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わたしの原点

世の中は全く甘くない。いつもこんなふうに考えてしまう私は、リスクばかり考える臆病な現実主義者なのだと思う。そんな私は、自分のことよりも周りのことばかり気にしてしまう。たくさんの人の幸せを想うと同時に、忖度も多いと実感している。今回の投稿は、自分にとって何を大切にしたいのかを考える良い機会だったと思う。

ぱっと思い付く自分にとって大切なこと。家族だろうか。最近仕事の悩みから心療内科に通うようになり、家族に支えられてその有り難みを感じている。特に幼い子供たちの無邪気な笑顔には癒される。ただその一方で、生活のことを考えると会社を休むわけにはいかず、無理して会社に足を運んでいる。

そんな折、家族にわがままを言って、私が小中学校の頃に育った街に一人で行かせてもらった。千葉県のとある住宅街だ。私の住む神奈川県からローカル線で日帰りで行ける距離であり、品川のかかりつけの心療内科の帰りに、ふと行きたい衝動に駆られたのだ。中学校以来なので、30年ぶりだ。私は母親の里帰り出産のため宮城県で生まれ、その後、神奈川県と千葉県で幼少期を過ごし、高校と大学を生まれ故郷の宮城県で過ごした。特に千葉県では小中学校を過ごし、当時は東京郊外に新興住宅地がどんどん建設されていて、バブル期でもあったためか、私の住んでいた地域も若い家族で賑わっていた。友達とも家族絡みの付き合いがあり、私の人生の中でもっとも影響を受けた時期だと思う。

品川の病院から電車を乗り継いで1時間ちょい、30年ぶりに見た千葉の街の光景は、当時の面影を残しつつも若い頃の賑わいが無くなっていた。30年も経っているのだから、世代も変わり人も少なくなっているのだと思う。昔を思い出しながら、まずは駅から小学校と中学校に向かうと、昔の記憶がどんどん蘇ってきた。よく遊んでいた公園、文房具屋、図書館と当時から変わっていない建物を目印に、ついに小学校にたどり着いた。校庭には入れないため外から眺めるだけであったが、そこには30年前と全く変わっていない校舎とグランドがあった。中学校も隣接しているのだが、こちらも全く変わっていない。当時の友達の顔がぼんやりと浮かんできて、胸がドキドキしているのを感じた。よく遊んだ友達の家も思い出し、気付いたらそこまで歩いていた。表札にはその友達の氏名が書かれており、家はリフォームされていたものの、確かに昔よく遊びに行った家そのものだった。目の前にいると思うすごく嬉しくなり、ピンポンしたい衝動に駆られたが、コロナ禍だし、元気でいてくれてそうだしと言い訳つけて、その場を去った。会いたかったな。

最後はやはり、自分が住んでいたマンションに行ってみた。建物は当時と全く変わってなく、綺麗に整備されていた。よく遊んだ隣の公園も当時のままだった。一つ違ったのが、昔は私も含めて子供たちがよく遊んでいた公園だったが、休日にも関わらず誰もいなかった。それでも、ブランコをこぎながら、30年前と何も変わっていない光景にボーと見惚れてしまった。もうちょっと散策したい思いで一杯だったが、夕暮れが私の気持ちを現実に返すかのように、千葉の故郷を後にした。

自宅に帰ると、夕飯を食べ終えた家族がどうだったと聞いてきたため、人は少なくなっていたけど、昔のままだったよと答えた。友達がまだ住んでいたと話すと、ピンポンすれば良かったのにと言われた。少し後悔した。私の妻は生まれも育ちも同じところで転校したことがないらしく、私が幼少期の時に住んでいた街に行きたいと思う感覚が分からないとのことだった。この感覚は私自身なんだなと思った。

変化する世の中でも昔と変わらないものがあり、人はそれを懐かしんだり、安心したりする。変わったねと言われるよりは、変わってないねと言われる方が、私は嬉しい。昔の自分の結果が今ここにあり、今の自分の結果が未来を作るのだから、時代がどう変化しようと、原点は変わらないのだと思う。私の原点は何だろう。臆病でお人好しだけど、コツコツとマイペースで前に進もうとするところかなと思う。スピードと変化が求められる世の中だけど、あえて時間をかけてコツコツとマイペースに成長していってもいいんじゃないかなと思う。時に無理してスピードを上げないといけない時はあると思うけど、原点は変わらないということが、私にとって大切なことなんだと思います。

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