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フルサイズに変えると良い写真が撮れるのか?/#153

初めてカメラを買ったのはNikin D5500というAPS-Cセンサーのエントリー機だった。ダブルズームレンズキットで標準域から望遠域まで撮り切れて写真をとにかく楽しめた。人はないものねだりする生き物で慣れてくると新しい刺激を求めだす。ボケ感が物足りなくて単焦点レンズを買ったり、星空が撮りたくて広角レンズを買ったり次から次へとキリがなくる。そんな状態だった自分が今では懐かしい。

ついつい新しいスペックが良いものだと思い込んでしまう。もちろんそれに間違いは無い。ただし一度考えたいのは自分に必要なのかということだ。スペック上は大きな変化でも自分がその全てを活かせるかは別の問題となる。

ある程度写真を撮り続けているとフルサイズという言葉が気になってくる。調べると今のカメラよりもセンサーが大きくて画質、高感度、ボケ感などに優れておりプロカメラマンが使っていると知った。そんな情報を目にすると見過ごして通れないのが人なのだろう。その日を境に来る日も来る日もフルサイズについて調べていた。

色んな作例を見ては自分も「同じような写真が撮れるのでは?」と淡い夢に期待を膨らませる。フルサイズを使えば自分の写真もレベルアップするのだろうと漠然と考えていたのだ。

それから手元にフルサイズカメラが届くのに時間は必要なかった。ズッシリしたボディーにキレのあるシャッター音、安心感や信頼感という言葉がピッタリな佇まいだ。気分は高揚し気づいた時には玄関を後にしていた。ファインダーを覗いてシャッターを切る、写真をしっかり見ていないのに自分が上手くなったと言わんばかりの表情をしていたに違いない。

1ヶ月ほど使う中で気づいたことは多岐にわたる。なかでも「フルサイズに変えれば写真がレベルアップする」という淡い期待は儚くも1週間経たずに消え去っていた。

写真を見返すと確かに画質、ボケ感など表現がレベルアップしたものもある。しかし、今までの撮ってきた写真と並び比べたときにその違いは微々たるものであった。まさに衝撃的であり考えさせられた出来事だ。

新たな表現を求めてカメラやレンズに目が向きがちになる。しかし表現を考えたときにもっと大切なものがある。それは自分自身である。カメラとレンズは表現するための手段のひとつ。自分自身が何をどう捉えてどう考え表現したいのか。それを形にしてくれるものがカメラなのだ。

それが明確であればAPS-Cでもフルサイズでも、デジタルでもフィルムでも、写ルンですでも、あなたらしい写真が形になる。
まずは写真と自分と向き合うこと、何をどう考えどうしていきたいのか。そういった軸があるからこそ、ないものねだりでなく今ある要素でより良いものへと昇華していくのだろう。


 SUBARU(マカベ スバル)
鳥取県在住 / なにげない日常をテーマに写真を撮っている / 出張撮影 / 写真イベント企画  / 鳥取のPR活動も行なっている。
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