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届き続けた年賀状のわけ 父の生きた証

父に届いた手紙

昨年、亡くなった父は若い頃、小学校の教師をしていた。
しかし、長男だった父は、家業を継ぐことになり教師を辞めた。
毎年、箱根駅伝の日に我が家に集まって来ていた教え子たちが父を「先生」と呼ぶを聞いて、子どもだった私は父が教師だったことを理解していた。

父が亡くなったことを知らせようと、家に残っていた名簿や古い年賀状を頼りに、ハガキを送った。父は92歳で亡くなったが、20歳を過ぎたばかりで教師になったので、教え子たちの多くも80歳を超えているようで、行き先のないハガキの何枚かが戻ってきた。私の知っている教え子たちの顔を思い浮かべてはみるものの、どうしているかを確かめる術はない。

そんなとき、見たことのない名前の女性から宅配便が届いた。よく見ると、見たことのある教え子の名前が添えられていた。「娘さんが具合の悪いお母さんに頼まれて何かを送ってくれたのね」と思いながら荷物を開くと、1通の長い手紙があった。

手紙の中にいる知らない父

突然のお便り失礼します。私は小学校時代に恩師●●先生に教えて頂きました▲▲の長女です。昨年末にお葉書を頂戴し、●●先生のご逝去の報に接し、心からお悔やみ申し上げます。又、存じ上げなかったとはいえ、年始のご挨拶を差し上げてしまい大変失礼いたしました。
この先、申し上げますことで、もし不快な思いをしてされましたら、申し訳ございません。実を申しますと、私の母は平成二十八年×月×日に他界しております。
母が小学校卒業以来、六十年以上に渡り続けておりました●●先生への年頭のご挨拶、もしも教え子が先に、とお知りになったときの先生のお気持ちを考えた時、これは本当に私の身勝手な考えですが、どうしても真実を申し上げることができずに、母に成り変わりまして、引き続き母の名でご挨拶をさせていただいておりました。
生前、母からは大変に尊敬申し上げておりました先生の話を何度も何度も繰り返し聞いております。小学校へ上がる年に父(私にとりましての祖父)の戦死、また病弱で学校も休みがちだった母に、先生は本当に優しくしてくださったと、まるで昨日のことのように、嬉しそうに、楽しそうに、よく話して聞かせてくれました。
昔のことで、今の時代では考えられないような話ですが、特別に先生がお一人で引率してくださって、クラス全員を、電車で上野の美術館等へ連れて行ってくださることもあったようです。そんな時、他のクラスの生徒たちが、「●●先生のクラスは良いな」と、うらやましがったのだと、母はいつも誇らしげに語っておりました。早くに父親と別れ、その後は養父母の元、病気がちだったこともあり、子ども時代の母に良い思い出はあまり多くなかったかもしれませんが、先生との思い出はどれも良い思い出ばかりであったようです。
小学校の卒業式の日に「皆さん、先生のことを忘れないでください。卒業しても年賀状などくれたら先生はとても嬉しく思う」とおっしゃったのだそうです。その時のことを、母はとてもよく覚えており、大好きだった先生のお喜びになることを生涯必ず実行しようと思ったのだそうです。
卒業後には、クラス会も行われていたようですが、私の記憶が確かであれば、母は一度しか参加できず、先生とは長年、お年賀状のやりとりだけだったようです。その一度だけ参加したクラス会の時の写真は、母にとりまして宝物だったようで、子ども時代に先生から頂いた直筆の小さな可愛らしいクリスマスカード等と一緒に大切に大切にしておりました。今は私が引き継ぎ、大切に保管しております。
きっと今頃は、大好きだった●●先生との再会を果たし、懐かしい思い出話でもしているのではないかと思います。このような訳で、数年に渡るご無礼、本当に申し訳ありませんでした。
●●先生、長い間、母が大変お世話に成りまして、本当にありがとうございました。先生のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。

父の生きた証を刻む

なんということだろう。ちょうど、おそらくこの教え子のかたが亡くなったころには、父は胃ろうにするという決断をし、そこからは弱っていく一方。お嬢さんがくださっていた年賀状のこともわかっていたかどうか。お嬢さんの気持ちを理解することも、お返事を差し上げることもなく、逝ってしまった。

自ら「生きたい」と胃ろうを決意したものの、口から食事を摂ることもなく、人と会話をすることも、ベッドから起き上がることもままならず、優しくない子どもたちに失望しながら、それでもこんな風に、長い間、60年以上にわたって、慕い、小さな約束を果たし続けてくれていた教え子、そしてその想いを継いでくれていた人がいたということ。父の人生はこのうえなく幸せなものだったと、うらやましく思っている。

父が生きた証。形には残っていないけれど、私の胸に刻んでおこう。





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