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倉敷市水島エリアの「臨鉄ガーデン」に潜入してみた

9月25日、仕事で休みを取って、都市経営プロスクの大先輩が仕掛ける「臨鉄ガーデン」というナイトマルシェにインターンとして潜入してきました!

倉敷市の水島エリアを舞台にしたこの取組についてレポートします。

水島家守舎NAdiaの決起

さて今回の舞台となる水島エリア(そのうち、特にイベント会場となる水島臨海鉄道栄駅周辺)ですが、元々は現在でも全国有数の規模を誇る水島コンビナートの整備に合わせて人工的に作られたまちです。

まちの中心には大きな商店街があり、今でこそシャッターが目立ちますが、それはかつて栄えていたのだろうという姿を今にも残しています。

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このエリアでは製造業が順調でありながらも人口が減少しており、空家も増えています。そこで、地域主導のまちづくりによってエリアを再生しようと、「水島家守舎NAdia」という団体が立ち上がります。臨鉄ガーデンも、単なるイベントではなく、その流れの中でNAdiaが仕掛ける事業なのです。

水島エリアの課題やNAdiaの詳細については、ぜひ下記の記事をご覧ください。

賑わいを創出する臨鉄ガーデン

日中に会場近くの栄駅周辺のまちあるきをしていると、平日とはいえ、街の中にあまり人の気配はありません。(人がいるのは地元でも美味いと評判の中華料理店「とらや」の中だけでした。)

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ところが、臨鉄ガーデン開始時刻の16時ころになると、どこからともなく人が集まり始めます。しかも、高齢者の方々から、街の中で全く見かけなかったファミリーや、若くておしゃれな女性などが続々とやってくるのです。

インターンではビールの売り子体験をしていましたが、気候にも助けられて飛ぶように売れます。いやビールだけではありません。おしゃれな本格パスタ、米粉で作られたたこ焼き、地元水島に本社や加工所を置く阪本鶏卵の新商品「親鶏ソーセージ」などなど、各店の商品は飛ぶように売れていました。

日も暮れると会社帰りのサラリーマンやOLの姿も増え、賑わいはさらに増します。結果として老若男女を問わずナイトマルシェを楽しんでいるのです。またコロナ禍だからこそ、こういった屋外空間での賑わいというのはさらに重要になってくるのでしょう。

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やがて終了時間の20時にもなると店じまいとなり、各店手際よく引き揚げていきます。さきほどまでの賑わいはどこへやら、祭りの後の静けさ独特の寂しさを感じながらインターンを終えました。

マーケット事業のポイント

さて今、日本全国でマルシェなどのマーケット事業が盛んに行われています。中には「賑わい創出」という名目で行政の補助金がジャブジャブ投入されながらも、ただ関係者が疲弊して終わる、というイベントも散見されるようです。

一方、この臨鉄ガーデンは独立採算でありながら、現在はしっかりと収支黒字を達成しているようです。この違いはなぜ生じるのでしょうか?私なりに考えてみました。

一つ目、イベントの開催そのものを目的としないということ。あくまでも、NAdiaの考える水島エリアのビジョンを実現する手段として、この臨鉄ガーデンがあるのです。

二つ目、こだわりを持ったお店を集めていること。要はマーケットに足を運んでくれる「顧客」にしっかりとフォーカスすることで、結果的に賑わいが生まれるということです。よくある補助金イベントだと、「集客」が目的化しコンテンツがスカスカということも発生しがちですが、コンテンツがしっかりとすることで、お金を落としてくれる「顧客」が集まり、結果的に賑わいが生まれているのです。

三つ目、補助金に頼らずビジネスとして回る仕組みで運営されていること。古い価値観では儲け=悪という発想が支配的なまちづくりですが、なぜここでビジネスの仕組みが必要なのでしょうか?

儲けを度外視するイベントは、結局のところ補助金を頼らざるを得ません。すると、資金獲得のために顧客より行政や政治に目が向くようになり、結果として顧客に目がいかず、イベントそのものの価値が低下してしまう恐れがあるのです。そうすると、例えば有名人を呼んで人を集めたくなる。でも、お金を落としたいコンテンツがなければ売上になりませんから、お金をかけて人は来ても徒労感だけが残る・・・というカラクリがあるようです。

ビジネスで回る仕組みを目指すということは、顧客への価値にコミットするという覚悟なのです。そうやって価値が生み出されることでしか、まちが再生することはありません。

まちに必要なのは覚悟ある人の生み出すコンテンツ

さきほどの話にもありますが、人の見当たらない商店街でも人気のお店というのはお客さんでいっぱいだったりします。また、臨鉄ガーデンのように顧客にコミットしたお店を集めることによって、今まで人がいなかった場所にも賑わいと次のステップへの可能性が生まれ得るのです。

ここで大切なことが分かります。まちを再生するのはあくまでコンテンツであるということ。短絡的な団体支援ではなく、良質なコンテンツが提供されるにはどうすればいいのかを考えなければならないこと。そして、そのコンテンツを生み出すのは覚悟を持った個人であること。

そんなことを胸に刻んだインターンでした。三宅さん、ありがとうございました!

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