吐き出させてください

社会に入って1年が経ちました。季節はすっかり回り、気づけば桜の開花予報が。学生から社会人になったあの時の高揚感と緊張感は今でも覚えています。いや、高揚感は忘れましたね。正直不安しかなかったですから。
1年後、今は緊張感は無くなりましたが、不安が私を押し潰しています。不安に呑まれるがあまりに、遥か昔の後遺症も復活しております。落ち着いてた自傷行為も復活し、過去最悪と言っても過言ではない状態です。なぜこうなってしまったのか、今となっては後の祭り、後悔という言葉でしか表すことができませんが、自分の心があまりにも弱く、考え方も性格も何一つ変わらず、自己中心的に生きてきた結果でしょう。全ては自分のせいです。自己責任ですが、よろしければあまりにも甘ったれた自己中心性の高い私の話を聞いてくだされば幸いです。暇つぶしにでもよければどうぞ


前半は良かったようです。

まず私の職業を伝えさせていただきます。私は保育士をしております。新卒でも関係なく担任を持ちます。もちろんベテランの先生と組ませてもらえます。保育園の良いところですね。幼稚園だとすぐに1人担任というところも多いですから。私は乳児の担任をしました。最初は子どもたちと関わることに緊張の日々。子どもたちの声は大きく、私もそれに合わせて声が通るように大きな声を出します。その結果喉が潰れました。また、年中誰かは鼻水が出ています。そのため私も鼻水で苦しめられます。その期間およそ3ヶ月。ずっと鼻水が詰まり、息苦しい状態です。また、胃腸風邪が流行った時にはもちろん感染しました。
仕事内容に関しては4月は子どもと関わる、生活の流れを理解する、一人ひとりとの愛着関係を深める。これらだけでしたが、徐々に週案、月案などが追加されます。そして行事もあります。夏祭りの担当に当たっていたため1ヶ月前からは夏祭りの進行に向けての会議も始まりました。また、夏にはプールや水遊びなどとにかく初めてすることばかりでしたが、何とかついていき、家に帰ってはすぐ寝るという状態でしたが、それでもまだ仕事が辛いと思う時はありませんでした。
9月で前期が終わり、そこで主任との面談がありました。自己評価も含め、そこそこの評価をいただきました。色々としてみたい遊びにも挑戦していき、行事も何かと貢献できたようで安心しました。初めての人事評価。最高評価とはいきませんが、普通の評価をいただけ、安心しました。しかし、その安心が自らの首を絞める油断につながったのだと思います。

地獄の始まり

後期からは子どもたちとの愛着関係も安定し、成長に伴い、第一次反抗期、通称イヤイヤ期が多発しました。成長過程において重要なイヤイヤ期。何をするにも「いやだ」という子ども。保護者の方も悩まれる方は多いと思います。ご飯に睡眠、排泄など生きることに重要なことさえも「いや」という子ども、心配してしまいます。家ではおそらくもっとひどいのでしょうね。しかし私は子育てを知らない者。保育園で起こるイヤイヤに疲弊しました。1人特にひどい子どもがいました。発達がとても凸凹しており、著しい発達が見られるところもあれば、発達がゆっくりなところも見られる子どもでした。1番しんどかったのは私がその子どもの担当であり、私の言うこと全てに嫌だと言っていたことです。私が勤めているところでは担当制とまではいきませんが、ある程度の担当する子どもが決まっていました。その子は乗り物が大好きで、オムツ交換が大嫌いでした。トイレに誘っても「行かない」の一点張り。振替休日で私が休みの日に、他の先生がトイレに誘う際車の車種を伝え、それを見に行こうと誘うと素直に行ったようです。そのため私もその真似をして、ちょうど遊びが切り替わる時にその子の好きな車や電車の名前を伝えていこうと誘いましたが、撃沈。今思えば高度な試し行動なんだろうなと思います。その試し行動において私は厳しく言うことが多々ありました。不適切な保育ですね。手を出すことは断じてありませんでしたが、周りから見ればそのように不適切保育と言われても何の反論もできません。
試し行動と甘え。身の回りのことをほとんど甘え、保育士からの誘いは全て嫌。これが子どもの真の姿であります。ですが私は保育士で、他にも担当する子どもがいました。その子どもだけ注視することはできませんが、どうしてもその子にとても手がかかってしまいます。私は平等に接したかったですが、そんな気持ち子どもには届かないし、もちろん知ったこっちゃありません。ベテランの先生に相談しても何か特別な解決策があるわけではないのが保育。相談してもしても悩むばかりです。
さらには上から言葉がきついと言われました。手のかかる子ども対応の一部を見て、ベテランの先生に話が入ったそうです。正直とてもショックを覚えると同時に、自分の甘さと気の緩みが出てしまったと思いました。ベテランの先生もオブラートに言葉を包んでくれ話してくれましたが、それがまだ心に突き刺さるものでした。
結局最後までその子どもの試し行動に上手く対応することはできませんでした。
子ども主体の保育と保育園の生活の流れ。これらを両立させる難しさを覚えました。

