考するよりもルーチンワークにしてしまうほうが楽だから。
 国民を考えさせないほうが政権は維持するのが楽だから。
 そうなってはいけない。考えろ。考えろ。今のままでいいのか。他にやり方はないのか。普段の仕事からそうだ。なぜそうなのか考えることなく、昔からこのやり方だからだけで、効率の悪いやり方をやり続ける人を何人も見てきた。こうしたら楽だよね?と言っても、頷きはしても、目を離せばまた効率の悪い、伝統を繰り返していた。
 根が深い。
 これこそが日本の伝統であり、教育なのではないか。
 クーラーの冷たさに恩恵をボランティアでさえ与れるのに、小さな子供が命を落とす国。金がない。予算がない。そう言いながらアメリカから武器を何千億で買う。その金でクーラー買えますよね?少子化対策と叫びながら、今いる子どもの命はとても軽く扱われている。
 今ある命を救うことがまずはやることではないか。
 被災者には迅速にクーラーをつける。
 ずっと暑さに耐えてきている子どもには屁理屈を並べ、昔はこうだったという時代の変化を無視した伝統という呪いを持ち出してつけない。
 この差はなんだろうか。
 被災者は同情されてるから?
 日本人は人を見下したい民族だと思うことがある。自分が上で、施してやってると思いたい。被災者に対してはそれができる。助けてという声に答えるだけで、自分の金でもないのに、言ってしまえば職務をまっとうするだけなのに、いつも以上の感謝の声をもらえる。そんな優越感というぬるま湯に浸かりたいのがクニという組織なのだろうか。

 長い長い善意の集合体のような列に並びながら頭は目まぐるしく考え続ける。この歪みはどうにかできないのだろうか。この狂ったシステムは変えられないのだろうか。
 ギャンブルは胴元が絶対に勝つようにできているのと同じで、国というシステムは国を動かす者が勝つようにできている。国民は搾取されるのだ。金も名誉も誇りさえも。生き様さえ搾取され、生き方さえ搾取される。
 目からイヤな汗が流れそうになった。
 そう思っていると受付の順番がまわってきた。名前と住所を書くと終わりで、受付と反対側に行くと、並んだ椅子に座る。横に5席ずつ並び、その横並びの5人で1班を形成する。班ごとに行動するのがここでの決まりだ。班単位で作業する場所に行き、作業をして、班で帰ってくる。午後1時半に帰ってくるのが基本だが、体調が悪ければ早めに引き上げるようにとも徹底されていた。すでに何人も熱中症で搬送されたボランティアがいる。
 ニュースやネットで知ると、もっと早くどうにかできんのか、迷惑かけんなと思う自分がいたが、実際現場に来ると沸き立つ心が疲れなどを隠してしまう。それが判断の誤りにつながる。人間は機械でない。気分で体調は変わるのだ。だからこそ、10分作業して10分休むというシステムが導入されたのだろう。無理やりにでも休む。そうしないと気付いた時には手遅れもある。余力があるうちに休むから回復も早くもう一度作業できる。そういうことだろう。継続が大切だ。熱中症で倒れた人は回復に時間がかかるのはもちろん、迷惑をかけたと本人こそが悔しく情けなく恥ずかしく思うもので、その結果もう行かないほうがいいと判断することもあるだろう。そうならないためにも無事に生きて家に帰るのがボランティアの最低限で、最大限の目標だろう。生きていれば次がある。これは本当に大切なことだ。
 50人ほどの集団でA、B、C、Dと区切ってそれぞれの地区にバスで輸送される。そこで5人1班ごとに各家庭などに向かうことになる。
 一緒の班になった人とバスに向かう。
 体育館から出る時に2リットルの水を渡された。持って行ってください。出たところではお茶などのペットボトルも持って行ってくださいと配っていた。そうか配れるくらいの物資がもうあるのだな。
 そうわかると、準備ができない人でも来れば手伝える。でも、誰もそんなことは伝えない。準備をしっかりして被災地に迷惑をかけないようにという声だけが蔓延している。
 災害直後は確かに物がないだろう。それでも1週間もたてば自衛隊などが運ぶ。
 運ばれて物に余裕ができたならば人の手がほしい。実際何百人いても全然足りないのだろう。家から家財を外に運び出すのに重機で壊すわけにはいかない。マンパワーがすべてだ。そんな時に、準備もしないでいくやつは馬鹿だという声がネットには多い。その声を出すあなたはさぞかし何度も足を運んでいるのだろうね。そのうえでその発言をするのだろうね。
 体育館を振り返れば、マスクもタオルも軍手も用意されている。
 もちろん全員が手ぶらで来たら足りなくなるかもしれない。それでも、準備する時間はないけど、いますぐ行って手伝えるならそのほうがいいと思った。半日だけ時間が空いても、準備していたら終わってしまう。そういう人はその半日を作業しに行けばいい。
「すいません。道具何もないんですが」消えそうな弱々しい声でスタッフに声をかける若い男がいた。
—―道具も持たずに行くやつなんなの?邪魔でしかない。
—―今の時代ネット見れば情報わかるのにね。
—―ぎゃははぎゃはは。
 匿名希望たちの声が頭に蘇る。
 若い男のやりとりに目が離せなくなった。
「大丈夫ですよ」
 若い男は俯いていた顔をあげた。
「ありがとうごいます。道具はあります。水もあるので持って行ってください。スコップとかは作業によっては必要ないし、体力があって物を運べるならいくらでも作業はあります。来てくれるだけでありがたいのです」
 何度目だろう。目頭が熱くなった。
 そうだ。善意でかけつけた行為に、匿名希望が非難なんてできないのだ。
 物がないなら、足りている人が分ければいい。手袋は二つ持ってきた。マスクも複数ある。タオルだって。手ぶらで来る人がいたらわけてあげようと多めに持ってきていた。ネットの声に負けたくなかった。でも、自分がそんなことをしなくても被災地の人が一番わかっているのだ。来てくれるだけで力になるのだ。
 偽善と言われてもいいじゃないか。高みで非難する匿名希望になんてなりたくない。それが、自分が今回来た理由かもしれない。
 無責任にああしたらいい、こうしたらいいと批評家になるのが嫌になったのだ。そんな批評被災地は求めていない聞いていない見ていない。皆、目の前の災害跡と未来しか見ていない。
「あっちでお茶とかのペットボトルもらえるみたいだよ」
 若い男に声をかけた。これも持って行きなとスポーツドリンクを手渡した。お互い様だよ。次は君が誰かに渡してあげたらいい。

