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(前世紀)インターネット出現前

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なぜフェチに目覚めたのか?インターネットのない時代にどうやって欲望を満たしていたのか?そのあたりを書いています。
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余は如何にして欠損フェチとなりし乎

余は如何にして欠損フェチとなりし乎

このnoteの主題であるところの「欠損フェチ」について語る時、必ず聞かれる、 避けて通れないテーマが この「なぜ欠損フェチになったのか 」というところであろう。

かれこれ小学校低学年ぐらいの時だっただろうか。
田舎町の洋品店のトルソーの手足がないのに妙にドキッとしたものである。

また、当時は「Dr.スランプ アラレちゃん」人気だった。
何と言ってもアラレちゃんは首が外れるのだ。

これもまた、

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傷痍軍人さん

傷痍軍人さん

インターネットが発達してから他の欠損フェチの方と話す時、原体験として出てくるのは「傷痍軍人さん」である。

傷痍軍人さん自体は、見たこと自体はある。

それは、昭和60年前後の「博覧会ブーム」の頃だったと思う。

県庁所在地郊外の流通センターで、何かの地方博覧会があった。
その時、駐車場に白い着物を着た、片手がフック義手のおじさんがいたのだ。

子供心にも、その暗く不気味な雰囲気は感じたものだった

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欠損フェチの見た「スチュワーデス物語」

欠損フェチの見た「スチュワーデス物語」

氷河期世代なので、「スチュワーデス物語」は小学校低学年の頃にリアルで見ていた。

この頃から、洋品店のトルソーにときめいたり「Dr.スランプアラレちゃん」の首が外れるのを見てときめいていたのだが・・・

なんといっても新藤真理子(片平なぎさ)が両手の手袋を歯で引き抜いて、
「浩、これを見て!この両手はあなたにもぎ取られて義手になったのよ!」

この時点では、この新藤真理子の義手に何か思うということ

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あの子を見習いなさい

あの子を見習いなさい

小学校の頃。
身近に欠損の子がいなかったわけではない。

彼は小学校の1年先輩だった。
左腕が手首から先が無く、生まれつきだったようで手首の先にイボのような突起が3つぐらいついているような感じだった。

ちょうど義手ギタリストのLISA13さんみたいな感じ。
もう少し断端が短かかったかも知れない。

彼は1年先輩で、サッカーやドッジボールも上手いスポーツ少年だった。
学校では、彼の左手がないことは

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実在するなんて信じたくない

実在するなんて信じたくない

中学校1年生のころ。

友達の家に遊びに行ったら、「中1コース」という雑誌があったのでなんとはなしに読んでいた。

そしたら、美談系の記事があった。
いわく「片足の切断に負けず頑張る卓球少女」

何でも、大分県に住んでいる女子中学生で、交通事故で片足を失ったのだという。
しかし、中学校では卓球を頑張っているのだという。

写真を見る限りでは、子供の頃は モンチッチみたいでもっさりしている感じだが、

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Hello world!

Hello world!

・・・といえばプログラミングの練習でよくあるワード。

教育ママであった母は、弟に小学生向けの英語辞典を買ってきた。
その名も「ハローワールド英和辞典」。

いろいろな英単語がイラスト付きで描かれており、子供にも楽しく英語を知ってもらおうという辞典だった。

アニメ絵が余り好きではなかった自分には、この英和辞典に出てくる絵はちょうど良かったのだ。

で、「スポーツ」の項目。

体操(gymnast

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恋した女性は義手だった

恋した女性は義手だった

なにぶんにも母が教育ママだったもので、小学生の頃からいろいろな本を読まされたものである。
図書館から色々な本を借りてきたものだった。

その中で、大瀬しのぶというハゲのローカルタレントの自叙伝もあった。

昭和の末頃、いろいろなローカルCMに出ていたので、当時の故郷の人の間では有名な存在だったはずだ。
YouTubeで残っているのはこのくらいだろうか。
しかしトレードマークのハゲがこれでは分からな

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