いいコーヒーを飲むって難しい
少し前に'GRAND CRU CAFÉ GINZA'に行ってコーヒーを飲んだ。
このお店はコーヒーにだけ集中できるように空間が作られていて(メニューがコーヒーのみで内装も過剰じゃないという意味で一蘭みたいなのではない)、綺麗めの空間でゆったりコーヒーを楽しむことができる。
ちなみにここはコーヒーを一杯ごと頼むのではなくて、コーヒーボトル単位で注文する。
席に案内された後、分厚めのコーヒーの産地、地域、農家、収穫年、風味などが載っているコーヒーのリストが渡されてそこからボトル単位で注文する。
「グアテマラ サン セバスティアン農園 2016年 ウォッシュドで」
みたいな。
人生で初めてのボトルキープがコーヒーだとは学生の時は思わなかったな。
その後ボトルを持ってきてもらい、開栓後の豆の香りを嗅いだ後、店員さん(もっと言い方がある気がするが語彙がない。)がドリップをしてくれる。
自分は2万くらいのボトルを注文したので、1杯ざっくり4000円になる。
飲む前にも、いいレストランで料理のサーブの時に説明をするように、どういった風味を楽しんでほしいか、どこがこのコーヒーの特徴なのかを説明してくれ、そのポイントを楽しむように一杯をゆっくり飲む。
と、そんな体験をして思ったのが「いいコーヒーを飲むのは難しい」なということである。
日本人は結構コーヒーを飲む人なので、街の至る所に玉石混在のスペシャルティーコーヒー専門店がある。
ついでにコンビニにでもスペシャルティーコーヒーをブレンドしたいいコーヒーがかなり安価で売られている。
MEMO
スペシャルティーコーヒーは簡単にいうと、産地から抽出されるまでの流れが管理されたとっても良いコーヒーで全体の上位5%くらいのコーヒーである。
GRAND CRU CAFÉ GINZAではさらに上のグレードのを出してる。
このように巷に溢れているグレードの高いコーヒーでも実際のところ、よほど熱心な勉強家でもない限り、飲む側の教養がなくて100ある美味しさの60くらいしかわからないなんてことばかりに思える。
ほとんどのカフェで「どんな味の豆でどこが産地です」、という会話はしっかりされるけれど例えば「みかんの風味と言われても、全然わからんしどうやって感じたらいいの。」ってなるみたいな。
これは割と当然だとは思っていて、すごく高尚なものを見たり聴いたりしても、自分の中にそれを受け止められる繊細な語彙や感性がないと全部「やばい」で済むみたいなことに似ている。
話が少しズレたが、何が言いたいかというとGRAND CRU CAFÉ GINZAで飲んだことで、
専門家の人の解説を受けながら舌を使って、自分の知らないコーヒーの味を探って確かめていく工程、体験がより一層コーヒーを美味しくしてくれる。
という事実に出会った。
コーヒーは嗜好品であり仕事のパートナーなので別に毎回美味しくなくてもカフェインをいれるだけでいいということもあるのもわかるが、
こんなにいいものが周りにあるのに満足に楽しまれずに消化されているかもしれないと思うとなんだかやるせなさを感じた。