 ボランティアの数が多くなるほどにそれを指揮する側に能力が求められるだろう。
 バスで各地区に向かい、そこでの拠点で最終的に向かう場所が決められる。マッチング作業というそうだ。結婚相談所みたいだな。
 ボランティアに来てほしい家庭と班を結び付けていくのだ。
 正直順繰り割り振ればいいだけと思わなくもない。適材適所と言えるほどボランティア組は何かに秀でた特殊部隊はいない。個人としてそういう技術がある人がいても班分けは、来た順に機械的に班にしていくだけなのだから。技術があってもその道具がないだろうし。
 今の段階での作業は泥をスコップでかき出すか、家財を運び出すか、廃棄物を所定の場所に運ぶかくらいだ。誰でもできるし、誰がやっても体力筋力以上の差は出ないのだから。
 一緒の班になった人が、「昨日とまたやり方が違ってるな」と呟いた。別の人が、そうなの、と聞く。
「毎回やり方が違うから毎回時間かかるんじゃないかな。もっとうまくやれたら早く作業できるのに」
 確かにそうだ。と思うけども、スタッフはきっと役場の公務員とかが多いのだろう。普段は命令指示されて動く人が多いのではないか。場を仕切り、指示するのに慣れている人は少ないのではないか。だから。
 だからこそ、災害マニュアル、ボランティアマニュアルはないのだろうかと思う。もしかしたらあるのかもしれないが。どう動けばスムーズに無駄なくできるかの形があればいいなと思う。もちろん現場によって形は変える必要があるだろうが、元になるものが何もないよりもやりやすいだろう。日本の特技は加工なのだから。ゼロから作るのは苦手でも、あるものを改良していくのは得意な国民性のはずだ。元があればきっと優秀な人というのは多いのではないか。
 センターから各地区の拠点にバスで移動してから30分。ようやく自分たちの班の作業場が決まった。歩いて行ける距離だ。もう1班合わせて10人に、ボランティアとは別の作業員が二人ついて現場に向かった。
 パッカー車といういわゆる町のゴミ収集車1台と軽トラ1台が一緒に行き、一区画の家庭から集まった廃棄物が公園にある。それを軽トラとパッカー車で運ぶのが仕事だ。ボランティアはひたすらゴミを燃やせるものとそうでないものにわけながら積み込みをする。
 その公園に到着する。20m×50mほどの大きさだろうか。そこが全部廃棄物で埋まっていた。ゴミの山とはこのことだと思った。思い出がゴミになる。日常生活がゴミになる。ゴミと言ってはいけないと言うが、いらないものとして集められたこれはゴミだ。人はなんて多くのものと一緒にくらいているのだろう。公園を囲むようにある家々から出てきた生活の跡。
 その公園そばにある家のガレージのようなところを休憩場所として提供してくれた。レジャーシートを持っている人がそれを敷き、そこに荷物を置かせてもらった。
「さぁ頑張りましょう」誰ともなく声がかかると、ゴム手袋をはめて公園に向かった。
 パッカー車が公園入口に止まった。後ろのゴミを入れる場所を開くと、地獄の番犬ケルベロスが口を開いたようだった。ゴミを中にかき入れるクマデのような部分と細かく砕かくローラーが回り始めた。
 どしゃりどしゃりと袋につまった燃えるゴミ——例えば洋服や本などを投げ込む。木製の家具も砕いてくれる。大きすぎないものはどんどんぶち込む。ぐちゃりぐしゃり。がちゃりがちゃん。プラスチック製品もどんどん入れ込む。布団や座布団なども入れ込む。ぬちゃりぬちゃりと濡れた布製品を飲み込んでいく。
 10人のボランティアは黙々と皿やガラス製品、鉄製品、家電などを避けながら燃やせそうなものを選び、運び、投げ入れる。
 物が減っていく。山が削れていく。すると下に行くほどに水に濡れて重い物が増えていく。そして最初は感じなかったものが不意に来た。
 腐った泥の匂い。
 泥が腐るのかわからない。腐ったものと泥が混じった匂いだろうか。生活が死ぬと異臭を放つ。それがこの世の理だ。
 死ねば人も動物も植物も腐っていく。タンパク質が溶けていく。その匂いこそが、死だ。
 人のかつてあった日常の死だ。
 マスクをしていればそれほどは感じないが、暑さに苦しくなりマスクを少しはずすと途端に匂いが襲ってきた。でも、この匂いは知っておくべきなんだとも思った。
 匂いと記憶は結びつきやすいとも言う。匂いを刻み、匂いを感じ、そこに災害の凶暴さを知る。死を運ぶ。
 先輩へという大きな文字と、先輩への寄せ書きのあるサッカーボールが落ちていた。思い出さえも飲み込む。災害の怖さを知り、人の弱さを知る。
 それでも、人は立ち上がる。巨大な力の前に一人では何もできなくても、集まれば力は大きくなる。果ての見えないゴミの山だった公園も、2時間も作業すると車が中に入れるスペースを作れた。最終的に3時間ちょっと作業をして今日は終わりましょうとなった。
 10人で7、8トン分のゴミを積み込みした。それが多いのかはわからない。
 だけど少なくない量だとはわかる。
 わずかな充足を感じた。
 真上から突き刺す太陽の光が肌を焼きつけてくる。流れる汗は滝のようだった。一陣の風が心地よく頬を撫でた。

