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入学一週間前まで進学先が決まらなかった話。

2022年12月24日。いつものように開いたYouTubeのトップページに出てきた動画。その動画に胸を打たれた。

とうの昔に受験生ではなくなっている私でさえ、彼らの歌声にこれほどまでに心を動かされているのだから、今まさにその渦中にいる学生たちにはどれほどのエールとなるのだろうか。私も受験生の頃に出会えていたら、と思うこともあるが、こういうものはめぐり合わせであって。改めて素敵な方たちに出逢えた2022年は素晴らしい年だったと噛み締めている。

私は昔からそこまで勉強が嫌いではなかった。知らないことを知る楽しさも見出していたし、教わることを理解する能力もそれなりには持ち合わせていたので、いわゆる“成績の良い子”の部類ではあった。ただそれを持ってしても補えないほどの致命傷がひとつ、危機感の欠如、である。

これから語るのは1月に行われる試験が共通テストではなくセンター試験と呼ばれていた頃の話。
彼らのように誰かの背中を押すために、などという大義を果たすつもりは毛頭ない。ただ「大人になったらしたくてもできない」などと周りに言われて何となく受験勉強をしている君に、私のようになるなという意味を込めて、私の受験記を授けよう。1人でも多くの学生さんが有意義な時間を送れるように、インターネットの片隅から応援しているよ。

さて、受験の話をするなら必要となりそうなので先に私のステータスを明かしてしまおう。数字がすべてではないのだが、目に見えてわかりやすいので偏差値で示してみる。軽くネットで調べた私が入試を受けた年の偏差値を並べてみよう。高校は58、大学は41。ちゃんと数字で並べたのは初めてなのだが改めてみてみてもすごい落差である。自覚はなくもないが。

なんでこうなってしまったのか。高校三年間を遊んですごして落ちこぼれた、というわけではない。どちらかというと課題や授業の予習復習もきちんとやる、定期テストでも真ん中よりは上をキープする、それなりの優等生であった。
そもそも私の高校は自称進学校、というにふさわしく勉強する環境を提供することに関してはとても素晴らしかった。その環境を享受する生徒たちも皆、素直で真面目であった。文武両道を謳っていたので部活も活発であった。私も3年間陸上部に所属して、仲間たちと楽しくグラウンドを駆けていた。

3年生の夏、最後の大会が終わり、周りも受験モードとなった。特に行きたい学校もなかった私は大学よりも将来を考えて志望校を選んだ。将来就きたい職業に有利な資格、というのが存在していたので、その資格を卒業単位でとれる大学を選んだのだ。周りはたくさんの大学のオープンキャンパスに行って思い入れのある大学を作っていた。この大学に入るために、と毎日のようにどこかで聞く日々。私にはそんな情熱はなかった。自分の学力ならこの辺くらいいけるだろう。その程度の気持ちで。

迎えたセンター試験。二次試験で取り返せないほどの失点。そもそもとして5教科で英語が一番苦手であったのにもかかわらず、志望したのは英語の点数を重視する学科。受験対策は週に1日の個別学習塾のみ。すでに危機感のなさが露呈しているが、まだまだこんなものではない。

志望校に思い入れのない私はすぐに志望校を変えた。いったこともない地方大だ。試験対策は2年分の赤本のみ。傾向などつかむ暇もなかった。
それなのに滑り止めとして受けた私大はB判定の1校のみ。志望校の前期試験前に届いた結果は補欠48番。塾の講師にはこのくらいなら合格が回ってくるんじゃない、と言われた。鵜呑みにして他の私大はうけなかった。
志望校前期試験、落ちた。後期試験も同じ学校に願書を出していた。さすがにこのころになったらそれなりの危機感があったかというとそうでもなく、補欠合格を信じて後期試験に挑んだ。落ちた。3月初旬、高校の卒業式。私の進学先はまだ決まっていなかった。

3月中旬。手元に私大の合格通知はなかった。初めに決めた学校に入れなければ実家から通う、と親と決めていた。実家から通える範囲の大学で今からでも願書が出せる学校などそう残っておらず、センターの結果だけで受けられる、実家から電車で片道2時間の大学に願書を出した。

初めて手にした合格通知は入学式の一週間前に届いた。事前に行われるオリエンテーションまでは3日しかなかった。悲しさもうれしさもなかった。ただ安堵だけしていた。

偏差値を下げに下げた学校で退屈な毎日を過ごした。大学より高校の方が高度な英語を学ぶなんて思っていなかった。いくら文系学科とはいえ高1の数学を復習しただけで4コマ分の単位をもらえるとは。偏差値がすべてとは言わないが確かに15ほど偏差値が違えば勉強に対する知識量が違うのは目に見えて明らかだった。1年目の終わり、2年目の進路相談で担任に言われた「あなたこの学校つまらないと思ってるでしょ」という言葉は一生忘れられない。本当につまらないと思っていたのだから。

妥協して通う大学に意味がないとは言わない。そこでどれだけ自分が学ぶ姿勢を見出すか、がすべてだと思うので。ただまだそのことに気づいていなかった大学生の私にとって、この4年間はバイトに明け暮れオタ活をする時間でしかなかった。大学で学ぶことより、学外の経験から学んだことの方が多かった。数千万のお金で買った人生の余暇であった。学ぶことを放棄して今更学んでおけばよかったと後悔している。

現役の学生諸君は何度も言われたことだろう。今勉強しておかないといつか後悔すると。その実例が私である。どんな選択をするのも自由だ。学ぶことがすべてではない。ただ後悔しない選択を、君が取れますように。人生の先輩からエールを送るよ。

ああ どれだけ過去が辛くて暗くても
昨日よりも不安な明日が増えても
悩んだり泣いたりする今日も
進め君らしく 心踊る方
ともに|WANIMA

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