OJTをする意味

私が働いているところではOJTがありました。ベテランの先生と一緒にクラスに入り、月の目標を決め、振り返りをします。前期は社会人になったばかり、保育士になったばかりで保護者との関わりや電話の取り方、子どもとの関わり方についてたくさん学ぶことがありOJTの価値を見出していました。しかし後期から徐々にOJTの価値が見出せなくなりました。目標は何を書けばいいのだろうか、と悩むばっかりです。だんだんと言葉の羅列でしかない、中身のない目標になりました。またOJTの際に「何か困ったこととか分からないこととかない?」と聞かれます。他にもしんどいことや疑問に思うこと、改善してほしいことなど聞かれますが私の悪い癖が出てしまいます。

「特にないです。」

正直毎日しんどいし、子どものイヤイヤ期に滅入っていました。ですが、OJT以外で伝えていたこともあったため本当になかったのです。また疑問に思うことというのが学生の頃から苦手でした。なぜその行動をするのか、なぜそのように対応したのかなど実習中でも疑問に思うことができませんでした。例えば玩具や棚の配置理由、この場面でこのように関わった理由など私は「保育士がその配置で子どもたちに良い影響を与えるから、関わりはその保育士が良いと思ったから」と自身で決定づけていたからです。一つひとつの行動に意味があると言いますが、皆さんは全ての行動に言葉で意味づけをすることができますか?私はできません。正直保育の行動においても愛着関係が全てであり、毎日その子どもと関わるからだんだんと関わりもわかってくるものであると考えています。全ての行動、言動において疑問に思うことはなく、そして言語化できるわけでもなく私は「特にないです。」と伝えているわけです。
そして何より自分の性格、というよりは環境の影響ですが、「言ったところで変わらない」という意識があります。今まで生きてきた上で自分が変えたい、自分だけの力では変えられないから声を上げてきましたが、変化したことは一度もありません。ましてや家族内にどれだけ伝えても伝わらない人間もいるため意見を言うのが消極的になってきました。そのような背景から「言ったところで変わらない」から「言う労力を使いたくない」に変わっていくんですよね。でも言わないと分からないし、気持ちは伝わらないですよね。子どもたちにはいつもトラブルや嫌なことが起きた際落ち着いてから「どうしたい?」や「どうしようか?」など自分で決めるような声掛けや選択肢を伝えていますが、さて私にはどうでしょうか。私はないのに子どもたちには求めているんですよね。矛盾で未熟で、厄介な保育士だなあと思います。
以上のことから、私は自分の意見を言わない(言っても変わらないのだから言うだけ無駄という気持ちがある)、疑問を持てないことからOJTの価値がだんだんと分からなくなってきました。ベテランの先生は本当に素晴らしい先生でしたが、私はその素晴らしい先生から何も吸収することができなかったのです。

