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『中村屋酒店の兄弟』


劇場を出て、偶然にも白磯監督を目の前にした時、
「ありがとうございました」
と発していた。

「おもしろかったです」とか映画の感想ではなく、感謝の言葉だった。
もしかしたら、普通のことかもしれない。
監督、俳優を目の前にしたら、よくあることなのかもしれない。

だけどあの日の自分にとって、
まだ映画の感想がまとまっていなかった自分にとっては、
それが直感的な感想、捉えた感情だったんだろう。

映画館でラジオドラマを聴くという、貴重な経験をした。
自分にとってラジオとは、
“耳から聞こえる世界”と
“自分の目の前に広がる世界”が同時に在るからこそ、
記憶に残りやすい媒体なんだろうなと思っている。

あー、あの場所を歩いてた時にこんな番組でこんな話題を話してたな、こんな音楽が流れてたな、
とか
そうだ、料理している時にこの番組を聞いていたんだった、
とか
めちゃくちゃ好きなトークだったのに、地下鉄に乗ったから聞こえなくなったんだったな、
とか。

ながら聞きができることがラジオの魅力であり、
だからこそ身体の記憶に残るんだろうなと思う。

だけどこの映画を観に行って、
“想像力をかき立てるラジオ”
という、一つのラジオの魅力に改めて気づくことができた。

映画の本編を観てさらに思ったけど、
ラジオドラマの素材(扉を引く音、川の音、車が走る音とか)が映画の中にも使われていた(であろう)ので、
よりリアルで想像しやすいラジオドラマだったんじゃないかなと思う。

ましてや映画館という、
暗くて音響のいい環境で聴いていたので、
どっぷり『中村屋酒店の兄弟』の世界に入り込めた。

とてつもなくよかったな。
ラジオドラマが終わって、本編が始まった時、
真っ暗な世界とは真逆の
東京の雑踏、足早に歩く人々の足元が映し出されて、
より東京の“まぶしさ”を見せつけられた感覚。

家族だからこそ、兄弟たがらこそ話せないことがある。
逆に、年を重ねていろんなことを知ったからこそ、話せることもある。

私もそうだ。
中学生の頃から密かに抱いていた夢を、家族には言ったことがなかった。
言えなかった。
だけど社会人になって、将来のことを考える出来事にぶち当たって、
初めて兄弟と自分の夢を踏まえた将来の話をした。

深くは踏み込んでこない。
だけど否定もせず、ただじっと受け止めてくれる。

そういう存在が自分にはあって、
それは家族、兄弟だった。

いつでも帰って来られる場所、
集まれる場所、
そういう場所が私たち家族にはあって、
そういう場所を、中村の兄は作っていた・守ろうとしたんだなぁ。

中村屋の兄弟に共感したわけではない。
だけど彼らの間にある距離感は、
分かるような気がした。

兄弟、大切にしていこう。
そういう風に思えた映画だった。
ありがとうございました。

余談、小川紗良さんが話されている様子を見て、
言葉選びとか間合いとか質問の仕方とか、
賢い人なんだろうな〜と思った。
そういう方、好きです。

小川さんの映画も観てみます👀