 午後一時過ぎに運び出しの作業を終えた。
 二時までに終えて戻るということではあったがまだ少し早い。休憩場所を提供してくれた場所の泥を洗い出してからあがりましょうとなった。
 休むために折りたたみ椅子などを貸してくれた。その椅子などをよかして、荷物置きに使ったレジャーシートをよかして、荷物を一旦軽トラックの荷台に乗せる。
 スコップを使い泥を道に向かってかき出していく。ある程度たまったところで土嚢袋にいれる。たまった土嚢袋は先ほどまで作業した公園に持って行き、次回以降にまたどこかへ運び出されることだろう。
 泥を大方取り除いたところで水で流す。コンクリートの灰色が見えてくると、なんとなく嬉しくなった。水で流すのを他の人にまかせて、家の前の道の泥も取れるだけ取り土嚢袋の入れていく。目立つ部分だけではあるが少し綺麗になった気がした。
 家の人はガレージ横の庭の片づけをしている。植木などは折れたり泥だらけになりもう死んでしまったようだ。無念な想いを感じる。黙々とのこぎりで切っている。別の人は泥がたまったところをかきだして、無残な姿になった花々を取り除いている。切られた植木を運び、泥や花々、草などを土嚢袋におさめていく。これも生活の死だ。
 死からの再生。
 簡単ではない。それでも。
 それでも、人は生きていく。生きていかねばならない。
 声を荒げて、ただ泣き叫んでいたい。生まれたての子供のように。でも許されない。日常に戻るためには、手を動かし、汗をかき、時に人に頭を下げて頼み、ありがとうと感謝する。
 どうぞ休んでてください。被害に心が疲弊しているのですから少しでも休んでください。そう思う。だけど、被害者は、これだけお世話になって自分たちが休むわけにはいきませと、ボランティア以上に手を動かす。自分の家のことだから当たり前と言えば、そうかもしれない。でも、自分のミスでそうしたのならまだしも、誰が悪いわけでもない。自然災害が偶々そこであっただけだ。何かが違えば、そう例えば蝶の羽ばたき一つの差で、自分が逆の立場かもしれないのだ。そう思うとお互い様でしかない。あなたが大変な時はこちらにまかせて心にも休息を。逆になったときはお願いしますね。そう思った。どうぞ休んでてください。