後期面談、メンタル崩壊

さて、3月になり人事異動、即ち来年度のクラス発表がありました。前期の面談でもクラス希望があるか聞かれましたが、私はその時幼児でも乳児でもどちらでも良いと答えています。本当にこれに関してはどちらでも良く、どこに入っても保育をすることには変わりないですし、子どもや年齢によって好きも嫌いもありませんからどちらでも良かったのです。まあ希望を言っても通らないことがほとんどですが。
来年度のクラスは幼児になりました。そして別のベテランの先生と組むことになりました。初めは緊張と嬉しさが舞い込んできましたが、徐々に落ち着き始めると不安が一気に身体を襲いました。次のクラスは発達グレーの子どもが多く、手のかかる子がほとんどなクラスだったからです。そして2年目となることから、主に私が進めるように少しずつなっていくとも言われました。そのあたりは重々承知していましたが、それでも不安はあるものです。その不安だけなら良かったのですが、さらに追い討ちをかけることがあったのです。
年度が変わるためこの時に就労規約の変更もあります。昇給に関してです。そのため園長との面談がありました。園長は気さくな方ですが圧がすごく、まさにトップという雰囲気が常に出ている方です。給与に関して昇給に関して、キャリアに関してなどたくさん言われた後に、「なぜ幼児になったと思う?」と聞かれました。私は、乳児で行事の経験が少なかったから行事の経験をさせるため、学生時代に幼児の勉強をしていたからなどと伝えました。すると園長は言葉をオブラートに包み遠回しに遠回しに伝えてくれました。
「他のベテランの先生の保育を見てほしい、OJTをもう一年して、自立(1人担任)できるようになってほしい。」
言葉だけ聞くとこれといって傷つくような言葉は言ってはいないのです。それはもちろんオブラートにオブラートを重ねさらにオブラートに包んでいってくれているからです。ただ本音はおそらくこうでしょう。
「あなたの保育はダメ、今までベテランの先生のそばでしてきたのに何を見てきたの?あの先生と組んだのに全く成果が出ていない、もっと周りを見て、保育をして。子ども主体の保育をして。今のままでは1人担任どころか、担任すら任せられない。でも正社員だから担任は守ってもらわないと困る。もう一年よく学びなさい」
私は私なりに頑張ってたつもりでしたが、つもりでしかない。正直反省するところばかりです。言葉や態度がきついと言われて、直したつもりが直せてなかったんでしょう。その言葉を聞いて頭は真っ白、血の気が引きました。目なんて合わせられません。言葉も出ません、頭は回りません。呼吸と脈の音だけが鮮明に聞こえるだけです。その時に「何か聞きたいことある?」と言われても言うことなんてできません。涙を流さないように必死に、必死に喉の筋肉をキツく締めて「ありません。」と答えることで精一杯でした。
その日は同期と帰りました。同期は面談も終わり、来年度は1人担任です。その日面談で言われたことを同期に打ち明けました。同期は面談でOJTは来年度はもうないと言われていたそうです。私と同期の評価の差がここでわかりました。面談でわざわざOJTをすると言われた時点で察してはいたのですが。同期は優しいです。本当に本当に優しくて、打ち明けてよかったなと今でも思います。

今に至る。

以上のことから、過去最悪のメンタル状態に陥っているわけです。3月はもともとあまり調子が良くなかったのですが、下旬以降はもう最悪です。爪をむしる癖があり、親指と中指が巻き爪になりました。毎日死にたいと思うようになりました。この文章を書いているときも涙が出そうで何度も我慢しました。全ての私の責任ですが、それでもやはり辛いものは辛いです。何が悪かったのかダメだったのか思い当たる節はたくさんありますが、私がこんな弱いメンタルと甘ったれた考えさえ持っていなければと思う日々です。今年の4月から私は生きられるのでしょうか。正直不安しかありません。不安定なメンタルがようやく粉々になる時が来るのでしょうか。来るならいっそのこと早めにきてくれと願うばかりです。終われるなら終わりたいものですね。何事も。

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