 二時近くになり、とりあえずの区切りになったところで戻りましょうと声がかかる。周りを一眺めする。何か大きな手落ちはないか確認する。とりあえずは大丈夫そうだ。軽トラックに載せた荷物を背負う。
 ガレージ奥から声が聞こえた。
「ありがとうね」「ありがとうございました」「気を付けてね」
 立ち止まり声の方を向く。
「ありがとうございました」
 こちらがそう思った。どうか気にせずに。感謝なんかしないでください。
 自分のためにここに来て、自分のためにボランティアをして、自分のために見たのですから。見せてくれてありがとうございました。現実は見なければ理解できないことは多い。理解したくないから目をそらす、見て見ぬふりをする、そんな行為が日常茶飯事のこの国で、目を逸らさず見ることの大切さを改めて実感した。
 ありがとうございました。もう一度、声にならない声で言った。
 軽く頭を下げ、来た道を戻る。
 作業が終わった報告を班長がした。バスを待ち受付をしたセンターへと戻る。途中少しだけ会話をした。
「明日も来るんですか?」年の近い班の一人に尋ねると、「明日まで休みもらってきたので、明日での五日目です」
「自分は今日だけです」何か申し訳ない。
「いやいや、一日でも来るのが大切ですよ」
「そうですかね。どちらから」
「関東から」
「あ、僕もです」
「実家がこっちなので休みやっともらえたので」
「そうでしたか」

 広い範囲での被害だけに、実家から出て働いてる人も多くいて、そんな人は休みをもらってボランティア参加してる人も多いようだ。実家が無事でも、子ども時代を過ごした地元が荒れ果てている。それに動かない人はいないのだろう。地元でないのに来てくれる人には本当に感謝しかないとも言っていた。そうなのだろう。でも、同じ国内ではないか。行ったことのある場所の近くではないか。感謝されるほどのことができたとは思えない。それでも、やはり温かい言葉だ。ありがとう、とは。
 災害があるたびに人の優しさを感じる。見ることができる。なぜ。
 なぜ、こんなに優しい人たちが普段は優しくできないのだろう。どこかで自殺をする人がいて、どこかでいじめが起きて、どこかで陰口を叩き、どこかでクレームを言う。ネットは汚い言葉で溢れ、社会は差別が溢れている。
 なぜ。なぜ。なぜ。
 災害が起きた時だけ、我に還るのだろうか。
 我に還らないのは選挙しか頭にない政治家だけか。
 死ねばみんな、土に還るだけなのに。
 そう死ねば土になるだけだ。
 優しさはどこから来るのだろう。荒れた道路をバスが走っていく。泥にまみれた畑を見ながらセンターに到着する。
 消毒をしてくださいというスタッフの声に促され列に並ぶ。
 ゆっくりと列が進み、順番になると、長靴の泥を高圧洗浄機で高校生が流してくれた。後ろ向いてください、と言われ後ろからも流され、足を片方ずつあげて底も洗ってくれた。それくらい自分でできるのに。
 終わるとその先で水の張った大きなたらいの中に入ってくださいと言われ、今度はブラシで落としきれない泥を洗ってもらう。至れり尽くせり。ここまでしてくれなくてもと思うけども、ここまでしてこそボランティアは継続できるのかもしれない。自分は一日だけだが、班の人のようにすでに四日目の人もいる。一日の作業時間は短くてもこの猛暑での作業は思っている以上に体に堪える。少しでもボランティアの疲れを取り除くために働くスタッフの姿が眩しかった。高校生やもっと若い子もいた。もちろん役場の人間などもいるのだろう。ボランティアは勝手に行うものでなく、組織として継続して行うものなのだ。直接ボランティア作業する人はもちろん、そういう人をこうやって支えるのも立派なボランティアだ。
 体力がない人でもこうやって出迎えることならできるという人もいるだろう。帰って来た人たちに冷たい水を渡す人がいた。氷に入ったビニル袋を渡す人がいた。火照った顔に氷の冷たさが気持ちよかった。冷たい水に胃がびっくりしたけれども冷たさを体が求めた。
 体育館で簡単に着替えを済ませて駅までのシャトルバスを待つ。ほどなくやってきた。少しの倦怠感と共に乗り込む。あっという間だった。もう一日くらいやりたかったと思うけども急に思い立ったことや休みの関係でそれも難しかった。次にいつ来れるかはわからない。でも、時間があるときに、無理してでなく、余裕を持ってまたボランティアに行きたいと思った。
 すぐに終わるものではないし、またどこかで災害は起きるかもしれない。無理して続かないのではなく、余裕を持って、それこそ、観光のついでにでもいいんじゃないかとさえ思う。
 それができる環境を政府や行政は整えたらいいのではないか。
 着替えだけあればボランティアに参加できる。それくらいの気軽さならば人の手は増える。絶対増える。
 実際にハードルが高いと感じる。一度行くまでは精神的に、大変なのではないか、足をひっぱったらどうしようなどがあるだろう。それと共に物理的にお金がかかる。近県ならまだしも遠いときつい。何度も行けないし何日も行けない。そこにも税金投入したらどうだろう。我々の金だ。政府がアメリカに媚を売る金ではない。武器を買うよりも安いだろう。
 20億。政府の用意した税金。
 6000億。政府がアメリカから買う使うあてのない、使ってはいけない武器のための税金。
 これが命の重さか。
 命を救う金は、命を奪う金の30分の1。
 ボランティアのハードルを下げることができたら復旧は早まる。早まればその分の経済復興も早まり結果的に経済的にも助かるのではないか。何事も経済優先の政府にとってもいいことではないか。
 例えば、ボランティア証明などを作業後にもらえば電車代が半額になるとかあれば。それならば最初の予算で二度来れるようになるかもしれない。
 宿泊は被災地近辺の宿泊所で割引いていたところがあった。しかしそれはそこの独自での支援だ。ボランティアが来やすいように。今回の宿泊でそこを選ばなかった。被災地近くの観光地から観光客が遠のいている。そのうえに割引したら苦しくなるだろう。誰かを助けるために民間が割を食ってはいけない。政治は国民のためにあるべきだ。だからこそ、宿泊に関しても公的資金で援助すべきだと思う。
 ボランティア割引をする民間はある。なのになぜ政府はケチるのだ。金がないといいながら、アメリカには払うのだ。今はそんなときじゃないだろう。
 ボランティアで行くとき、民間の割引はうけまいと思った。定額を払う。そうでないと意味がない。割引で泊るなら行かないほうがましだとさえ思ってしまう。それこそ募金したほうがいい。
 普通に泊り経済的にも役立ちたいと思う。それだけに物理的、時に金銭的ハードルが一番高いなと思った。

 実際に関東から道具を揃えて岡山の被災地に一泊で行ってくると5万以上かかる。それで4時間ほどの作業をするだけだ。募金したほうがいいと皆が思ってしまう。そう思う人が多いから人手が足りないのだろう。
 泥のかきだしや廃棄物の運搬などは人力でやらないと無理な場所が多い。重機でやれるとこはあまりない。自衛隊だから活躍するなんて場も少ない。だから誰の手でも役に立つのだと思った。火事場でもなければ放射能が飛び交ってもいない。本当に日常の場での作業だ。ただ手がほしい。
 どうか手が届きやすくなるシステムを作ってほしい。
 だって明日は我が身。
 助け合える環境があれば災害なんて跳ね返せる。
 日本すごい、なんて自己満足番組見て溜飲を下げてないで、本当に日本すごいよと思えることやっていこう。
 災害時の本当に役立つマニュアルは世界中で役に立つのだから。
 日本すごい、って日本自身が言うのは痛いだけだ。
 世界に言わせようよ日本すごいって。
 だから目を逸らさず、見たいものだけを見るのでなく、しっかりと現実を見よう。

 日常に戻り自分のことで追われるけども、一度行った災害地のことはいつも頭の片隅にある。ニュースでもあまりやらなくなってきているけど、大変さは想像できる。
 ちょっとしたことだけど、この感覚を忘れずにいたい。


         了

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